公爵令嬢の辿る道

ヤマナ

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いつか見た夢の世界で

邂逅

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またしても与えられた休暇に慄きながら、来週一週間も与えられた休暇をどう過ごすべきかを考える。
とりあえず、商店で取り扱う品の範囲を広げてみようかしら。 他の商店に偵察にでも行って、売れ筋の品や流行りの品なんかを調べてみるのもいいかも。 
それから、どんな品が作れて、採算はどの程度が予想できるか計算して……実物を見て回ってから、要検討。
そんな事を考えていれば、未だどことなく作り物めいた良い笑顔を浮かべているジークはため息を一つ吐いた。

「……休めと言うのに、君はまた他の仕事の算段でも検討しているようだな。 本当、その働き癖はどうにかならないものか」

「何の事でしょう。 私はただ、来週全ての予定が空く事になった時間をどう過ごすか思案していただけです」

「………そうかい。 まぁ、君の私生活にまでは俺も口を出すべきではないからな、好きに過ごせばいいさ。 ただし、無理は厳禁だからな」

本当、この人はどこまで勘が良いのか……。
ともかく、ジークからも許しというか若干の諦観にも似た許可を得たので、生徒会業務と体術の指導訓練が休みの間は商店と領地の事に専念すると決めた。 まあ、許可など無くてもそうするのだけれど。
ここ2、3週間行けていなかった孤児院にも久し振りに顔を出す事にしよう。 ……パーティーで私がどうなるか今は分からないけれど、もしかしたらずっと会えなくなる可能性だってあるのだから。 
だからこそまた、孤児院のみんなに会っておきたい。 心の底から、そう思う。

それからは結局、ジークとは雑談を交わしながらお茶会をするだけに留まり、特筆するような重要事項について話すような事も無く、ひたすらに穏やかな時間を過ごすだけに終わった。
ここ数日の間ずっとそうで、訓練の後は必ずジークの元に招かれてそんな時間を過ごす。 
ジークの小言や些事程度のお話に、時として趣味や将来の話をしたりする。
それらにどう言った目的があり、そしてそれはジークを守るための訓練よりも重要な事なのかは私には分からない。 これは、ジークの暗殺を企てる者達に、私という存在を自然なものと認識付けるための事なのだろうか。

「それでは、また明後日だな。 ……くれぐれも、無理をして倒れる事の無いようにな。 来週はしっかりと体を休めるんだぞ」

「ええ、はい。 存じております」

本日は、これで何度目か。 ジークは別れの際にも私への小言、もとい心配の言葉をまた口にする。
どれだけ心配性なのかとか、そんなにも信用されてないのかとか思うけれど、それに触れるのも余計な事のような気がして、微笑んで流しておく事にした。 触らぬ神になんとやら、である。
茶会も、もうお開きだ。 暇の言葉でもと口を開きかけ……その時、客間にノックの音が響いた。

「失礼いたします、王太子殿下。 至急、お話しすべき事案が発生いたしまして。 ご令嬢との茶会の時を邪魔する形となってしまいましたこと、平にご容赦を」

背後から耳に響いてきたのは、忘れもしない不快な音。
あまりにも唐突な事に心臓が蹴り上げられたように鼓動を早めて、どんどん呼吸が浅くなっていく。

「これはこれは。 麗しいご令嬢でございますな、王太子殿下。 もしや、今、宮内にてまことしやかに囁かれる噂のユースクリフ公爵令嬢とは彼女で?」

不快な声の主は、どんどん距離を詰めてきている。 一歩、一歩と足音が近付き、そして私の真横で止まった。

「初めまして、ご令嬢。 自己紹介が遅れてしまい申し訳ない。 私は国防の要たる辺境の地を治めるヤザル家が当主。 名を」

ルーディック・ヤザル。 
細身で、病的なまでに肌が白く、長身で、カラスを思わせる不吉な相の出た顔付きをした男。
私に握手を求めて手を差し出し、目の前で薄ら寒いほどに教本通りの人当たりが良さげな笑みを貼り付け、しかしその奥に溢れる喜色を隠そうともせずに、唄うように不快な音の羅列を述べる…………豚伯爵。
瞬間、記憶が溢れ出す。 
3度目の生の、今際の際。 
それは剣術大会の時と同じ、迫り来る男の手の映像。 
抗えず、そのための力も無く、理不尽に散らされた、私の唯一忌むべき記憶。

