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辺境の地で
婚約式
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鏡の前で、僕は自分の少し腫れぼったい瞼を見て顔を顰めた。昨夜、シモン兄上の弟じゃない宣言を盗み聞きして泣いてしまったせいで、酷い顔をしている。丁度部屋に来た従者にその事を相談した。
バトラは腫れに効くという何かのクリームを僕の目元に塗ってくれた。昨夜のことを聞かないでいてくれる白髪混じりのバトラに感謝しながら、僕はにっこり微笑んだ。
「ありがとう、バトラ。…昨日姉上達と夜更かしをしたせいでこんな風になったみたい。さっきより目元がスッキリした気がするよ。」
微笑むバトラに手伝ってもらって、朝から正装を身につけた。細めの衿の黒いジャケットとピッタリとしたクリーム色のパンツ。それから膝下の黒革のロングブーツ、胸元は柔らかな艶のある青いチーフで飾られて、まさしく晴れの日に相応しい。
「このジャケットは、アンドレ様の美しい金髪と瞳を引き立てますね。本当にアンドレ様は辺境でも際立つ貴公子です。」
バトラが満足そうに、耳の下迄の緩い巻毛を整えながら鏡越しに言った。
僕は自分の姿を見て、確かに貴公子と言えばそうかもしれないと思った。それは僕の望みではないけれど。
「姉上の婚約式だもの。恥をかかせたくはないよ。今日の為に、あちこちから懇意にしている貴族も多く来ているのでしょう?」
僕がそう尋ねると、バトラは僕の首のチーフの上から細い金鎖を渡して留め金をつけながら言った。
「ええ。辺境伯は顔が広いですから。それに皆さんのお目当てはセリーナ様のお美しい姿だけでなく、シモン様やアンドレ様とお知り合いになる事も目的でしょうね。」
僕は動きを止めて眉を顰めた。
「僕はともかく、シモン兄上と知り合いになりたい貴族は多いだろうね…。あんなに素敵な次期辺境伯はそう居ないもの。」
兄上が王都へ行く前から、兄上の周囲にはいつも人だかりが出来ていた。それは子息や令嬢達もそうだったし、大人の貴族もそうだった。将来有望な兄上と縁を結びたいと思うのは僕にも当然の様に思える。
「他人事の様に仰りますけど、アンドレ様も今までの様に放って置かれることはありませんよ?12歳までは旦那様の意向で、あまり表舞台に立たせない様にとの方針でしたから。
アンドレ様は、お優しい性格でしたから、旦那様もご心配されたのです。今回は社交制限が無くなったので貴族の方々も遠慮はなさいませんでしょう。」
初めて聞く話に僕は鏡越しにバトラを見た。冗談を言っている様には見えなかった。この壮年の従者が嘘をつく理由もないだろう。
「そうなの…。全然知らなかった。じゃあ、今日は義父上を安心させる為に頑張らないといけないね。」
バトラはニッコリ微笑んで甘やかす様に言った。
「いつもの様に振る舞えば十分ですよ。アンドレ様は年齢の割に落ち着きがあって、お話しも上手ですからね。」
気負った気持ちが緩んで、僕はバトラに笑い返した。僕の従者はいつも僕に必要な言葉をくれる。
婚約式の騒めきの中、僕はお世話係の騎士であるアランと一緒に晩餐会を歩き回っていた。声を掛けて来る貴族達に言葉を返して、少しお話しするのは簡単な様で案外気疲れする。
貴族の連れたあまり面識のない同年代の令嬢や、子息らにまじまじと見つめられるのも息が詰まりそうだった。
「アンドレ様、少し休憩いたしましょう。」
アランにそう耳元で囁かれて、僕はホッとして家族用のティールームへ向かった。会場で主役の姉上達が来賓に囲まれてお祝いされている姿を微笑んで見つめながら、僕は無意識にシモン兄上の姿を探した。
年頃の煌びやかなご令嬢達が、頭ひとつ高いシモン兄上を囲んでいる。額を出して黒髪を撫で付けた遠目にも際立っているシモン兄上は、歳の近い令息らと歓談しながらも楽しげに彼女達のお相手をしているみたいだった。
次期辺境伯としてするべき事をしているだけなのに、僕の胸はチリっと痛んだ。僕は無意識に胸を撫でると、顔を背けて前を向いた。
「アンドレ様?疲れましたか?ちょっとサボっても叱られないでしょう。13歳にしては十分な社交ぶりでしたから。」
アランの声を聞きながら、僕は苦笑した。
「兄上は僕の歳の頃はもっとちゃんとしていたんじゃない?僕は期待されていないとしても、やれる事はやるつもりだよ。」
ティールームでお茶を飲みながらホッとしていると、目の前のアランが僕をじっと見て言った。
「…アンドレ様はどうしていつもそう考えるのですか。ご自分の事をまるで分かってらっしゃらない様ですね。皆は辺境でこれ以上望めない貴公子を得られたと、アンドレ様を誇らしく感じているのですよ?
