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アリシアはハーネット伯爵家の長女として生まれた。
物心がついた最初の記憶は、両親が怒鳴り合っている姿である。アリシアの母親は非常に気に強い女性だった。それだけならば良い。だが彼女は歯に衣着せぬ物言いで、相手の失敗や欠点をあげつらう癖があった。
あまりの酷い言葉に、泣きながら辞めていくメイドもいた。夜会で貴族夫人と言い合いになり、その夫から抗議がきたこともあった。
毎回その対応に振り回されていたハーネット伯爵との夫婦仲がどんどん冷えこんでいったのは、当然のことだろう。
彼女はアリシアの弟を産んだあと、義務は終わったとばかりに夫へ離婚を突きつけて実家へ戻っていった。
「アリシア。貴族女性は淑やかで夫に従順であるべきだ。決して、お前の母親のようになってはいけないよ」
去っていく妻を見送りながらハーネット伯爵は娘へそう話した。まだ五歳のアリシアには、父親の言を疑うことなど思いも寄らないことだ。だから彼女はただ素直に「はい、お父様」と答えたのだった。
そうして、アリシアは物言わぬ令嬢となった。何が欲しいとも、何がしたいとも自分からは言わない。
親や家庭教師からすれば、手のかからない娘だった。
ドレスは侍女の選んだものを着るし、食べ物に好き嫌いはせず出されたものを大人しく食べる。趣味は刺繍を少し。これも家庭教師にそう指示されたからだった。
年頃になり、当然のことながらアリシアにも婚約話が幾つか舞い込んだ。
最初は伯爵家の長男だった。
互いの家格は同等。人柄も問題なく、申し分のない相手である。
ガーネットの瞳に美しくなびく銀髪を持つ彼女にすっかり惹かれた彼は、足しげくハーネット家に通った。だがしばらくして、婚約を丁重にを断る連絡が来た。
曰く、「あまりにも喋らないので、何を考えているか分からない。一緒にいて楽しくない。そのような方と家庭を持つのは……」ということだった。
その後も何人かの令息と顔合わせをしたが、みな同じだった。しばらくすると断りの連絡が来る。
貴族の間でアリシアの噂が広がった。もちろん、悪い意味で。
何度も婚約を断られた令嬢。ほとんど喋らないらしい。頭が弱いんじゃないか?などと揶揄する者もいた。
そうして彼女は”人形姫”というあだ名を付けられることになったのだ。
そんな彼女に、ようやく婚約までこぎ着ける相手が現れた。
それがクライヴ・アシュレー侯爵令息である。アシュレー侯爵家はハーネット家が新規に起こした事業の提携先だった。
「うちには気の強い姉と妹がいてね。あいつらといると息が詰まる。君のような淑やかな女性を是非妻に迎えたい」
そう言って差し伸べられた手を、アリシアは取った。尤も、それは彼女の意志ではなく、父親がそう望んだからだったが。
「派手な装いの女性はあまり好きじゃないんだ」
彼の言うとおり、流行遅れの地味なドレスを着た。野暮ったい髪型のせいでその美しい瞳は隠れてしまった。
「すまない、急用が入ったんだ。父の仕事の関係で」
そう言って誕生日をすっぽかされ贈り物一つ貰えなくても、不満は述べなかった。
「取引先のご令嬢でね。付き合いだから仕方ないんだ。分かってくれるよね」
夜会で自分以外の令嬢をエスコートしている婚約者を見ても、何も言わなかった。
「アリシア、クライヴ君とは仲良くやっているかい?」
ハーネット伯爵は時折、娘に尋ねる。アリシアの答えはいつも同じだ。
「はい、お父様。何も問題はございませんわ」
「そうか。この婚約は両家の結束を高めるためのものだ。事業を成功させるためにも、どうか上手くやっておくれ」
物心がついた最初の記憶は、両親が怒鳴り合っている姿である。アリシアの母親は非常に気に強い女性だった。それだけならば良い。だが彼女は歯に衣着せぬ物言いで、相手の失敗や欠点をあげつらう癖があった。
あまりの酷い言葉に、泣きながら辞めていくメイドもいた。夜会で貴族夫人と言い合いになり、その夫から抗議がきたこともあった。
毎回その対応に振り回されていたハーネット伯爵との夫婦仲がどんどん冷えこんでいったのは、当然のことだろう。
彼女はアリシアの弟を産んだあと、義務は終わったとばかりに夫へ離婚を突きつけて実家へ戻っていった。
「アリシア。貴族女性は淑やかで夫に従順であるべきだ。決して、お前の母親のようになってはいけないよ」
去っていく妻を見送りながらハーネット伯爵は娘へそう話した。まだ五歳のアリシアには、父親の言を疑うことなど思いも寄らないことだ。だから彼女はただ素直に「はい、お父様」と答えたのだった。
そうして、アリシアは物言わぬ令嬢となった。何が欲しいとも、何がしたいとも自分からは言わない。
親や家庭教師からすれば、手のかからない娘だった。
ドレスは侍女の選んだものを着るし、食べ物に好き嫌いはせず出されたものを大人しく食べる。趣味は刺繍を少し。これも家庭教師にそう指示されたからだった。
年頃になり、当然のことながらアリシアにも婚約話が幾つか舞い込んだ。
最初は伯爵家の長男だった。
互いの家格は同等。人柄も問題なく、申し分のない相手である。
ガーネットの瞳に美しくなびく銀髪を持つ彼女にすっかり惹かれた彼は、足しげくハーネット家に通った。だがしばらくして、婚約を丁重にを断る連絡が来た。
曰く、「あまりにも喋らないので、何を考えているか分からない。一緒にいて楽しくない。そのような方と家庭を持つのは……」ということだった。
その後も何人かの令息と顔合わせをしたが、みな同じだった。しばらくすると断りの連絡が来る。
貴族の間でアリシアの噂が広がった。もちろん、悪い意味で。
何度も婚約を断られた令嬢。ほとんど喋らないらしい。頭が弱いんじゃないか?などと揶揄する者もいた。
そうして彼女は”人形姫”というあだ名を付けられることになったのだ。
そんな彼女に、ようやく婚約までこぎ着ける相手が現れた。
それがクライヴ・アシュレー侯爵令息である。アシュレー侯爵家はハーネット家が新規に起こした事業の提携先だった。
「うちには気の強い姉と妹がいてね。あいつらといると息が詰まる。君のような淑やかな女性を是非妻に迎えたい」
そう言って差し伸べられた手を、アリシアは取った。尤も、それは彼女の意志ではなく、父親がそう望んだからだったが。
「派手な装いの女性はあまり好きじゃないんだ」
彼の言うとおり、流行遅れの地味なドレスを着た。野暮ったい髪型のせいでその美しい瞳は隠れてしまった。
「すまない、急用が入ったんだ。父の仕事の関係で」
そう言って誕生日をすっぽかされ贈り物一つ貰えなくても、不満は述べなかった。
「取引先のご令嬢でね。付き合いだから仕方ないんだ。分かってくれるよね」
夜会で自分以外の令嬢をエスコートしている婚約者を見ても、何も言わなかった。
「アリシア、クライヴ君とは仲良くやっているかい?」
ハーネット伯爵は時折、娘に尋ねる。アリシアの答えはいつも同じだ。
「はい、お父様。何も問題はございませんわ」
「そうか。この婚約は両家の結束を高めるためのものだ。事業を成功させるためにも、どうか上手くやっておくれ」
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