断罪まであと5秒、今すぐ逆転始めます

山河 枝

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4章 主権奪還

4-10 不意打ち

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「……今、する」

 全身が強張って、それだけしか言えなかった。
 イザークの体からも、同じ緊張が伝わってくる。

「け、結婚、する。イザークと」

 用意していた言葉とは違って、途切れ途切れの片言しか出せない。
 イザークの顔は見られなかったが、ホッと息をついたのは聞こえた。

「アナベル様、ありがとうございます。ただ……」

 イザークは一旦息を吸って、言葉を継いだ。

「なぜ、結婚しても良いと思ったのか、聞いてもよろしいですか」

「イザークが、好き……だから。愛してるのかな……?たぶん」

「たぶん?」

 イザークは聞き返し、顔を寄せてきた。
 反射的に彼を見ると、どことなく不満そうに眉を寄せている。

「『たぶん』というのは、わからないということですか?なぜ、わからないのです?」

「で、でも、だって、イザークも『嬉しかったと思う』とか『楽しいと思う』とか、言ってたじゃない」

「あの時は、心がないも同然でしたから。仕方ありません」

「ずるい!」

 恥ずかしさの勢いでイザークを睨むと、彼は金の髪を揺らして、くすぐったそうに笑った。
 今にも光がこぼれてきそうな、綺麗な笑顔だった。

「申し訳ありません、十分ですよ。ありがとうございます」

「……どういたしまして」

 そんな顔をされたら直視できない。
 目をそらそうとしたが、イザークの表情がふと陰ったので、どうしたのかと彼を見つめた。

 イザークは数秒ほど目を伏せたあと、重い口を開いた。

「先程、『あの時は心がないも同然』と言いましたが……まだ、感情がよくわかりません。あなたを愛しているとは、はっきり言えるのですが、それ以外は漠然としていて……あなたが辛い時、私は共に泣くことができないかもしれません。あなたを傷つけることもあるでしょう。それでも、私の隣にいてくださいますか」