「ユースクリフ公爵家が娘、エリーナ・ラナ・ユースクリフと申します。 お会いできて光栄にございますわ、国防の要地たる辺境を治めるヤザル辺境伯様」

いつも通りに笑顔の仮面を被って、忌まわしい目の前の男に名乗り返す。 貴族としての礼儀ゆえ、私怨と衝動を抑えて、今にも曝け出しそうになる感情を仮面で抑えつける。 
それでも差し出された手を無視したのは、ほんの些細な反抗心から。 でないと、耐えられそうになかった。
仮面の裏では、あの男を前にして蠢き荒む心の渦を面に出さないように唇を強く噛み締めているのだから。
心臓の鼓動は未だ速く、浅い呼吸になるせいで思考さえも靄がかかっていくようだ。

「ヤザル辺境伯、急ぎの話とは何かな? 茶会は今終わった所だから今から聞こう。 それではエリーナ嬢、またね」

そんな、ギリギリ保っているにすぎない私の心情を知ってか知らずか、ジークの言葉は大きな助けとなった。 

「はい、殿下。 失礼いたします……」

淑女の礼をとり、客間を後にする。
待機していたアルダレートと合流して、ユースクリフ邸までの帰り道を馬車に揺られながら行く。
邸に着くとアリーに着替えさせられて、疲れたからと夕食を自室で済ませ、湯浴みをしてベッドに着く。
そして眠りにつくまでの間ずっと、ついさっき王城の客間にて要らぬ邂逅を果たしたあの豚伯爵に対する感情でこの心は、ずっと荒んでいた。


◆  ◆  ◆  ◆  ◆


忘れもしない、忘れられない、忘れてしまう事の出来ない、とても醜悪で強烈な忌まわしい3度目の生。
その記憶の中心に位置し、私に今でも引き摺る事となったトラウマを植え付けた張本人。 
それが、ルーディック・ヤザル辺境伯。 
私が畏れ、そして豚と嘲弄する男だ。
買われ、飼われ、あの男の物になってから何度も、何度も何度も何度も何度も、痛め付けられ、犯された。 気が狂いそうになる程に、いっそ死んでしまう事の方が楽な道であると錯覚してしまう程に、私の身体は少しずつ壊されていった。
あの男は、私に対してイザベラ、私の実母への愛を語る。 語りながら、暴力を振るうのだ。
蹴られ殴られは当たり前。 痛みに歪んだ顔が見たいと腕を折られ、吐瀉物を浴びたいと腹を何度も蹴られた。 水に顔を押し付けられて、窒息させられそうになった事もある。
あの男には、嗜虐趣味がある。 それも、本人の頭が何者よりも飛び抜けて狂っているからこそ、どんなに残酷な仕打ちでさえも行えてしまう容赦の無さで。
それがとても恐ろしく、抗う力を持たなかった私への絶対的な暴力だった。
私はあの男に、身体を壊され、心を砕かれ、最後には命さえも絶たれた。

ーーそんな危険人物が、なぜ今はジークの下に付くような位置にいるというのだろうか。

そもそも、あの男は辺境伯で、国防の要地の領主として国境となる大きな樹海を超えた先にある帝国からの侵略行為に目を光らせる事が仕事の筈だ。 ここに居る理由が分からない。
タイミングが良すぎる気がするのだ。 ジークが命を狙われているその時に、それまで姿を見なかった人物が現れるなどと。
………とても、きな臭い。

「なんて、私怨で思考を狭めるのはいけないわね」

あくまで、現状で意識すべきはジークに害が及ばぬように行動する事。 あんな豚伯爵の事では、断じて無い。
しかし、それでも意識をしてしまうのは仕方のない事だ。
私にとってもう見たくもなく、関わりたくもなく、思い出したくもない、最も悍ましい存在。 それが、あのルーディック・ヤザルという男なのだから。

「でも、叶うのならば」

無意識に呟いた、不意に浮かんだ願望。
それはとても恐ろしくて、しかし蠱惑的な悪魔の囁きのようだった。
だから私は布団を頭から被って、今さっき浮かんだ願望を頭の中から追い出そうとキツく目を瞑る。 あんな恐ろしい願望など、捨ててしまうべきなのだ。 
私は、また罪を重ねる事になってしまうではないかと、自らに言い聞かせ続けた。
穏やかで完全な死を、この生でこそ。
そのために私は、ここまでやってきたのだ。
今さら、豚伯爵が現れた程度で揺らいでなどいられない。 そう自らに言い聞かせて喝を入れ、豚の存在を頭の中より追い出す。
間違えてはいけない。 忘れてはいけない。
今生でこそ穏やかな死を。
それこそが、私の最期の願いだという事を。
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