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1章
第11話 森の中でかくれんぼ
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「……よし」
シンバルケースを抱えた海茅は、一人だけになるために音楽室の教師控室に入った。そうっとケースを開け、紅色の布に包まれたクラッシュシンバルを取り出す。持ち上げると、ズシッとした重みが手にかかった。
OBの「シンバルナメんな」という言葉に頬をひっぱたかれた海茅。
あのときの、先輩や優紀の視線を落とした目は今でも忘れられない。彼女たちがOBに便乗して海茅に何かを言うことはなかったが、OBと同じ気持ちを少なからず持っていたことは感じ取れた。
希望楽器を担当させてもらえなかった短期パーカッション部員は、海茅の他にも二人いる。しかし彼女たちは割り当てられた楽器を一生懸命練習していた。
海茅だけが、まだパーカッション部員になりきれていない。
窓の外から、きれいなフルートの音色が聴こえる。駐輪場の日陰で練習している明日香だろうか。
海茅はふるふると首を振った。彼女はいつもそうだ。パート練習をしているときも、合奏のときだって、フルートのことばかり考えてしまう。
「そんなんじゃダメ。パーカッションの人たちに失礼」
シンバルに、しょっぱい雫が一粒落ちる。
これを認めてしまったらもう後戻りができない気がした。だが、認めなければ前に進めない。
だから海茅は自分の背中を押すために、声に出して言った。
「コンクールまでは、私はパーカッションなんだから」
海茅は軽くシンバルを叩いた。始めから渾身の一発を鳴らそうとしても難しいので、自分が一番鳴らしやすいところから練習したらいいと、OBに教えてもらった。
時たま空気の音しか出ないこともあったが、それなりに安定して音が鳴るようになった。
今までの海茅は音が鳴ればそれで良いと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
(シンバルの良い音……。どれが良い音なのか分からない)
海茅が途方に暮れているときに、ちょうど段原先輩が様子を見に来た。
「どう? 順調?」
「えっと……。ごめんなさい、シンバルの良い音が分からないです……」
段原先輩はぱちくりと目をしばたき、思わず顔をほころばせた。
「うん! シンバルの音って難しいよね。そういうときは、見本を聴くのがいいよ」
「見本?」
「課題曲には参考音源があるし、自由曲もプロが演奏してる動画があるよ。その曲以外の動画を観ても勉強になると思う。奏者によってシンバルの音色って違うから」
いつもより段原先輩の声色が弾んでいる。シンバルの良い音が分からないなんて言ったら怒られるのではないかと、ビクビクしていた海茅は胸を撫でおろした。
せっかくだからみんなで聴こうと、段原先輩はパーカッション部員を集め、参考音源を鳴らした。
海茅が参考音源を聴くのはこれで二度目だ。一度目のときはシンバルの音に注目していなかったので、ほとんど記憶に残っていない。
一年部員はパーカッションの楽譜を、二年生はフルスコア(全ての楽器のパートがまとめて書かれている楽譜)を広げて演奏に耳を傾けた。
「海茅ちゃん、もうすぐシンバルだよ」
段原先輩の言葉に頷いた海茅は、ドキドキしながらシンバルの音を待った。
(いち、に、さん、よん……)
星空だ、と海茅は思った。クラッシュシンバルが鳴った瞬間、OBのシンバルの音を聴いたときと同じように、星がちりばめられた紺色の夜空が目の前に広がる。
星たちは流れ星になり、いつの間にか消えていた。
あの、と海茅はおそるおそる手を挙げる。
「すみません。もう一回シンバルの音聴いてもいいですか?」