「そんなの今さらだよ」

 私は、これまでのAIみたいな彼を思い出して笑ってしまった。

「というか、そういう部分も合わせてイザークが好きなんだから」

「アナベル様……」

「な──」

 何?と尋ねる前に、イザークの唇が私の口をふさいだ。
 ほのかに甘い香りが体の中に入り込む。

 すぐに唇が離れて、それに続いて、全身に熱がブワッと広がった。

「な……なな……何してんの!?」

「口づけは二人きりの時に、と言われましたので」

「それを言ったの、私じゃないんだけど!?」

「不快でしたか……?」

「……ううん、ちょっと嬉しかった」

 イザークが傷ついているように見えたので、羞恥をこらえて正直に言った。
 すると、今度は脈絡なく抱きすくめられる。

「うわっ!」

「アナベル様は、私が何かするたびに驚かれるのですね」

「だ、だって、いきなりされたから」

「では、今後はアナベル様の許可を頂いてからにします」

 それはそれで恥ずかしいような。
 ただ、今はそれよりも言いたいことがある。

「じゃあ、ついでにお願いがあるんだけど……」

「もう一度、口づけましょうか?」

「違う!私のこと、様付けで呼ぶのをやめてほしいの。喋り方も、そんなに丁寧じゃなくていいから。ファルガランの人に、イザークは私に仕えてるのかって思われちゃうよ」

「そうですね。では、直します。……アナベル」

 頭がふわふわする。
 私はそのまま目を閉じ──られなかった。
 
 少し離れたところに、馬に乗ったエルヴァがいたのだ。

 鋭い目つきでこっちを睨んでいる。
 私が息をのんだ直後、イザークもエルヴァに気付き、彼女を睨み返した。

 エルヴァはすぐさま馬の腹を蹴り、逃げ去ってしまった。
 
「殺気じみたものを感じると思ったら……こんなところで何をしているんでしょうか」

「さあ……でも、カスティル公爵から話は聞いてるはずだよね。イザークを見納めに来たってことはない?」

「ないですね」

 イザークは、間髪入れずに断言した。

「聖女の侍女長も言っていたでしょう。エルヴァは敵を潰すまで追いかける、と。所作は優雅でも、彼女はファルガランの令嬢です。侮ってはいけません」

「令嬢だから侮るなって、どういうこと?」

「ファルガランは防衛、つまり戦を重視します。ですから、貴族家の者は男女問わず、高度な戦闘訓練を受けるのです」

「え。じゃあ、エルヴァもイザーク並みに戦えるってこと?」 

「いえ、そこまでは。ただ、あなたの隙をついて一撃を食らわせる程度なら、たやすいでしょうね。気をつけてください」

「わ、わかった。イザークもね」

「私より、アナベルの方が心配なのですが……」

 そうだろうか。
 私は、エルヴァはイザークを逆恨みしていると思うけど。

 でもまあ、イザークの方がエルヴァを知っていることだし。
 人気のないところには行かないようにしよう。

 私たちは、エルヴァがいなくなったことを確かめると、村へ戻った。
 村長さんに、世話になったお礼を言って、また村を出る。

 周囲を警戒しつつ、次の村へ向かうと──

「王子殿下、アナベル様。ご婚約おめでとうございます!」

 村人総出で迎えられ、祝福された。

 誰がいつ、噂を広めたのだろう。
 この世界にSNSはないはずなのに。

 さらに次の村でも、その次の村でも、「おめでとうございます!」が飛んできた。
 その間、エルヴァの姿は一度も見なかった。
 やはり諦めたのだろう。

 最後の村では、着いた途端に子どもたちに取り囲まれた。
 イザークは村長さんと話をしに行ったが、数人の酔っ払いにお酒を勧められて、困惑している。

 面白いからちょっとだけ、とニヤニヤしながら見ていると、肩掛けを羽織った女性が、おずおずと私の方へ近づいてきた。

「あ、あの……私、ラニ村に住んでいるんですけど。アナベル様にご挨拶できなかったから、ここまで来てしまって……」

 ラニ村はこの近隣の村で、三日前に寄ったところだ。
 あそこは、ひときわ貧しい場所だった。

 村の人たちはボロボロだったが、女性は特にひどい。
 
 髪には泥と埃がこびりつき、茶髪なのか赤毛なのかもわからない。
 肩を丸めてうつむいていても、顔が薄汚れているのが、前髪の隙間から見えた。

 しかも、足を引きずっている。
 私は手を貸そうと思い、子どもたちに道を開けるよう頼んで、女性に近づいた。

「ここまで来てくださって、ありがとうございます。どこか悪いところはありませんか?治しま──」

「アナベル、その女から離れなさい!!」

 イザークの絶叫に、私はビクッと後ずさった。
 しかし、女性はそれよりも速く地を蹴った。
 肩掛けの下からナイフが現れる。

 生き物の本能だろうか、私は無意識に顔と胸を腕でかばった。
 するとナイフの刃は、私の右脇腹に埋め込まれた。

「うあ……っ!」
 
 燃えるような激痛が、脇腹をえぐる。
 直後、バキッ!と音がした。
 
 女性がナイフを握ったまま、三メートルほど吹っ飛ぶ。
 駆けつけたイザークが、彼女の胴体を蹴り飛ばしたらしい。

「ちょっと……蹴るのは、駄目でしょ……」

 その人もファルガランの民なのに。
 イザークは怪力だし。

 そう思って倒れた女性を見ると、髪が大きく広がって、美しい顔が現れていた。
 エルヴァだ。

 そこまで考えた時、痛みに耐えられず、私も地面に倒れ込んだ。
 傷を手で押さえても、血がドクドクと吹き出している。

 その手を、イザークが強く握った。

「アナベル、精霊様に命令を!傷を塞いでください!」

「あ……」

 そうか、痛すぎて思いつかなかった。
 私は「助けて」とみんなに祈った。

「聖女様!」

「聖女さま、しなないで!」

 精霊たちが、泣きそうな顔で現れる。
 瞬時に真っ白な光が放たれる。

 焼けるような痛みが、すうっと消えた。
 血も止まり、ホッと息をつく。

 しかし、起き上がれない。
 頭がクラクラする。
 かすむ目で地面を見ると、血溜まりができていた。
 
「アナベル!アナベル……!」

 イザークが、必死に私を呼んでいる。
 早く答えなくちゃ。
 もう大丈夫だって。
 そう考えながら、私は意識を失った。

 そして──
 長い時間が経った気もするし、一瞬だった気もする。
 私は、ひりつくような喉の渇きで目を覚ました。
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