…私は時々アンドレ様が、いつか折れてしまうのではないかと心配になる事があります。もっと周囲に甘えて下さい。その為に私もいるのですから。」
アランに僕の手をぎゅっと握られて、僕はその逞しくて温かな感触に慰められた。
「ありがとう、アラン。きっと僕はシモン兄上に認められたいんだ。でもそれは無理みたいだから、僕は早く一人立ち出来る様に頑張るつもりだよ。
そんな顔をしないで?さあ、いつまでもここに逃げ込んでいる訳にいかないから会場に戻ろう。姉上をお祝いしなくちゃ。」
何か言いたげなアランをせき立てて、僕は会場へと向かった。僕に望まれる役割を果たそうと、微笑みを浮かべて。
バトラは腫れに効くという何かのクリームを僕の目元に塗ってくれた。昨夜のことを聞かないでいてくれる白髪混じりのバトラに感謝しながら、僕はにっこり微笑んだ。
「ありがとう、バトラ。…昨日姉上達と夜更かしをしたせいでこんな風になったみたい。さっきより目元がスッキリした気がするよ。」
微笑むバトラに手伝ってもらって、朝から正装を身につけた。細めの衿の黒いジャケットとピッタリとしたクリーム色のパンツ。それから膝下の黒革のロングブーツ、胸元は柔らかな艶のある青いチーフで飾られて、まさしく晴れの日に相応しい。
「このジャケットは、アンドレ様の美しい金髪と瞳を引き立てますね。本当にアンドレ様は辺境でも際立つ貴公子です。」
バトラが満足そうに、耳の下迄の緩い巻毛を整えながら鏡越しに言った。
僕は自分の姿を見て、確かに貴公子と言えばそうかもしれないと思った。それは僕の望みではないけれど。
「姉上の婚約式だもの。恥をかかせたくはないよ。今日の為に、あちこちから懇意にしている貴族も多く来ているのでしょう?」
僕がそう尋ねると、バトラは僕の首のチーフの上から細い金鎖を渡して留め金をつけながら言った。
「ええ。辺境伯は顔が広いですから。それに皆さんのお目当てはセリーナ様のお美しい姿だけでなく、シモン様やアンドレ様とお知り合いになる事も目的でしょうね。」
僕は動きを止めて眉を顰めた。
「僕はともかく、シモン兄上と知り合いになりたい貴族は多いだろうね…。あんなに素敵な次期辺境伯はそう居ないもの。」
兄上が王都へ行く前から、兄上の周囲にはいつも人だかりが出来ていた。それは子息や令嬢達もそうだったし、大人の貴族もそうだった。将来有望な兄上と縁を結びたいと思うのは僕にも当然の様に思える。
「他人事の様に仰りますけど、アンドレ様も今までの様に放って置かれることはありませんよ?12歳までは旦那様の意向で、あまり表舞台に立たせない様にとの方針でしたから。
アンドレ様は、お優しい性格でしたから、旦那様もご心配されたのです。今回は社交制限が無くなったので貴族の方々も遠慮はなさいませんでしょう。」
初めて聞く話に僕は鏡越しにバトラを見た。冗談を言っている様には見えなかった。この壮年の従者が嘘をつく理由もないだろう。
「そうなの…。全然知らなかった。じゃあ、今日は義父上を安心させる為に頑張らないといけないね。」
バトラはニッコリ微笑んで甘やかす様に言った。
「いつもの様に振る舞えば十分ですよ。アンドレ様は年齢の割に落ち着きがあって、お話しも上手ですからね。」
気負った気持ちが緩んで、僕はバトラに笑い返した。僕の従者はいつも僕に必要な言葉をくれる。
婚約式の騒めきの中、僕はお世話係の騎士であるアランと一緒に晩餐会を歩き回っていた。声を掛けて来る貴族達に言葉を返して、少しお話しするのは簡単な様で案外気疲れする。
貴族の連れたあまり面識のない同年代の令嬢や、子息らにまじまじと見つめられるのも息が詰まりそうだった。
「アンドレ様、少し休憩いたしましょう。」
アランにそう耳元で囁かれて、僕はホッとして家族用のティールームへ向かった。会場で主役の姉上達が来賓に囲まれてお祝いされている姿を微笑んで見つめながら、僕は無意識にシモン兄上の姿を探した。
年頃の煌びやかなご令嬢達が、頭ひとつ高いシモン兄上を囲んでいる。額を出して黒髪を撫で付けた遠目にも際立っているシモン兄上は、歳の近い令息らと歓談しながらも楽しげに彼女達のお相手をしているみたいだった。
次期辺境伯としてするべき事をしているだけなのに、僕の胸はチリっと痛んだ。僕は無意識に胸を撫でると、顔を背けて前を向いた。
「アンドレ様?疲れましたか?ちょっとサボっても叱られないでしょう。13歳にしては十分な社交ぶりでしたから。」
アランの声を聞きながら、僕は苦笑した。
「兄上は僕の歳の頃はもっとちゃんとしていたんじゃない?僕は期待されていないとしても、やれる事はやるつもりだよ。」
ティールームでお茶を飲みながらホッとしていると、目の前のアランが僕をじっと見て言った。
「…アンドレ様はどうしていつもそう考えるのですか。ご自分の事をまるで分かってらっしゃらない様ですね。皆は辺境でこれ以上望めない貴公子を得られたと、アンドレ様を誇らしく感じているのですよ?
…私は時々アンドレ様が、いつか折れてしまうのではないかと心配になる事があります。もっと周囲に甘えて下さい。その為に私もいるのですから。」
アランに僕の手をぎゅっと握られて、僕はその逞しくて温かな感触に慰められた。
「ありがとう、アラン。きっと僕はシモン兄上に認められたいんだ。でもそれは無理みたいだから、僕は早く一人立ち出来る様に頑張るつもりだよ。
そんな顔をしないで?さあ、いつまでもここに逃げ込んでいる訳にいかないから会場に戻ろう。姉上をお祝いしなくちゃ。」
何か言いたげなアランをせき立てて、僕は会場へと向かった。僕に望まれる役割を果たそうと、微笑みを浮かべて。
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