売れ残りオメガの従僕なる日々

灰鷹

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辺境伯軍

辺境伯軍(6)

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 老女の言葉に、ユリウスは顔を強張らせる。
 しかし、それ以上に驚いた素振りを見せたのが、令嬢と侍女たちだった。
 令嬢は驚愕に目を見開いて老女を見下ろし、それまで傍らでかしこまっていた侍女たちまでもが、ただならぬ様子で囁き合っている。

「奥様がお話になったのは何年ぶりかしら」
「私は侍女になって一度もお声を聞いておりませんから、少なくとも五年以上は経っていると思います」

 どうやら、老女は長い間、一言も声を発していなかったらしい。
 そんな彼女たちの驚きをよそに、老女はふいに立ち上がった。勢いあまってよろめき、隣にいた令嬢が慌てて支える。

「あなた……、オメガね。オメガの男の子ね……」

 それまで庭園の花々も、隣に座る美しい令嬢も、映していなかったような虚ろな瞳が、今はしっかりとした意志を宿し、ユリウスを見ていた。
 大切そうに抱いていた男の子の人形を芝生の上に放り、老女はユリウスに向かって両手を伸ばして近づいて来る。
 鬼気迫るその形相が恐ろしくなり、ユリウスは必死の声を上げた。

「ベータです! 僕、オメガじゃなくベータです!」

 足を止めた老女は、その場に立ち竦み、しばらくの間、ユリウスを見下ろしていた。その瞳から急速に光が失われていくのがわかる。

「……そう。オメガじゃないの……」

 オメガであることに気づかれ、オメガが使用人として働いていることを咎められるかと思ったのだが。その声も表情も、「オメガじゃない」というユリウスの言葉に、ひどく落胆しているようだった。

 オメガだと露見したわけではないとわかり、ユリウスはホッと肩の力を抜いた。
 しかし、気を抜いたせいか、ぐう、と腹の虫が鳴ってしまう。

「あなた、おなかが減っているの?」

 訊ねたのは令嬢だ。

「お昼時しか仕事を抜けられないので……、今日は昼食を食べることは諦めています」

 令嬢は鼻で笑った。

「あなた、戦場なら一番最初に死ぬタイプね」

 変わらず、その視線も声も冷ややかだったけれど。

「この者に、お菓子を分けてあげなさい」

 冷ややかな顔のまま、後ろに控えていた侍女に、そう命じた。
 予想外の展開になり、慌てたのはユリウスだ。

「い、いえ、一食抜くくらい平気なので、どうかお気になさらず!」
「そんなこと言って、お腹を鳴らしていたじゃないの」

 侍女はユリウスの返事を待たずに、お菓子を麻布に包んで、渡してきた。
 肉の詰まったパイと、イチヂク入りの焼き菓子のようだ。兵士ですら、滅多に食べられないものだろう。空腹と、久々に嗅ぐ甘く香ばしい香りに抗えず、ユリウスは受け取ってしまう。

「すみません……。ありがとうございます」

 お菓子をくれた年配の侍女が、老女にそっと声をかけ、背中に手を添えて、椅子へと連れて行く。老女は何か心残りでもあるかのように、顔を振り向かせながら歩いていた。
 老女が椅子に座るのを見届け、令嬢はユリウスに視線を戻した。

「あなた、明日もこの時間にここに来なさい。昼食を用意しておくから、ここで食べたらいいわ」
「――え……ええ!? い、いや、なぜ、僕が? 僕、軍の使用人ですよ」

 すぐには答えず、彼女は冷ややかにユリウスを一瞥すると、踵を返した。東屋ガゼボに戻り、老女の隣の、元いた椅子に腰を下ろす。

「お母様があなたに興味を持ったみたいだから。お母様、ここ最近の食事はスープをほんの少ししか口にされていないの。あなたが一緒なら、何か召し上がってくださるかもしれないわ」

 それを聞いて初めて、祖母と孫だとばかり思っていた二人の関係が、実は親子であったことを知った。
 まるで老女のような母親のことは気にかかるが、かといって、令嬢の話は到底承服できるものではない。

「初対面の僕がいたら、余計に奥様のご気分を害してしまうのではないでしょうか。それに、軍の使用人は、ゆっくり昼食を食べる時間がないくらい忙しくて……」
「領主の娘の命令が聞けないって言うの!?」

 声を荒げた彼女の言葉で、初めて、その美しい令嬢がウェルナー辺境伯の娘であることに理解が及んだ。すなわち、ラインハルトと婚姻が噂されているお相手――。
 普通に考えたら、城内の庭園でお茶をしていることからも、その美しさからも、それ以外ありえなかったのに。

「ここで昼食を食べてくれるのなら、薬草の件は、必要なものを手配するように私から従僕長に命じておくわ。あなたは今まで食べたことのないような豪華な食事を食べられるんだし、悪い話じゃないでしょ」

 ユリウスは、急に苦しくなった胸を、衣の前をぎゅっと握りしめてやり過ごした。
 相手は主人でこちらは使用人。貴族と平民でもある。断れるはずがなかった。


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