花嫁に「君を愛することはできない」と伝えた結果

藍田ひびき

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「先に言っておく。アンジェリカ、君を愛することはできない」

 数時間前に聖堂で夫婦の誓いを立てた花嫁に向かって、新郎であるレナード・フォーブズはそう告げた。
 
「そ……それは、どういうことでしょうか」
「俺には愛する人がいるんだ。君との結婚は主であるリンスコット侯爵の勧めだから断るわけにはいかなかったが、君を愛することはないし、閨を共にする事もない」

 新居に到着したばかりの二人は正装姿のままだ。
 アンジェリカの顔はベールに覆われているため、どんな表情をしているかは分からない。この国では結婚式当日の花嫁は、初夜までベールを外してはならないしきたりだ。しかし肩の震えやぎゅっと握られた手から、彼女がかなり動揺している事は察せられた。

(ここで泣き出されては、面倒だ)
 
「俺は自分の部屋へ戻る。君は好きに過ごしていてくれ」と言い捨てて、レナードは新妻へ背を向けた。

 
 ◇ ◇ ◇
 
 
 フォーブズ伯爵家の三男、レナードはリンスコット侯爵家に勤める騎士だ。
 
 嫡男とそのスペアである兄二人違って、レナードに継ぐものは無い。彼の将来を案じたフォーブズ伯爵は寄り親であるリンスコット侯爵に相談し、レナードが幼年学校を卒業したら騎士見習いとして雇って貰う約束を取り付けた。

 騎士の修行は辛いものだった。先輩にしごかれ、雑用ばかり言いつけられる。親元でぬくぬくと育てられてきたレナードにとって、それは耐えられない生活だった。

「あなた、どうしたの?どこか痛いの?」

 その日レナードは厩舎の隅で泣いていた。武具の掃除に手を抜いていたことが先輩にバレて罰として食事を抜かれた上、厩舎の掃除を言いつけられたのだ。
 顔を上げたレナードの目に入ったのは、同い年くらいの女の子だった。

 泣いていたところを女に見られたことが恥ずかしくて「な、何でもないよ」と取り繕ったその時、レナードのお腹がぐうぐうと鳴る。
 女の子はコロコロと笑って「これ、お屋敷の余り物だけど、私のおやつにしようと思っていたの。良かったらどうぞ」と小さな袋を手渡した。

「このクッキー美味しい!変わった香りだね」
「ルビハナの花の蜜が練り込んであるのよ」
 
 袋に入っていた甘い匂いのするクッキーへ齧り付くレナードを、彼女は微笑みながら見つめている。
 
 レナードの胸が高鳴った。
 お日様を受けてきらきらと光る金髪に、ぱっちりと大きな瞳。こんな可愛い女の子は見たことが無い。
 
「私、もう行かなきゃ。がんばってね、未来の騎士様!」
「あ、待って。名前を……」

 結局それ以来、彼女に会う事はなかった。
 たったひと時の邂逅。しかしそれはひどくレナードの心に焼き付いた。
 
 名前も聞けなかったけれど、この屋敷にいたということは侍女見習いか使用人の娘だろう。正式に騎士となれば、顔を合わせる機会があるかもしれない。
 いつか彼女と再会したときに、立派な騎士になった姿を見せるのだ。そう思えば、辛い訓練も苦にならなかった。

 そうして時が経ち、正式に騎士と認められたレナードは、リンスコット侯爵一家の護衛任務へ就くことになった。
 そして再会したのだ――リンスコット侯爵の愛娘、キャロラインに。
 
 あの愛らしい少女は、麗しい淑女へと成長していた。
 今や王太子の婚約者候補の中でも最有力と言われているらしい。
 
 護衛についたレナードを見ても、キャロラインは全く反応を見せなかった。幼い頃に一度会っただけの相手のことなど、彼女は忘れてしまったのだろう。
 そもそも騎士爵しか持たぬ自分にとっては、手を伸ばす事さえ憚られる高嶺の花だ。

 落胆と共に淡々と護衛を勤めていたある日、レナードの鼻に覚えのある香りが届いた。
 それは、ルビハナの花の香り。
 
 どうやらキャロラインお嬢様の付けている香水らしい。そしてレナードと視線が合った彼女は、いたずらっ子のように微笑みかけたのだ。
 『内緒よ』と言わんばかりに。

 レナードは歓喜した。
 お嬢様は俺を忘れていなかったのだ。そして恐らく――彼女も俺を想ってくれている。

 結ばれなくても構わない。
 ただ傍に立って彼女を守ることができたら。
 時折こうして、ルビハナの香りと共に視線を交わせることが出来たら。それだけで満足だ。

 キャロラインが王太子の婚約者に内定したと聞いても、むしろ喜ばしいことだとすら思った。
 他人の妻になったとしても、俺と彼女は真実の愛で結ばれている。その事実は彼を高揚させた。
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