みんなで聴いているのに巻き戻したいなんて、迷惑なことを言っているのは分かっていた。嫌な顔をされるかなと心配したが、むしろ逆だった。
樋暮先輩は「聴こう聴こう!」と心なしか嬉しそうに頷く。
「みんなも海茅ちゃんみたいに、巻き戻したかったらどんどん言ってね!」
それからも海茅は、五回ほど巻き戻してシンバルの音に耳をこらした。あんまり熱心に海茅が聴いているものだから、シンバルを担当しない子たちもシンバルの音に注目していた。
海茅以外の一年部員も自分のパートのときに巻き戻しを希望した。
海茅は、優紀たちが担当する楽器の演奏も注意して聴いた。
今まではフルートばかり気にしていたので、こんなにもパーカッションが活躍しているなんて気付かなかった。
小鳥のように、フルートと同じメロディで音楽の森を軽快に駆けまわるシロフォン。
チューバと同じリズムを刻むバスドラムは、森の真ん中で佇む大木のように、森を支え見守っている。
そして小物打楽器は、時にイタズラをする妖精のように森を賑やかし、時に夜空にオーロラを架ける。
海茅の鼓動が、とくとくと速くなる。
今まで感じていた疎外感がなにか分かった気がした。海茅はかくれんぼのオニだったのだ。隠れている子たちを見つけられなくて、ずっと寂しかったし、なんだか腹が立っていた。
見つけられなくて当然だ。じゃんけんで負けてオニになってしまった海茅は、しょぼくれてその場から一歩も動いていなかったのだから。
勇気をふりしぼって一歩踏み出すと、案外近くに隠れている子たちがいた。一人を見つけると仲間が増え、どんどん見つけられるようになった。
海茅は顔を上げ、譜面に目を落としている六人のパーカッション部員を見た。
「……」
そっと、海茅は隣にいる段原先輩の腕に触れた。
段原先輩はキョトンとした目をしたが、すぐに目尻を下げる。
「どうしたの? 今どこか分からなくなっちゃった?」
そう言って先輩が、いつものように海茅の譜面をつついた。
「ここだよ」
海茅は譜面に目を戻し、震えそうになる声をなんとか絞り出す。
「はい。みつけました」
それまで暗くて静かだった森が姿を変えた。指を目の上に添えないと眩しいほどに。
シンバルケースを抱えた海茅は、一人だけになるために音楽室の教師控室に入った。そうっとケースを開け、紅色の布に包まれたクラッシュシンバルを取り出す。持ち上げると、ズシッとした重みが手にかかった。
OBの「シンバルナメんな」という言葉に頬をひっぱたかれた海茅。
あのときの、先輩や優紀の視線を落とした目は今でも忘れられない。彼女たちがOBに便乗して海茅に何かを言うことはなかったが、OBと同じ気持ちを少なからず持っていたことは感じ取れた。
希望楽器を担当させてもらえなかった短期パーカッション部員は、海茅の他にも二人いる。しかし彼女たちは割り当てられた楽器を一生懸命練習していた。
海茅だけが、まだパーカッション部員になりきれていない。
窓の外から、きれいなフルートの音色が聴こえる。駐輪場の日陰で練習している明日香だろうか。
海茅はふるふると首を振った。彼女はいつもそうだ。パート練習をしているときも、合奏のときだって、フルートのことばかり考えてしまう。
「そんなんじゃダメ。パーカッションの人たちに失礼」
シンバルに、しょっぱい雫が一粒落ちる。
これを認めてしまったらもう後戻りができない気がした。だが、認めなければ前に進めない。
だから海茅は自分の背中を押すために、声に出して言った。
「コンクールまでは、私はパーカッションなんだから」
海茅は軽くシンバルを叩いた。始めから渾身の一発を鳴らそうとしても難しいので、自分が一番鳴らしやすいところから練習したらいいと、OBに教えてもらった。
時たま空気の音しか出ないこともあったが、それなりに安定して音が鳴るようになった。
今までの海茅は音が鳴ればそれで良いと思っていたが、どうやらそうではないらしい。
(シンバルの良い音……。どれが良い音なのか分からない)
