【完結】またたく星空の下

mazecco

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8章

第66話 『動く林檎』

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 新学期が始まった。夏休みの間、ずっと静かでがらんとしている学校で過ごしていたので、大勢の生徒が行き交っていることに違和感を覚えた。
 約一カ月半ぶりに再開したクラスメイトは、髪をバッサリ切っていたり、肌が褐色に焼けていたり、背がぐんと伸びていたりと、夏休み前と別人のようだった。

「みっちゃん、おはよ」

 登校した匡史が、わざわざ海茅の席の前を通って挨拶した。
 匡史も少し背が伸びた気がする。それに前にも増してかっこよくなった。笑顔が眩しい。匡史が着ている制服でさえ輝いて見える。
 海茅は匡史を呼び止め、鞄から一冊の本を取り出した。

「あ、あのね匡史君! こ、この小説、面白かったんだ。読んだことある?」

 海茅が差し出したのは、『動く林檎』という、約百年前のぱりフランスで暮らす画家が登場する小説だ。
 帯を呼んだ匡史はパッと顔を輝かせて食いついた。

「えっ! 何これ知らない! ポスト印象派でタイトルが『動く林檎』!? 絶対セザンヌ出てくるでしょ!」
「わ、匡史君すごい! そうそう、セザンヌに雇われてたモデルの女の人が主人公の物語なの!」
「まじ!? 面白そうすぎるんだけど! やっばー!」

 想像以上に匡史のテンションが上がったので、海茅は心の中で喜びの鐘を鳴らした。

「私、画家のことよく知らないけど面白かった! それに、この小説読んでちょっと画家の名前覚えたよ。ポール・セザンヌ、カミーユ・ピサロ、アンリ・マティス……あとはピカソ……はさすがに前から知ってたけど」

 人名を覚えるのが苦手な海茅にとって、画家の名前を覚えるのはとても苦労した。匡史と話すときのために、かつて使っていた読書ノートにメモを書き、何度も音読して覚えたのだ。
 その苦労は、匡史の反応で報われた。匡史は頬を紅潮させ、ずいと身を乗り出す。

「画家じゃないけど、ゾラは出てきた!? エミール・ゾラ!」
「出てきた出てきた!」
「やっばー!! 俺も読みたい!!」
「じゃあ、貸すから読んで! 読み終わったら感想教えてね!」
「えっ! いいの!? すごい嬉しい! ありがとうみっちゃん!」

 こんなにはしゃいでいる匡史は初めて見た。他のクラスメイトに比べて、穏やかで達観しているように見える匡史も、大好きなものの前ではまるで子どもだ。

 実は、海茅は先日、『動く林檎』と同じ作者の、これまた画家が題材の小説を一冊購入した。『動く林檎』が面白かったので別の作品も読んでみたくなったというのが一番の理由だが、読み終わったらまた匡史に読んでもらいたいというのが二番目の理由だ。

 読書を始めた動機も、これからしばらくの読書をする理由も不純だが、海茅が少しずつ読書そのものを楽しめるようになってきたことに変わりはない。
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