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第三章
14 後ろのめろ
しおりを挟む「ギィィヤアァアアアァアァアッ!!」
目の前で怪獣のように響き渡る悲鳴に、保はとっさに両手で硬く耳を塞いだ。耳を塞いでも、凄まじい叫び声が鼓膜をビリビリと震わせている。
そんな保の隣には、にこにこと愛想良く微笑む藍人が立っていた。
「なぁんでぇ、藍人がいるのぉおおおぉおお!!」
見慣れた実家の玄関でそう絶叫しているのは、保の妹の咲希(さき)だ。そして、咲希の左右には、ぽかんと口を開いた両親の姿が見える。母は、藍人の存在を幻覚か何かと疑っているのか、自身の頬をぺちぺちと片手で叩いていた。
予想通りな家族の反応に嘆息を漏らしながら、『やっぱり事前に知らせておくべきだっただろうか』と後悔する。帰省連絡の際に『職場でお世話になっている人と一緒に帰るからよろしく』とは家族に伝えていた。だが、それが人気俳優の清水藍人だとは、ついぞ言えなかったのだ。
いや、だって、どう言えばよかったんだ? 『清水さんも新潟に行ってみたかったらしく、今回の帰省に着いてくることになったから』とか? それとも『もしかしたら清水さんは俺の運命かもしれなくて、両親に挨拶したいみたいだから一緒に帰るね』とか? どう説明しても無理がありすぎるし、現実離れしすぎてる。
結局、事前報告を諦めて、行き当たりばったりに藍人を実家に連れてきたわけだが――
「絶対に夢っ! これ絶対に夢! 藍人がこんな田舎の家にいるわけないっ!」
叫びながら、咲希がよろよろと壁に近付いた。夢から覚めようとしているのか、そのまま頭を振り子のように後方に下げて壁に打ち付けようとする。だが、その直前に、咲希の頬にそっと大きな掌が当てられた。
「危ないですよ」
心配げな声で囁きながら、藍人が咲希の顔を覗き込む。藍人の顔を間近で見た咲希が、一瞬で岩のように硬直するのが見えた。その顔面がじわじわと絵の具が広がるみたいに赤くなっていく。
「は……はへぅぅ……」
声にならない声が口から溢れるのと同時に、咲希は腰が抜けたように玄関にへたり込んだ。その姿を見て、保は無意識に深くうなずいてしまった。
――分かる。分かるぞ、その気持ち。藍人を至近距離で見たら、その反応になるのは当然だ。
玄関に座り込んだ咲希を見て、藍人が困惑したように眉を寄せている。
「妹さんは大丈夫?」
「あ、大丈夫です。一時的な発作みたいなものなんで」
サラッと答えながら、両親の方を見やる。両親は相変わらず呆けたような表情で藍人を凝視していたが、ようやく虚無の世界から戻ってきたのか、父がふにゃふにゃと口を動かした。
「保、こちらの方(かひゃ)は……」
微妙に呂律の回っていない声で言いながら、父が掌で藍人を示す。すると、藍人は再びにこやかな笑みを浮かべた。
「お義父さんお義母さん。それから、妹の咲希さん。初めまして、僕は清水藍人と申します」
藍人のハキハキとした挨拶に、父がつぶらな瞳をますます丸くする。
「お義父さん……?」
「いや、友達の親のことを『お父さん』『お母さん』って呼ぶのと一緒だから! 特に変な意味はないから!」
慌てて注釈を入れつつ、横目で藍人を睨み付ける。だが、藍人は保の視線を気にする様子もなく、朗らかな声をあげた。
「突然お伺いしてすいません。保さんには公私ともにとてもお世話になっておりまして、今回の帰省にも無理を言って同行させてもらったんです」
無理を言った自覚はあったのか。なら、もっと大人しくして欲しい。言動の端々に、妙な関係性を匂わせないで欲しい。
藍人の言葉を聞いて、硬直していた母が、はぁ~、と感嘆混じりの息を漏らす。
「えっと、それはつまり、うちの保と友達ということ、ですか?」
「友達というか運め――」
「友達です! 職場仲間兼、仲の良い友達ですッ!」
藍人の発言に被さるように大きな声で叫ぶ。同時に、保は藍人の左肘を鷲掴んだ。そのまま、体格差をものともせずズルズルと藍人の身体を玄関の外へと引き摺っていく。
玄関扉を勢いよく閉めると、保は藍人をギッと睨み上げた。
「ちょっと……! 約束が違うでしょう……!」
帰省に着いてくるのを認める代わりに、家族には運命云々の話はしないように釘を刺していたはずだ。それを藍人も了承したから、渋々ながらも家に連れて来たのに。
保が小声で詰め寄ると、藍人はテヘッとばかりに小首を傾げた。
「ごめんなさい。保さんのご家族を前にしたら、うっかり気持ちが前のめりになっちゃって」
「前のめるな……! 後ろのめろ……!」
聞いたことのない単語を、自分でも言っているとは思う。だが、保の家族に会ってはっちゃけテンションになっている藍人を見ていると、こちらも正気ではいられなかった。まだダンジョン入口なのに、すでにHPが九十パーセントぐらい削られている気分だ。
両手で頭を抱えながら、保は藍人を見据えた。
「これから一度でも『運命』って言葉を口に出したら、家から追い出します」
「死んでも言いません」
容赦ない言葉を突き付けた瞬間、藍人が片手をあげて即答した。真顔で口をピッチリと閉じている藍人を見て、深々とうなずく。
「とにかく、俺と貴方は『職場で仲良くなった友人同士』です。それ以上の何かしらを匂わせることは絶対にNGです」
「えー」
「清水さん?」
「はい、分かりました」
保が低い声をあげると、すぐさま素直な返事が返ってきた。
『本当に大丈夫なのか……?』と疑いの眼差しを向けるが、藍人はにこやかに微笑むばかりだ。その人当たりの良さそうな笑顔が、一番信用ならない。
「ちゃんと友達として振る舞うから、ここでは藍人さんって呼んで欲しいなぁ」
おい、なんでこの状況で交換条件が出せるんだ。このまま、バスが一日五本しか来ない真夏の田舎道に放り出してやろうか。すぐにカラカラのミミズみたいに干からびるからな。
頭の中でそう悪態をつきつつも、保がどんな脅しを述べようと藍人が折れるとは思えなかった。藍人は柔く穏やかなようでいて、実際のところは信じられないほど頑固で、怖いくらい苛烈なところがある。五ヶ月にも渡る付き合いで、ようやくそれが保にも分かってきた。
結局、保は額を片手で押さえると、ため息混じりに呟いた。
「藍人さん、うちでは大人しく」
「はーい」
まるっきり聞き分けの良い子供みたいに返事をする。普段は大人の男なのに、そうやって保にだけ見せる子供っぽさにも、心が乱されっぱなしだった。
名前を呼ばれたのが嬉しかったのか、藍人がとろけるように頬を緩めている。その表情に見蕩れてしまう自分が嫌だった。いつか、この表情にほだされてしまいそうで。
保が口元を引き締めようとしたとき、閉じていた玄関扉がカラカラと開かれた。隙間から顔を覗かせたのは、背中を小さく丸めた父だ。
「二人とも、お昼ご飯食べる……?」
様子をうかがうような父の問い掛けに、藍人が満面の笑みを浮かべるのが見えた。
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