海茅が途方に暮れているときに、ちょうど段原先輩が様子を見に来た。
「どう? 順調?」
「えっと……。ごめんなさい、シンバルの良い音が分からないです……」
段原先輩はぱちくりと目をしばたき、思わず顔をほころばせた。
「うん! シンバルの音って難しいよね。そういうときは、見本を聴くのがいいよ」
「見本?」
「課題曲には参考音源があるし、自由曲もプロが演奏してる動画があるよ。その曲以外の動画を観ても勉強になると思う。奏者によってシンバルの音色って違うから」
いつもより段原先輩の声色が弾んでいる。シンバルの良い音が分からないなんて言ったら怒られるのではないかと、ビクビクしていた海茅は胸を撫でおろした。
せっかくだからみんなで聴こうと、段原先輩はパーカッション部員を集め、参考音源を鳴らした。
海茅が参考音源を聴くのはこれで二度目だ。一度目のときはシンバルの音に注目していなかったので、ほとんど記憶に残っていない。
一年部員はパーカッションの楽譜を、二年生はフルスコア(全ての楽器のパートがまとめて書かれている楽譜)を広げて演奏に耳を傾けた。
「海茅ちゃん、もうすぐシンバルだよ」
段原先輩の言葉に頷いた海茅は、ドキドキしながらシンバルの音を待った。
(いち、に、さん、よん……)
星空だ、と海茅は思った。クラッシュシンバルが鳴った瞬間、OBのシンバルの音を聴いたときと同じように、星がちりばめられた紺色の夜空が目の前に広がる。
星たちは流れ星になり、いつの間にか消えていた。
あの、と海茅はおそるおそる手を挙げる。
「すみません。もう一回シンバルの音聴いてもいいですか?」
みんなで聴いているのに巻き戻したいなんて、迷惑なことを言っているのは分かっていた。嫌な顔をされるかなと心配したが、むしろ逆だった。
樋暮先輩は「聴こう聴こう!」と心なしか嬉しそうに頷く。
「みんなも海茅ちゃんみたいに、巻き戻したかったらどんどん言ってね!」
それからも海茅は、五回ほど巻き戻してシンバルの音に耳をこらした。あんまり熱心に海茅が聴いているものだから、シンバルを担当しない子たちもシンバルの音に注目していた。
海茅以外の一年部員も自分のパートのときに巻き戻しを希望した。
海茅は、優紀たちが担当する楽器の演奏も注意して聴いた。
今まではフルートばかり気にしていたので、こんなにもパーカッションが活躍しているなんて気付かなかった。
小鳥のように、フルートと同じメロディで音楽の森を軽快に駆けまわるシロフォン。
チューバと同じリズムを刻むバスドラムは、森の真ん中で佇む大木のように、森を支え見守っている。
そして小物打楽器は、時にイタズラをする妖精のように森を賑やかし、時に夜空にオーロラを架ける。
海茅の鼓動が、とくとくと速くなる。
今まで感じていた疎外感がなにか分かった気がした。海茅はかくれんぼのオニだったのだ。隠れている子たちを見つけられなくて、ずっと寂しかったし、なんだか腹が立っていた。
見つけられなくて当然だ。じゃんけんで負けてオニになってしまった海茅は、しょぼくれてその場から一歩も動いていなかったのだから。
勇気をふりしぼって一歩踏み出すと、案外近くに隠れている子たちがいた。一人を見つけると仲間が増え、どんどん見つけられるようになった。
海茅は顔を上げ、譜面に目を落としている六人のパーカッション部員を見た。
「……」
そっと、海茅は隣にいる段原先輩の腕に触れた。
段原先輩はキョトンとした目をしたが、すぐに目尻を下げる。
「どうしたの? 今どこか分からなくなっちゃった?」
そう言って先輩が、いつものように海茅の譜面をつついた。
「ここだよ」
海茅は譜面に目を戻し、震えそうになる声をなんとか絞り出す。
「はい。みつけました」
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