糸と蜘蛛

犬若丸

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4章 闇底で交わす小指

カンダタ、生前 崩れる 16

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 体力が削られ、叫ぶことも格子を蹴ることもなくなった。だらしなく開いた唇から涎と声が漏れる。
 「卵が増えたね。いくつか蛹になっていそうだ。言葉はわかるかい?」
 「あ、い」 
 「今日は何日目?」
 削った床の線を数える。一本目と違って三本目は薄く短い。
 「よう、よん、よんほん、よっか」
 喋ろうとすると頭が混乱し、文字が整理できなくなる。
 「よくできました」
 優しく頭を撫で、褒める。
 「四日も経った。あと三日も楽勝だ」
 増殖する幼虫は脊髄だけでは留まってくれず、骨を噛み、肉を削って全身を這う。
 「そろそろあの子が寂しくなってきたんじゃないか?」
 四回目の接合を終え、蝶男は囁く。
 「あの、こ?」
 誰のことだろう。
 「ほら、君に髪結いを渡した子だよ」
 黒く長い髪と赤い着物。そこまでは思い出せるのに姿がぼやける。
 「会いたいかい?」
 返事はない。ただ目から落ちた一滴の涙が答えになった。
 「あの子も君と同様に耐え忍んでいる。君の為にね」
 今も、苦しんで泣いているのだろうか。そう思うと悲しくなってきた。
 「残念だが会わせてやることはできない。代わりにあの子の匂いがするお香を焚いてやろう」
 檻の前に香炉が置かれていた。その中には火が点いた線香がある。俺の頬を撫でる煙は甘い匂いがした。
 「わかるかい?あの子の匂いだ。最後に君に言ったことを思い出せるかい?」
 最後、最後に会った時は確か、抱き締められていた。それから、この線香と同じ匂いがして、俺に言った。
 「し、んじて、しんじて」
 必死に頭を回して、なんとか答えを絞り出す。
 「そうだね。なら、君も信じてあげないとね」
 昼食として柘榴を檻に置き、去っていく。
 置かれた途端、食欲は抑えきれなくなり、すぐに柘榴を貪った。お香はたかれたまま、甘い匂いが俺を包む。
 それだけであの子が傍にいてくれる気がする。包まれている気がする。
 あと少し、もう少し。
 俺は小刀で床を削り、四本目の線を引いた。
 夜になると幼虫が騒ぎ、俺の体内の貪り、いくつもの巣を作る。
 脳は苦痛として捉えなくなった。体内を犯す幼虫を快いものだと錯覚するようになった。
 うまく喋れず、口から出るのは短い単語ばかりだ。どの感覚も鈍っているのに空腹だけははっきりとわかる。
 脳も身体も人間から離れていく。内側から作り変えられているようだ。このまま耐え続けられたとしても、俺は人としていられるだろうか。
 「羽化が近い」
 すっかり聞き慣れた蝶男の声。
 「さぁ、今日は何日目たい?」
 「むうむう、むいか」
 足りない頭で答える。
 「お香は気にいったかな。あの子を傍で感じるかい?」
 今でも感じる。あの子の体温。俺を優しく包み、耳元で囁く。「信じて」「私のために」「耐えて」「望み通りに」あの声で言うのだ。 声、声?どんな声をしていたか、思い出せない。
 「怖がることはない。すぐに思い出せる」
 慰めとして言われても忘れている恐怖は流れない。
 あの子の容姿や声を鮮明に掴もうとしても記憶は霧となって消えてしまう。
 「い、いや、いやだ」
 忘れたくない。あの子は記憶でさえ、俺を置いていこうとする。
 懇願し、呼吸が荒くなる。蝶男の袖を掴む。体内の幼虫が俺の感情に反応し、激しく動き回る。
 苦痛でさえなくなったその感覚に身体が痙攣し、呼吸もままならない。
 そんな俺に蝶男は背中を摩る。
 「落ち着いて。僕に合わせて呼吸するんだ」
 言われた通りに呼吸を合わせ、空気を吸い、吐くを繰り返す。そうしているうちに幼虫は眠りについて俺の痙攣も治まる。
 「そのまま、呼吸をして。僕の声を聞いて」
 顎から頬を両手で包み、顔を上げさせられる。俺の虚ろな目と細く笑う蝶男の目が合う。
 「ゆっくりと思い出せばいい。あの子はどんな声をしていたか。あの子の声は鶯のような可愛らしいものだ」
 そうだろうか。春のような人だった気がする。
 目を逸らし、記憶に潜ろうとすると頭を軽く揺さぶられる。
 「僕の目を見るんだ。呼吸も教えた通りに続けなさい」
 俺の目は蝶男と合わさる。蝶男は俺を責めているわけではなかった。穏やかに正しい道へと導きせようと話をする。
 「髪は高く結われて、動くたびに黄金色の簪が揺れていた。金糸の刺繍が入った虫襖色の織物を着こなし、悠々と煙管を咥えていた。そうだね?」
 ああ、そうだ。俺はその人を知っている。
 「妖艶で扇情的な人だ」
 俺は頷く。
 「君はあの子の為に耐えている。耐え凌げば
望むものが手に入るんだ」
 また頷く。蝶男の声はするすると俺の頭に入り、刻まれていく。
 「のぞ、むもの」
 「子供だよ。欲しいんだろう?それが君の幸福だ」
 ずっと望んでいた。俺の望み。
 「手に入れるために死んでも構わない。そのために今を耐えている。そうだろう?」 
 そうだ、望むものが手に入れば死んでもいい。俺の反応見た蝶男は満足して頭を撫でる。
 「あと少しだ」
 そう言いながら手を放した。
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