46 / 83
辺境伯軍
辺境伯軍(6)
しおりを挟む老女の言葉に、ユリウスは顔を強張らせる。
しかし、それ以上に驚いた素振りを見せたのが、令嬢と侍女たちだった。
令嬢は驚愕に目を見開いて老女を見下ろし、それまで傍らでかしこまっていた侍女たちまでもが、ただならぬ様子で囁き合っている。
「奥様がお話になったのは何年ぶりかしら」
「私は侍女になって一度もお声を聞いておりませんから、少なくとも五年以上は経っていると思います」
どうやら、老女は長い間、一言も声を発していなかったらしい。
そんな彼女たちの驚きをよそに、老女はふいに立ち上がった。勢いあまってよろめき、隣にいた令嬢が慌てて支える。
「あなた……、オメガね。オメガの男の子ね……」
それまで庭園の花々も、隣に座る美しい令嬢も、映していなかったような虚ろな瞳が、今はしっかりとした意志を宿し、ユリウスを見ていた。
大切そうに抱いていた男の子の人形を芝生の上に放り、老女はユリウスに向かって両手を伸ばして近づいて来る。
鬼気迫るその形相が恐ろしくなり、ユリウスは必死の声を上げた。
「ベータです! 僕、オメガじゃなくベータです!」
足を止めた老女は、その場に立ち竦み、しばらくの間、ユリウスを見下ろしていた。その瞳から急速に光が失われていくのがわかる。
「……そう。オメガじゃないの……」
オメガであることに気づかれ、オメガが使用人として働いていることを咎められるかと思ったのだが。その声も表情も、「オメガじゃない」というユリウスの言葉に、ひどく落胆しているようだった。
オメガだと露見したわけではないとわかり、ユリウスはホッと肩の力を抜いた。
しかし、気を抜いたせいか、ぐう、と腹の虫が鳴ってしまう。
「あなた、おなかが減っているの?」
訊ねたのは令嬢だ。
「お昼時しか仕事を抜けられないので……、今日は昼食を食べることは諦めています」
令嬢は鼻で笑った。
「あなた、戦場なら一番最初に死ぬタイプね」
変わらず、その視線も声も冷ややかだったけれど。
「この者に、お菓子を分けてあげなさい」
冷ややかな顔のまま、後ろに控えていた侍女に、そう命じた。
予想外の展開になり、慌てたのはユリウスだ。
「い、いえ、一食抜くくらい平気なので、どうかお気になさらず!」
「そんなこと言って、お腹を鳴らしていたじゃないの」
侍女はユリウスの返事を待たずに、お菓子を麻布に包んで、渡してきた。
肉の詰まったパイと、イチヂク入りの焼き菓子のようだ。兵士ですら、滅多に食べられないものだろう。空腹と、久々に嗅ぐ甘く香ばしい香りに抗えず、ユリウスは受け取ってしまう。
「すみません……。ありがとうございます」
お菓子をくれた年配の侍女が、老女にそっと声をかけ、背中に手を添えて、椅子へと連れて行く。老女は何か心残りでもあるかのように、顔を振り向かせながら歩いていた。
老女が椅子に座るのを見届け、令嬢はユリウスに視線を戻した。
「あなた、明日もこの時間にここに来なさい。昼食を用意しておくから、ここで食べたらいいわ」
「――え……ええ!? い、いや、なぜ、僕が? 僕、軍の使用人ですよ」
すぐには答えず、彼女は冷ややかにユリウスを一瞥すると、踵を返した。東屋に戻り、老女の隣の、元いた椅子に腰を下ろす。
「お母様があなたに興味を持ったみたいだから。お母様、ここ最近の食事はスープをほんの少ししか口にされていないの。あなたが一緒なら、何か召し上がってくださるかもしれないわ」
それを聞いて初めて、祖母と孫だとばかり思っていた二人の関係が、実は親子であったことを知った。
まるで老女のような母親のことは気にかかるが、かといって、令嬢の話は到底承服できるものではない。
「初対面の僕がいたら、余計に奥様のご気分を害してしまうのではないでしょうか。それに、軍の使用人は、ゆっくり昼食を食べる時間がないくらい忙しくて……」
「領主の娘の命令が聞けないって言うの!?」
声を荒げた彼女の言葉で、初めて、その美しい令嬢がウェルナー辺境伯の娘であることに理解が及んだ。すなわち、ラインハルトと婚姻が噂されているお相手――。
普通に考えたら、城内の庭園でお茶をしていることからも、その美しさからも、それ以外ありえなかったのに。
「ここで昼食を食べてくれるのなら、薬草の件は、必要なものを手配するように私から従僕長に命じておくわ。あなたは今まで食べたことのないような豪華な食事を食べられるんだし、悪い話じゃないでしょ」
ユリウスは、急に苦しくなった胸を、衣の前をぎゅっと握りしめてやり過ごした。
相手は主人でこちらは使用人。貴族と平民でもある。断れるはずがなかった。
661
あなたにおすすめの小説
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻本作品(オリジナル)の結末をif(運命の番)ルートに入れ替えて、他サイトでの投稿を始めました。タイトルは「一度目の結婚で愛も希望も失くした僕が、移住先で運命と出逢い、二度目の結婚で愛されるまで」に変えてます。
オリジナルの本編結末は完全なハッピーエンドとはいえないかもしれませんが、「一度目の〜…」は琳が幸せな結婚をするハッピーエンド一択です。
5回も婚約破棄されたんで、もう関わりたくありません
くるむ
BL
進化により男も子を産め、同性婚が当たり前となった世界で、
ノエル・モンゴメリー侯爵令息はルーク・クラーク公爵令息と婚約するが、本命の伯爵令嬢を諦められないからと破棄をされてしまう。その後辛い日々を送り若くして死んでしまうが、なぜかいつも婚約破棄をされる朝に巻き戻ってしまう。しかも5回も。
だが6回目に巻き戻った時、婚約破棄当時ではなく、ルークと婚約する前まで巻き戻っていた。
今度こそ、自分が不幸になる切っ掛けとなるルークに近づかないようにと決意するノエルだが……。
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
番解除した僕等の末路【完結済・短編】
藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。
番になって数日後、「番解除」された事を悟った。
「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。
けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。
結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした
紫
BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。
実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。
オメガバースでオメガの立場が低い世界
こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです
強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です
主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です
倫理観もちょっと薄いです
というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります
※この主人公は受けです
当たり前の幸せ
ヒイロ
BL
結婚4年目で別れを決意する。長い間愛があると思っていた結婚だったが嫌われてるとは気付かずいたから。すれ違いからのハッピーエンド。オメガバース。よくある話。
初投稿なので色々矛盾などご容赦を。
ゆっくり更新します。
すみません名前変えました。
初夜の翌朝失踪する受けの話
春野ひより
BL
家の事情で8歳年上の男と結婚することになった直巳。婚約者の恵はカッコいいうえに優しくて直巳は彼に恋をしている。けれど彼には別に好きな人がいて…?
タイトル通り初夜の翌朝攻めの前から姿を消して、案の定攻めに連れ戻される話。
歳上穏やか執着攻め×頑固な健気受け
アルファのアイツが勃起不全だって言ったの誰だよ!?
モト
BL
中学の頃から一緒のアルファが勃起不全だと噂が流れた。おいおい。それって本当かよ。あんな完璧なアルファが勃起不全とかありえねぇって。
平凡モブのオメガが油断して美味しくいただかれる話。ラブコメ。
ムーンライトノベルズにも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる