【書籍化決定/完結】カメラ越しのシリウス イケメン俳優と俺が運命なんてありえない!

野原 耳子

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第三章

19 家族になりたい

 
 しばらく何の音も聞こえなかった。先ほどまでうるさかったはずの蛙や虫の鳴き声も聞こえず、田んぼに囲まれたあぜ道は静寂に満ちている。だけど、その静けさが今は心地よかった。

 藍人の顔が押し付けられた肩がじんわりと重たくて、じんわりと温かい。その重みに安心していると、ふっと藍人が顔をあげた。


「ごめん、保さんに怒鳴って」


 顔を背けながら、藍人が気まずそうな声で言う。その間も、決して保の顔を見ようとはしない。まるで反抗期の子供が母親に謝るみたいな態度に、保は思わず笑ってしまった。


「なんで、めちゃくちゃ顔を背けてるんですか」


 半笑いで訊ねると、藍人はこちらに半身を向けたまま、片手で自分の顔を隠しながらボソボソと聞き取りにくい声で答えた。


「だって、泣きっ面なんて格好悪いだろ……」


 よっぽど保に格好悪い姿を見せたくないらしい。その返答を聞いて、ぽつりと言葉が零れた。


「俺は、格好悪い藍人さんの方が好きかもしれないです」


 口に出した直後に『しまった』と思った。言うべきじゃないことを言ってしまったと思う。

 案の定、保の台詞を聞くと、藍人はパッと顔を向けて目を輝かせた。泣いたせいか、その目尻と鼻先が少し赤くなっている。


「本当に?」
「いや、あの、好きっていうのは、完璧な藍人さんよりも親しみやすいって意味で、それに仕事のときは格好良い方が好きです、って、その好きも憧れ的な意味で――」


 しどろもどろに言い訳をしている最中に、藍人が保を強く抱き締めてきた。そのまま、大型犬みたいにぐりぐりと頬を擦り寄せられる。まるで自分の匂いを染み込ませるような藍人の仕草に、保は硬直した。藍人の首筋から、サンダルウッドに似たフェロモンの香りが淡く漂ってくる。


「保さん、キスしていい?」
「は!?」


 耳元で囁かれた甘い声に、とっさに大声を返してしまう。保の声に驚いたのか、水の張られた田んぼで蛙が跳ねる水音が聞こえた。


「いやいやいやいや、ムリです、絶対にムリ」
「どうして無理なの?」
「だ……だって……」


 言いながら、藍人を見上げる。間近にとんでもなく綺麗な男の顔が見える。その背後には満天の星空があって、まるっきり美しい絵画のようだ。

 容量オーバーの美の暴力に、見る見るうちに顔面に血がのぼって、くらくらと眩暈が走る。保が唇を半開きにしたまま顔を真っ赤にしていると、藍人が囁くような声で漏らした。


「保さんからはお日様みたいな温かい匂いがする」


 愛おしむように、藍人が保の首筋に鼻先を擦り寄せる。そのくすぐったい感触に、咽喉が小さく上下した。


「俺は、フェロモンが薄くて、ほとんど匂いがしないと思うんですが……」


 強張った声で必死にそう返すと、藍人は、くつくつ、と咽喉の奥で小さく笑った。

「うん、きっと他のアルファは気付かないだろうね。だけど、僕だけは君の匂いが分かる。僕だけは、どこに行っても君を見つけ出せる」


 ひどく嬉しそうな声に、一瞬ぞわりと背筋が戦慄く。それは暗に『絶対に逃げられないからな』と告げているように聞こえた。

 目を見開いて、藍人を凝視する。だが、藍人はおぞましさなど微塵も感じさせない柔らかな微笑みを浮かべていた。それが余計に恐ろしい。先ほどまで目をうるうるさせていた子犬が、本当は尖った牙を持つ猛獣だと気付いたような気分だ。


