上手に騙してくださらなかった伯爵様へ

しきど

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 メリッサは、父という存在が──ローン・オードバーン子爵が、苦手だった。

 一言でいって家庭を省みない、冷徹な男だったからだ。外交官という仕事を国王から任されていて、今日はどこそこの国、翌週はあちらの国と、まともに屋敷にいた記憶がない。

 侍女に聞いた話だけど、幼い頃、屋敷に帰って来た父を見て、熊のような男がやってきたと騒ぎ立てた事があるらしい。それくらい父という存在は、メリッサの日常にとっての異質だったのだ。

 普通の家庭の父親であるならば、一人娘にそんな反応をされたなら多少なりとも己を省みる事だろう。しかしメリッサは、父の涼しい顔以外見たことがない。

 父がアイルザート伯爵──当時はまだ次期伯爵、だったけれど──との縁談を持ちかけたのは、メリッサが十五の時だ。

 それが実に五年ぶりくらいの、親子がまともに交わした会話の内容だった。

 逆にいえばこういう時くらいしか、話す機会がなかった。お互いがお互いを必要としていなかったから。血の繋がった家族なのに。アイルザートとの婚約は政略上のものであって、娘の幸せを願う父の気遣いなどではない。そんな感情とは最も遠い場所にいる存在、それがメリッサにとっての父であり、男という生き物であった。

 メリッサは二言返事で婚約を承諾した。別にどうでもよかったというか、割りきっていたからだ。家の為に好きでもない男のところへ嫁ぐのが令嬢である。

 未来は決まっている。自由意思などない。せいぜい気に入られるようにする事だ。男を喜ばせる女でありさえすればいい。

 彼に出会うまでのメリッサは、子供ながらにそんな風に人生を悟りきっていた。いや、悟ったつもりになっていた。

 「──初めまして。メリッサ」

 初めて出会った彼が太陽のように目映く見えたのは、今でもよく覚えている。きめ細かな金色の髪。艶やかな肌に長いまつげ。女性なのではないかと、声を聞く直前まで疑ったくらい。

 あまりの美しさに、メリッサは全くしどろもどろになってしまった。ただでさえ人見知りの酷いタチではあったが、彼が折角話を振ってくれているというのに、気の利いた言葉は何一つ返せなかった。

 「今日からここが君の部屋だ。足りないものがあれば執事バトラーに言ってくれ。すぐに思い付くなら、今僕が聞いてもいいけど」

 通された部屋の広さ、きらびやかさにメリッサは呆然とした。実家の何倍も立派な部屋であった。子爵家と伯爵家でこうも違うのかなんて思ったが、彼の家が特種な部類に入るだけだったようだ。それを知ったのも、後になってからだけど。

 「どうかしたかい?」

 「いえ、あの……いえ……」

 相変わらずまごまごしっぱなしのメリッサを見て、アイルザートは面白そうに笑った。

 「そこまであらゆるものに脅えなくても」

 「ご、ごめんなさい……」

 「謝られると、なんだか僕がイジメてるみたいだ。婚約じゃなくて人拐いでもしてしまったのかな?」

 「た、単にこういうタチで……本当、ごめんなさい。こんなオタオタと、みっともない……まるで田舎の生娘のようですよね?」

 アイルザートはスッと目を細めてメリッサを見た。

 「確かにらしくない。貴女のようなタイプの令嬢と会ったのは初めてだ」

 「……ですよね」

 失望させただろう、来て早々婚約破棄を言い渡されたところで文句など言えない。

 「とても興味深い、という意味だよ」

 「っ──!?」

 いつの間にか近付かれて耳元で囁かれたので、メリッサは思わずのけ反って彼から離れてしまった。

 彼はそんな彼女の態度も不遜と見なさず、面白そうに笑うだけだった。

 「慣れればまた別の顔を見せてくれるかも。そう考えると、とても楽しみだ。君はどう? メリッサ──」

 「……私は──」

 メリッサはようやくアイルザートに向き合う事が出来た。そうして、全く自分の口から出たとは信じがたい言葉を、もごもごとだけれど返したのである。

 父が苦手だった。

 貴族の男というのはああいうもので、結婚とはつまらないものなのだと、そんな風に、人生を簡単に悟っていたつもりになっていた。

 アイルザートはまさしく、そんなメリッサの曇天に射し込んだ、太陽のような存在だったのだ。
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