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第四章
20 世話焼き彼氏の甘々モーニングコール
しおりを挟む時々、夜空の星に手を伸ばしている夢を見る。
藍色の空に向かって両手を伸ばしたまま、ぴょんぴょんと無様に飛び跳ねて、必死に星を掴もうとしている自分の夢を。輝く星に手が届きそうで、どうしても届かなくて、悔しさのあまり目に涙が滲んだところで――着信音で目が覚めた。
緩く目を開いて、布団の中から片腕だけを突き出してベッドサイドを探る。着信音を響かせるスマホを手に取ると、保は無意識に通話のボタンを押して耳に当てた。
「はぁい……」
目をしょぼしょぼさせたまま、寝起き独特のしゃがれ声を漏らす。すると、スマホからくすくすと咽喉の奥で笑う声が聞こえてきた。
『おはよう、保さん。もう七時だよ』
寝起きには毒かと思うくらい、砂糖を百杯入れて煮詰めたみたいな甘ったるい声だ。
一度スマホを耳から離して画面を眺めると、確かに表示された時刻は七時ピッタリだった。
「……あと十分、寝れる……」
『ダメだって。そう言って、前もたっぷり二度寝して悲鳴あげてたじゃないか』
ボソッと呟いたひとりごとに、しっかりとお小言が返ってくる。寝起きの不機嫌さのまま鈍くうなり声を漏らすと、また向こう側から笑い声が聞こえてきた。
『ほら、起きて。今日も一日頑張ろう』
この音声、録音したら売れそうだな。『世話焼き彼氏の甘々モーニングコール』みたいなタイトルをつけて、三千円ぐらいでダウンロード販売してやろうか。日々の生活に疲れたOLたちがこぞって購入しそうだ。
ぼんやりとした頭でそんなことを考えながら、のろのろと身体を起こす。同時にスマホをスピーカーモードに変えた。
『起きた?』
「起きました……」
『よしよし。保さんはいい子だね』
子供みたいに褒められる。保は寝間着代わりのトレーナーを脱ぎながら、ムッとした顔でスマホの方を見やった。
「幼稚園児じゃないんですから……」
『分かってるよ。でも、何歳になっても褒められるのは嬉しいものでしょう?』
「まぁ、それはそうですけど……」
渋々同意を返すと、またスマホから笑い声が響いてきた。
それを聞きながら『この人、いつもご機嫌だな』と思う。この毎朝のモーニングコールももう一月以上続いていて、よく面倒にならないものだと保は内心感心していた。
お盆の帰省以降、藍人は以前言っていたとおりに映画の撮影で忙しくしているようだった。局で撮影することもめっきり少なくなり、保と遭遇する機会もほとんどなくなった。その代わりのように、藍人が開始したのがこのモーニングコールだ。
藍人の方がよっぽど不規則で多忙な日々を過ごしているというのに、保の出勤時間にあわせて毎朝必ず電話をしてくる。そして、保の朝の準備が終わるまでの二、三十分の間だけ他愛もない会話をするのだ。
昨日は何の撮影をしたのか、今日は何の撮影をするのか、鬼村が最近藍人に会えなくて残念がっている、ロケで行ったチョコレート専門店の商品が美味しかった、先日撮影前にADと新人アイドルが大喧嘩して大変だった――なんて何気ない話ばかりだ。
朝ご飯の食パンを頬張りながら、淡々とのんびりと言葉を交わしていく。その穏やかで、少し甘い時間が、保にはくすぐったくて堪らなかった。
「藍人さんは、今日も映画の撮影ですか?」
くすぐったさに耐えられなくなって、ブルーベリージャムをたっぷり塗った食パンを齧りながら早口で訊ねる。
『うん、今日から羽野(はの)が殺人を犯していくシーンだね』
羽野というのは、藍人が演じる殺人鬼の神父の名前だ。
呆気なく告げられた物騒な返答に、保は口に入れていたパンをごくりと呑み込んだ。
「そんな大事なシーンの前に、こんなのんきに話しててもいいんですか?」
『大丈夫だよ。というか、むしろ保さんの声を聞かないと一日のやる気が出てこないから』
サラッと甘い台詞を入れるのをやめて欲しい。咽喉にパンが詰まりそうになる。
保が牛乳でパンを流し込んでいると、藍人は楽しそうな声で続けた。
『明日は、本格的に血糊まみれになるから楽しみなんだ』
「それが楽しみなんですか……?」
『だって、今まで格好良い役ばっかりで、血糊なんて一滴も浴びたことなかったし。どんな感触なのか楽しみじゃない?』
藍人の言うとおり、完璧なスーパーイケメン役が血糊まみれになることはないだろう。
まるで遠足前みたいにウキウキとした藍人の声を聞いていると、保の口元まで勝手に緩んだ。
「そう言われてみれば、確かに楽しそうですね。俺も見てみたいなぁ」
ぽつりと本音が零れていた。保が呟いた瞬間、藍人の声が止まった。わずかな沈黙の後、藍人が訊ねてくる。
『じゃあ、観に来る?』
「え?」
『保さん、明日はお休みだよね?』
待て、なんで言った覚えもないのに、人の休みを把握している? 一体どこから情報を得てるんだ?
そうツッコむ前に、藍人が意気揚々とした声で続けた。
『撮影現場もそう遠くないし、演者の知り合いが見学に来ることもよくあるから、監督には話を通しておくよ』
「え、ちょっ――」
『明日の朝九時に、猿渡さんに迎えに行ってもらうから用意しておいてね』
「まだ行くって言ってな――」
『保さんと会えるの楽しみだなぁ。それじゃあ、また明日ね』
保の言葉をことごとく遮って、藍人が畳かけるように言い切る。保が舌をもつれさせているうちに、藍人が柔らかな声で囁いた。
『保さん、大好きだよ』
通話を切るときの、藍人のお決まりの台詞だ。その慈愛に満ちた声を聞く度に、保はぎゅっと心臓を掴まれたような感覚を覚える。そうして、いつだって言葉に詰まってしまうのだ。
保が返答に迷っているうちに、通話は静かに切れてしまった。暗くなったスマホを眺めて、ぽつりと呟く。
「俺は――」
その続きの言葉は、どうしても言えなかった。何とも言えないモヤモヤを抱えながら、スマホをいじってカメラロールを出す。画面をスクロールしていくと、一枚の写真が現れた。
それは、お盆のときに撮った家族写真だ。帰省最終日に親族全員と藍人とで、家の前で記念写真を撮ったのだ。古びた一軒家や泥だらけの軽トラを背景にして、両手でピースサインをする親族と、苦笑いを浮かべている自分と、それから嬉しそうな表情をした藍人が写っている。
「どう見ても、馴染んでないよなぁ……」
そうぽつりと呟くと、少し切なさが込み上げた。
素朴な田舎の風景から、藍人だけがまるで合成のように浮いて見える。それでも、藍人は心の底から幸せそうに微笑んでいた。まるで、自分がこの家族の中に入れたことを喜んでいるように。
藍人の輝くような笑顔を、画面越しに指先でそっと撫でる。自分のそんな感傷的な仕草が嫌になって、保は画面をスワイプして写真を消した。途端、スマホ画面に表示された時刻が目に入ってくる。
「ヤバッ!」
のんびりしている間に、出勤ギリギリの時間になっている。残っていた食パンを口に詰め込んで、牛乳で一気に流し込むと、保は慌てて立ち上がった。
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