「どうして、僕とキスするのは無理?」


 もう一度、同じ質問を藍人が投げてくる。保は鈍く咽喉を上下させながら、たどたどしい声をあげた。


「い……居たたまれないから、ですかね……」
「居たたまれない?」
「顔面偏差値が違いすぎて、申し訳なくなるというか……」


 視線を泳がせながら、おどおどとした口調で答える。すると、藍人はぽかんとした表情をした後、小さく噴き出した。


「誰に申し訳なくなるのさ」
「藍人さんのファンというか、全世界というか、もうありとあらゆる万物に対してですかね……」
「ずいぶんと壮大な話になってるなぁ」


 もじょもじょと答える保に対して、藍人が感嘆したみたいに呟く。


「だったら、僕が仕事を辞めたらキスさせてくれる?」
「俺は仕事を頑張る人が好きです」
「また、それぇ?」


 はっきりと答える保を見て、藍人が緩く首を傾げながら笑う。


「じゃあ、仕事を頑張るからキスさせてください」
「なんで、そうなる」


 なぜ保に一つもメリットがない条件を出せるのかが理解できない。こいつ、絶対に顔面でゴリ押ししようとしているだろう。

 保が顔を顰めていると、藍人が甘えるみたいにとろけた笑みを浮かべた。


「保さんがキスさせてくれたら、もっとお仕事頑張れる気がするなぁ」


 うわぁ、やっぱり顔面押しで来たよ。と頭の隅では思うのに、夜とは思えないほどにキラキラと輝く藍人の顔を見ていると、頑なだった心が勝手に緩んでいくのを感じた。


「ダメ?」


 訊ねてくる声に、拒絶の言葉が出てこない。保がはくはくと唇を上下させていると、不意に唇に柔らかいものが触れた。目蓋を閉じた藍人の顔がとんでもなく近くに見えて、息が止まる。

 唇が触れ合ったまま、は、と短く藍人が息を吐き出す。熱い呼気が唇に触れて、皮膚が粟立つような感覚を覚えた。

 緩く触れるだけのキスをして、藍人の唇が離れていく。保は呼吸を止めたまま、呆然と藍人の顔を見つめた。


「しっ……していい、って言ってない……」
「しちゃダメだって言わないのは、していいって言ってるのと同じだよ」
「屁理屈ッ!」


 保が甲高い声で叫ぶと、藍人はお腹を抱えてゲラゲラと笑い出した。その屈託のない笑い声に、顔面が熱くなっていく。


「あー、保さんって本当に面白いなぁ」
「人で遊ぶんじゃありません!」
「遊んでないよ。ものすごく真剣」


 笑いを止めると、藍人はふっと真顔になって保の手を両手で掴んできた。そのまま、真面目な表情でまっすぐ見つめられる。いつもと違う藍人の様子に、保は緊張で身体を強張らせた。


「真剣に、保さんが好きだよ」


 不器用な告白に、息を呑む。あんなに『番になりたい』と言われてきたのに、藍人から『好きだ』と告げられるのは初めてだった。


「きっと、保さんが運命じゃなくても、僕はきっと保さんに恋に落ちていた。今日それがはっきり分かった」


 ひどく恥ずかしそうに視線を伏せたまま、藍人が言う。普段ドラマであんな気障ったらしい台詞を言っているのに、その口調はお遊戯をしている子供みたいにたどたどしかった。


「保さんに好かれたい。どうやったら、保さんが僕のことを好きになってくれるのか。そんなことばかり、ずっと考えてる」


 保が息を止めていると、藍人がぽつりと呟いた。


「僕は、貴方と家族になりたい」


『番になりたい』でもなく、『結婚したい』でもなく、『家族になりたい』という素朴な言葉に、不意にふっと肩から力が抜けるのを感じた。無意識に口元が緩んで、諦念混じりの笑みを滲ませる。


「俺と家族になったら、またうちの親族にゲロ吐くまで飲まされますよ」


 照れ隠しのつもりで茶化すように返す。すると、藍人は拗ねたみたいに顔を顰めた。


「ゲロは吐かなかったじゃないか」
「次は絶対に吐かされますよ」
「次があるの?」


 次、という一言に、藍人が表情を明るくする。ああ言ってしまったな、と思ったけれども、それを失言だとは思わなかった。


「藍人さんが嫌じゃないなら、また来てください。うちの両親も妹も喜びますから」


 苦笑い混じりにそう言うと、藍人は、うわぁ、とはしゃいだ声をあげた。だが、すぐさま悪戯でも思い付いたみたいに口角を吊り上げる。


「それなら、もう結婚してご家族公認の仲になろうよ」


 調子に乗ったことを言う藍人に、保は小さく肩をすくめておどけた声を返した。


「それは、藍人さんがアカデミー賞みたいな凄い賞を取ったらですかね」


 無理難題をたきつけると、藍人は子供みたいに、えぇー、と声をあげた。その不満げな声音に、保は肩を揺らして笑った。
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