上手に騙してくださらなかった伯爵様へ

しきど

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5.(アイルザート視点)

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 誰かが自分を呼んだ気がして、夜中にふと目が覚めてしまった。

 アイルザートは月明かりを頼りに周囲を──そして一応、隣で寝ているシンシアの様子を窺った。よく眠っているようだ。単なる夢だったのだろうか。

 どんな夢を観ていた?

 胸がぐっしょりと汗で濡れていた。

 掛け時計に視線をやり、眉をしかめる。だんだんと夜目が利いてきて、短針の位置が分かる。就寝してから一時間ほどしか経っていない。

 苦笑してかぶりを振る。身体も心も、間違いなく疲れていた。疲れていたというのに、変に目がさえてしまったようだ。明日も早いのに。

 「……どうされました、アイルザート様?」

 水を飲むためテーブルの方へ向かったのだが、どうやらシンシアまで起こしてしまったらしい。返事はせず、グラスに水をついで一気に飲み干した。

 誰が、呼んでいたのだろう。知った声だった気もするし、知らない声だった気もする。男だったか、女だったか。

 そもそも、人だったか──。

 シンシアが、全裸にローブだけ着てアイルザートに近づいてきた。彼女は手にしていたもう一枚のローブを、黙って彼の肩にかけた。

 アイルザートは背中越しに彼女の手をとった。

 「……もうこんな事はやめよう」

 「何故?」

 その何故には、少しだけ嘲笑うかのようなニュアンスが感じられた。

 「メリッサが怪しんでる」

 「そうでしょうか。他人にはとことん無関心ですよ、あのお嬢様」

 「怪しんでるんだ」

 「夕方のあの態度の事をおっしゃってるの? 別に女なんて、意味もなくイラつく日もあります」

 「お茶会で、夫人達に相談しようとしてた」

 シンシアは、ふん、と言った。

 「そう……別にいいのではないですか? 気付いていようがいまいが、あのお嬢様には何も出来ない。何も言えない。そういう方ですから」

 「シンシア……僕の父が君のお父様にしてしまった事は、許されない事だ」

 アイルザートはシンシアの目を見つめながら続けた。

 「けれどやはり、こんな事を繰り返す事が償いとは言えないだろう?」

 「裏切るのですか?」

 「他の事ならなんでもする。僕の生涯をかけても」

 「お父様の件を、世間にバラされても構わないと?」

 「それも含めて全てが僕だ」

 シンシアは、頭を抱えてソファーに座り込んだ。そうしてアイルザートの飲んでいたグラスをひったくるように奪って、一口に飲み干した。

 「愛しています」

 「僕も愛していた。でも今の僕にはもう、既に将来を誓い合った人がいる」

 「本当に、あの方の事を愛しているのですか? 根暗で、愛想もなくて、言いたいこともはっきりおっしゃらない、あんな女の何処が?」

 「言わないのは、優しいからだよ。だからいつも独りで泣いてるんだ、彼女は」

 アイルザートは苦笑して続けた。

 「これ以上は、また泣かせてしまう」

 シンシアは彼の目をじっと見つめていた。それから、堪えきれぬようにクスリと笑ってみせた。

 「貴方も大概、呑気というかお人好しなのですから」

 「……何だって?」

 「彼女はもう知っているんです」

 「……」

 「二日前、わざと夜に蝋燭が切れるよう、短いものを彼女の部屋に用意していました。彼女はきっと予備をとりにいったでしょう。この部屋の前を通って」

 「……」

 「……確かに、前伯爵の事は恨んでいます。でもそれ以上に、私は貴方が欲しかった、アイルザート。貴方のお側にいるだけでは満足出来なかったのです。どうかメリッサ様の事は忘れて、もう一度、私を見て頂けませんか──」

 頬に触れようと差し出された手を払い、アイルザートは立ち上がった。

 乱暴にローブの腰ひもを巻いて、そのまま部屋を飛び出した。

 背後からシンシアの呼ぶ声が聞こえた気がしたが、アイルザートは足を止めなかった。

 途中ですれ違った別の侍女が、ローブ一枚で駆け去るアイルザートを見て悲鳴を上げたが、彼は一切構う事なかった。

 メリッサの部屋に着いた頃には、すっかり息は切れ汗だくで、髪も乱れて酷い有り様だった。 

 「メリッサ!!」

 乱暴に扉を叩く。返事はなかった。扉には鍵もかかっていなかった。

 部屋に入ると、バタバタとカーテンの揺れる音が聞こえた。見ると窓が開きっぱなしになっており、風が吹き抜けている。

 「……メリッサ?」

 返事はない。部屋には誰もいない。代わりにテーブルの上には粘土細工の猫と、一通の手紙が置いてあった。他でもない、アイルザートに宛てられた手紙。

 一行目には、こう書いてあった。

 ──上手に騙してくださらなかった伯爵様へ、と。

 「ッ──!」

 彼は慌てて、開かれた窓から身を乗り出した──。
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