上手に騙してくださらなかった伯爵様へ

しきど

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 「お帰りなさいませ、旦那様」

 屋敷に戻ると使用人達が出迎えてくれる。その中には当然彼女の姿もある。

 「お荷物をこちらへ」

 「ありがとうシンシア」

 シンシアと呼ばれたメイドは、にこりと笑ってみせる。

 シンシアはメリッサやアイルザートと同世代の娘だ。幼少期からこの屋敷で働いているらしく明朗快活で歳のわりに仕事の出来る人。

 女の勘、というやつだろうか。以前から二人の事は不審に思っていた。屋敷の中でも唯一歳の近い同士。子供の頃から付き合いがあったのだから、幼なじみというか気心の知れた仲であっても何ら不思議ではなかったけれど。

 彼と話している時の、彼女の目が嫌だった。

 彼に見せる所作の全てが、使用人としてでなく、女としてのそれに見えた。

 「メリッサ様……いかがされましたか?」

 視線に気付いたシンシアが、そう気遣ってくる。分かっている。主人の顔色の変化、様子の違いにいち早く気付くのが優秀な使用人というものである。彼女は今この時も仕事をしているだけ。分かりきっていてなお、その言動の一々が鼻につく。

 今夜もきっと、アイルザートはメリッサの寝室を訪れる事はないだろう。

 「メリッサ?」

 返事せず、極力誰とも目を合わせず、メリッサはずんずんと独りで歩き去った。

 感じが悪いように見えたに違いない。でもそんな事を気にしている余裕すらなかった。自分の中で渦巻く感情を、言葉として発する事を抑えるのに精一杯で。

 何故もっと堂々としないのだろう。メリッサは仮にもアイルザートの婚約者という立場でここにいるのだ。

 はっきりと言ってやったらいい。

 二日前の夜半、偶然アイルザートの部屋から出てくるシンシアの姿を見た事を。

 部屋の前でキスを交わしていた事も。

 婚約者である自分にはそれを言及する権利も、彼の行為を咎める権利だってある。

 でも、咎めて、その後は?

 自室の扉を乱暴にしめ、メリッサはドレスも脱がずにベッドに倒れ込んだ。

 どうにもなりやしない。穿たれた心が元に戻る事も。

 分かっている。浮気はどう考えたってした方が悪いけれど、上流階級の人間は暗にそれが許されている側面もある。

 浮気、不倫、内縁の子。

 男だけじゃない。夫人だって、相手に隠れて愛人の二、三作っている事も珍しくない。結婚は政略のものであるから、済んでしまえば本当に癒されるものを探したくなる。本当の恋が出来るものを見つけたくなる。家に従い、しきたりに従って、律儀に一途であろうとする方が狂った感覚なのである。

 でも私は──。

 枕を掴み、顔を隠し、万一にも外に声が漏れぬようにして、メリッサは泣いた。

 婚約は家同士の決めたことで、彼がメリッサを好きで選んだわけじゃなかった。あるいは最初から、辛気くさい女だと思われていたのかもしれない。

 だとしたら、何も同じ屋敷に住む人間、しかも身分違いの使用人に手を出さなくても。

 最後まで上手に騙して欲しかった。

 彼を本当に愛してしまった、この気持ちだけは、尊重して欲しかった──。 
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