糸と蜘蛛

犬若丸

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6章 盤上の外で蜘蛛喰い蝶は笑う

目覚めて夢の中 11

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 「蝶男から伝言を頼まれたの。病院に行けば息子、学校に行けば想い人。好きなほうをカンダタが選んで」
 そう告げると思考停止したカンダタは我に返った。
 窓をすり抜けた清音を捕まえようと動き出す。カンダタが庭に出ると餓鬼になったカンダタが突如として現れ、自身に襲いかかってきた。目を閉じ身を守ろうと構える。
 それは幻覚だとすぐに気付き、守りの姿勢を解いた時には清音はいなくなっていた。誰もいない庭には秋の枯れ葉が落ちる。
 どこに行ったのか。苛立って前髪を掻き上げ、清音の行く先を考える。
 いや、そうではない。カンダタが次に向かう場所は清音から告げられた。病院か学校だ。
 息子は病院にいる。想い人とは紅柘榴のことだろうか。
 そんなはずはないだろうという疑いもあればもしかしたらという希望もある。
 カンダタを試すように残された選択はカンダタを苛立たせ、その場で途方もなく立ち竦む。
 選択がカンダタの首を絞めてくる。
 赤眼の少年が自分のことを父と呼んだのはどうしようもない喜びがあった。それが蝶男の策だとしても目が合った時の縋るような息子の眼差しは忘れようがない。
 学校に行けば紅柘榴に会えるかもしれない。カンダタと同じように幽体になって現世を彷徨っていたのかもしれない。そうなれば、家族が揃うのではないか。
 そもそもこんな選択肢を与えて何の意味があるのだろうか。蝶男の罠ではないか。カンダタはまた奴に操られているのではないか。こうして苛立ち悩み途方に暮れるのも奴の思惑通りではないのだろうか。
 「くそっ」
 苦悩が疑念となって堂々巡りの思考に悪態をつく。
 その場でじっと立つこともできない。だからといってあてもなくどこかへ行くこともできない。
 カンダタは庭を歩きまわり、同じ思考を繰り返し、同じ悪態をついて居間へと戻る。
 居間には一人娘に殺された夫婦の遺体が発見されずに残っている。
 カンダタは夫婦を憐れむ余裕はなかったが、そこにあるものに足と思考が止まった。
 ソファーとテレビが配置されている場所の近くには出っ張りのある窓がある。くまのぬいぐるみやインテリアの置き時計など飾られたそこには1番大切にされているであろう高校入学時の記念写真があった。
 その写真を夫婦が手を繋いで眺めていた。
 2人の遺体は食卓に転がったままだ。あれはカンダタと同じ類のものだ。
 死んでまであの写真を見ているのはそれが夫婦にとっての生きた証だからだ。そして、奪われたものだ。
 清音が奪ったのではない。蝶男が最悪な形で奪ったのだ。今でも彼女は自我を蝶男に握られたままだ。
 2人の様子に熱を持ったカンダタの頭は冷えた。
 息子や想い人は一旦、頭の隅に置こう。清音を追わなければならない。
 なぜ清音は現世の人を殺せる。
 死者と生者には超えられない境界線がある。だが、例外もある。瑠璃と言う存在もその例外に当てはまる。
 清音は死んだのでこちら側の人間になった。お茶菓子を出そうとしても触れなかった。だというのに彼女は2人を殺せた。
 触れてはいない。声で殺した。
 ハザマの漂流場で清音はカンダタに「失せろ」と言った。すると耳の内部が破壊された。
 清音の声がどこまで現世に影響するのかこの目でみないことには判断できないが、死人は出る。
 現世の人を殺せる術を持った清音を単独行動させている蝶男は何が目的なのか。
 清音に人殺しをさせたのは魂を材料として使う為だろう。それがたった2人で足りるのか。
 病院か学校か、と蝶男は選択肢を与えた。どちらかに奴がいる。
 カンダタは岡本家を出て、坂道のある道路まで駆けて戻る。そこからは瑠璃たちが通う学校が見える。
 学校も病院も人が多く集まる場所だ。今の清音が大量殺人を目的としているなら両方とも最適な場所である。
 清音なら病院よりも馴染みがある学校を選ぶ。
 住宅街から走り続けていくと人の行き交いが多くなる。見慣れた駅まで来た。瑠璃が毎日通学で降りる駅だ。学校まではもう近い。
 駅の出入り口のホームにも電車を利用する客たちが蟻のように集まっている。馴染みのある色合いの電車がホームに止まり、行き先を案内する放送が流れる。
 多くの人が行き交う様子は密集といえる。
 不意に影が落ちた。駅周辺の頭上には降り続ける雨粒を遮るように巨大な仏像をしたものが浮いていた。
 座禅し、腕は6本。右手の一本は頬に手を当て、左手の1本は法輪を支えている。如意輪観音のつもりだろうか。
 服装は瑠璃たちと同じ制服。台座は蓮ではなく青い花の冠だ。頭部はなく、首は綺麗な切断面があった。分かれた頭部は右側の2番目の手の平に乗せてあった。安らかに目を瞑る少女の顔は清音のものだ。
 駅に集まる人々は唐突に現れた頭上の影に気付かずに傘を開いて歩く。透明人間のカンダタではすぐそこにある脅威を伝えられない。
 手の平に乗った頭部だけの清音が口を開く。
 咄嗟に耳を塞ぐ。それでは足りないと大きく声を出す。
 「極楽浄土がやって参りました。皆様ご安心して死んで下さい」
 カンダタが息切れを起こし、叫び声が出なくなった。耳を塞いでも僅かに聞こえてくるものがある。トラックの走行や駅の放送など。だが、人の声が聞こえない。
 そっと手を離し、屈んでいた腰を伸ばす。
 カンダタの目の前をサラリーマンが走り去った。堅苦しいスーツにも関わらず、全速力で向かった先は交通量の多い道路だ。男は民営バスにはねられた。それに続くように数人が道路へと向かう。
 頭上の清音は何事もなく沈黙している。
 駅の玄関口から悲鳴が上がっている。ホームでは電車の待ち人が電車の発車と同時に飛び降りたらしい。
 清音は頭上で青い花の冠に乗ったまま、空中を滑るように動き出す。高校はやはり学校だ。
 至るところで香る血の匂いの振り切るようにカンダタも追いかける。
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