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6.(終)(アイルザート視点)
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────
「本当に、私なんかが婚約者でいいのでしょうか?」
領主となって半年ほどたったある夜、メリッサが不意にそう言ってきたのを覚えている。
アイルザートは横になりながら、首だけ彼女の方へ向けて何故と尋ねた。
「……私、幸せで」
いつもボソボソ喋る彼女だったけれど、その時は余計に声が小さく、しかも恥ずかしかったのかシーツを口元までかぶってしまって、聞き取るのに難儀した。
「アイルザート様はご立派な方で……私は令嬢であるだけの、つまらない女。どう考えたって釣り合いません」
「そんな事思ってたの?」
「……はい」
「幸せなのに?」
「……幸せであればあるほど、疑いたくなる事って……ありません?」
アイルザートは苦笑した。分からないでもないけれど、メリッサの場合は極端だ。
向こうの屋敷で執事から、軽く子供の時の話を聞いた。彼女は父に十分な愛を与えられず、いつも寂しい思いをしてきたのだという。
幼少期のそういったどうにもならない不充足が、彼女という人間の根幹を作り上げてしまったのかもしれない。
不充足が根幹だから、充足に躊躇う。人の言葉はまず裏をよんでしまう。いじけてひねくれた奴、彼女は自分をそう評価している。でもそれだって、あくまで彼女の顔の一つに過ぎないと、彼女自身気づいちゃいない。
「本当は何もかも諦めて、領土を国に返すつもりでいた」
アイルザートはそう言って、メリッサの髪を撫でた。彼女の身体のように細く、彼女の心のように繊細な、綺麗な髪を。
「頑張ってこれたのは、こうしてメリッサがいつも側にいてくれたからだ。君のおかげでどれほど忙しくても、僕は、僕でいられるんだと思う」
「……アイルザート様」
「だから君も、僕といる時は君であってほしい。幸せだと感じたなら、幸せでいいじゃないか。そういうものだよ」
本当に恥ずかしかったのか、今度はシーツを頭までかぶってしまい、挙げ句にそっぽを向いてしまった。
アイルザートは苦笑して、ごろんと仰向けになった。
言っておくけど、僕だって君と一緒さ。
言葉にせず心中で語りかける。
古い考えばかりに囚われて、母を泣かせてばかりだった父が嫌いだった。子供の頃は本気で、いつか殺してやろうと思ってたくらい。そんな父のあとを継ぐだなんて、吐き気がするほど嫌だった。
けれど領民の為、家の皆の為、アイルザートに道は一つしかなかった。
せめて父と同じ事だけはするまいと、がむしゃらにやっただけ。皮肉な事に、父と真逆真逆の事をする内に、いつしか領民に認められ、国王陛下からお褒めの言葉を頂くような男になってしまった。
よき領主であろうという決意があったわけじゃない。なのに周りの期待ばかり膨らんでいく。
彼女と過ごす夜は唯一、伯爵という名の重荷から、日々の忙しさから解放される時だった。
彼女は黙って話を聞いてくれる。黙っていつも、側に寄り添ってくれる。
どれほどの救いを与えられたか。
どれほどの平穏を感じたか。
彼女が婚約者でよかった。
きっと一生後悔する事などない。
────
「はぁ……はぁっ……!!」
屋敷を飛び出て、暗い夜道を、月明かりのみを頼りに走った。
何処から来たのか、何処へ行くのか。クソほどどうでもいい。ただ直感の導くまま、感情の赴くままに、アイルザートは駆け抜けた。
とっくに何処にもいない、彼女の姿だけを求めて──。
「メリッサ!」
シンシアの父親が、アイルザートの父の手によって自殺に追い込まれたという事実を聞かされた彼は、頭が真っ白になってしまった。
そうしてそれを黙っていて欲しいなら、慰めて欲しいと言い寄られた時、アイルザートは、メリッサの存在を忘れてしまっていたのだろうか。そんな筈はない。
男の本能が反応しているだけなのに、もっともらしい言い訳を自分の中に産み出したのだ。脅されているのだから仕方ない、と。
思えばアイルザートはいつも、メリッサの優しさに甘えてばかりだった。黙って聞いてくれるだけの優しさに、間違ってもこちらを責めたりしない優しさに。
真実を話せば、きっと分かってくれるだろうと。謝れば許してくれるだろうと。そんな甘い考えが、心の何処かにあったに違いない。
他でもない自分が、彼女の疑う幸せを、現実のものにしてしまった。優しい彼女が、同時にどれほど繊細であったかなど、とっくに知っていた筈だったのに。
そうだろう、アイルザートよ──。
「メリッサッ!!」
慌てて靴もはかずに飛び出した足の裏は皮が剥け、血に染まった道を作っていた。
まるでここは地獄であり、彼は救いを求めて叫び続ける亡者のよう。
そして暗闇には、その嗚咽だけが響き渡るのだ。
メリッサ!
メリッサ!!
返事をしておくれ、メリッサ──!
──了
「本当に、私なんかが婚約者でいいのでしょうか?」
領主となって半年ほどたったある夜、メリッサが不意にそう言ってきたのを覚えている。
アイルザートは横になりながら、首だけ彼女の方へ向けて何故と尋ねた。
「……私、幸せで」
いつもボソボソ喋る彼女だったけれど、その時は余計に声が小さく、しかも恥ずかしかったのかシーツを口元までかぶってしまって、聞き取るのに難儀した。
「アイルザート様はご立派な方で……私は令嬢であるだけの、つまらない女。どう考えたって釣り合いません」
「そんな事思ってたの?」
「……はい」
「幸せなのに?」
「……幸せであればあるほど、疑いたくなる事って……ありません?」
アイルザートは苦笑した。分からないでもないけれど、メリッサの場合は極端だ。
向こうの屋敷で執事から、軽く子供の時の話を聞いた。彼女は父に十分な愛を与えられず、いつも寂しい思いをしてきたのだという。
幼少期のそういったどうにもならない不充足が、彼女という人間の根幹を作り上げてしまったのかもしれない。
不充足が根幹だから、充足に躊躇う。人の言葉はまず裏をよんでしまう。いじけてひねくれた奴、彼女は自分をそう評価している。でもそれだって、あくまで彼女の顔の一つに過ぎないと、彼女自身気づいちゃいない。
「本当は何もかも諦めて、領土を国に返すつもりでいた」
アイルザートはそう言って、メリッサの髪を撫でた。彼女の身体のように細く、彼女の心のように繊細な、綺麗な髪を。
「頑張ってこれたのは、こうしてメリッサがいつも側にいてくれたからだ。君のおかげでどれほど忙しくても、僕は、僕でいられるんだと思う」
「……アイルザート様」
「だから君も、僕といる時は君であってほしい。幸せだと感じたなら、幸せでいいじゃないか。そういうものだよ」
本当に恥ずかしかったのか、今度はシーツを頭までかぶってしまい、挙げ句にそっぽを向いてしまった。
アイルザートは苦笑して、ごろんと仰向けになった。
言っておくけど、僕だって君と一緒さ。
言葉にせず心中で語りかける。
古い考えばかりに囚われて、母を泣かせてばかりだった父が嫌いだった。子供の頃は本気で、いつか殺してやろうと思ってたくらい。そんな父のあとを継ぐだなんて、吐き気がするほど嫌だった。
けれど領民の為、家の皆の為、アイルザートに道は一つしかなかった。
せめて父と同じ事だけはするまいと、がむしゃらにやっただけ。皮肉な事に、父と真逆真逆の事をする内に、いつしか領民に認められ、国王陛下からお褒めの言葉を頂くような男になってしまった。
よき領主であろうという決意があったわけじゃない。なのに周りの期待ばかり膨らんでいく。
彼女と過ごす夜は唯一、伯爵という名の重荷から、日々の忙しさから解放される時だった。
彼女は黙って話を聞いてくれる。黙っていつも、側に寄り添ってくれる。
どれほどの救いを与えられたか。
どれほどの平穏を感じたか。
彼女が婚約者でよかった。
きっと一生後悔する事などない。
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「はぁ……はぁっ……!!」
屋敷を飛び出て、暗い夜道を、月明かりのみを頼りに走った。
何処から来たのか、何処へ行くのか。クソほどどうでもいい。ただ直感の導くまま、感情の赴くままに、アイルザートは駆け抜けた。
とっくに何処にもいない、彼女の姿だけを求めて──。
「メリッサ!」
シンシアの父親が、アイルザートの父の手によって自殺に追い込まれたという事実を聞かされた彼は、頭が真っ白になってしまった。
そうしてそれを黙っていて欲しいなら、慰めて欲しいと言い寄られた時、アイルザートは、メリッサの存在を忘れてしまっていたのだろうか。そんな筈はない。
男の本能が反応しているだけなのに、もっともらしい言い訳を自分の中に産み出したのだ。脅されているのだから仕方ない、と。
思えばアイルザートはいつも、メリッサの優しさに甘えてばかりだった。黙って聞いてくれるだけの優しさに、間違ってもこちらを責めたりしない優しさに。
真実を話せば、きっと分かってくれるだろうと。謝れば許してくれるだろうと。そんな甘い考えが、心の何処かにあったに違いない。
他でもない自分が、彼女の疑う幸せを、現実のものにしてしまった。優しい彼女が、同時にどれほど繊細であったかなど、とっくに知っていた筈だったのに。
そうだろう、アイルザートよ──。
「メリッサッ!!」
慌てて靴もはかずに飛び出した足の裏は皮が剥け、血に染まった道を作っていた。
まるでここは地獄であり、彼は救いを求めて叫び続ける亡者のよう。
そして暗闇には、その嗚咽だけが響き渡るのだ。
メリッサ!
メリッサ!!
返事をしておくれ、メリッサ──!
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