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二章
回想4 音色
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忠頼の矢が次々に、的に当たる音が、響く。
俺は弓場の隅で、丸太の的を狙う忠頼の横顔を、ぼんやりと、眺めていた。
よくやるなあ、と思いながら、俺は欠伸を噛み殺す。俺は今日も、忠頼の弓の練習に付き合って、弓場に出ていた。
あの日から、弓拾いは俺の仕事になった。壊れた矢を直すことも、俺は従者から教わった。ただ、矢作りは、かなり難しくて、俺にはまだ、無理だ。
いつのまにか、音もなく、雨が降りだしていた。霧のような雨は、ひんやりと肌を冷やす。
雨が降っても、忠頼は弓の練習を止めることはない。たぶん、狼が来ても、熊が来ても、止めない気がした。
弓が三十本ほど放たれたところで、俺はそれを拾いに行く。集めた矢を揃え、矢筒にしまいながら、俺は呟いた。
「この雨って、どっちでしょうね」
「どっち、とは、何だ」
「瑞兆か、凶兆か」
「ただの天気だろう――天気は、等しく、どちらにも、味方はしない。だが、急な増水があれば、輸送が遅れて、困ることになるかもしれん。いや――」
忠頼は眉を寄せ、軽く目を細める。
「そのような時は、商人の流通が多くなる。商人から、敵陣の見聞を集める、いい機会になるかもしれない」
「はあ」
俺は、曖昧な返事をした。世間話をしたつもりだったのに、いつのまにか、戦略の話になっている。
こういう時、俺は、何でこいつのことが好きなんだろうと、自分でも疑問に思う。
戦の話に、興味がないわけではない。だが、全ての会話がそうなるのは、俺の本意ではない。
忠頼が、いつもの通り、五百本の矢を放ち終わった頃には、雨は本降りになってきた。
俺が、忠頼の馬を引いて弓場から出た時、ふいに、笛と太鼓の音が、遠くから風に乗って聞こえた。
俺が思わず、その音色に聞き入って立ち止まると、馬上から、忠頼の声が降ってきた。
「笛か――お前も、笛を吹くのか?」
「上手くはないけどな。少しは吹く。でも俺は唄の方が――」
俺は、そこまで言って、口元を抑えた。忠頼と俺は、身分が違う。敬語を使うべきだと分かっているのだが、こう毎日顔を合わせていると、気が緩んで、つい忘れる。
忠頼は、ふっと、可笑しそうに笑った。
「気にせずともよい。お前が堅苦しい言葉を使っているのを聞くと、逆に、妙だ」
最近、忠頼は、よく笑う。
俺が黙って、馬を引き始めると、忠頼が訊いた。
「お前は、唄が好きなのか。お前の故郷の唄は、どんな風だ」
「そりゃあ――いい節だぜ。歌うと、心が沸き立つ。それでいて趣がある唄だ」
俺は、唄を途中まで口ずさんだ。が、すぐに止めた。章吉が、じっとこちらを見ていることに気が付いたのだ。俺は、またきまりが悪くなって言った。
「まあ、粗野な唄だろうな。お武家様にとっては」
「いや。心地が良い。昔、村の子供たちが、よく似た唄を歌っていた。よかったら、その先も聞かせてくれ」
「嫌だね。あんたが唄えばいい」
俺が横目で忠頼を見上げると、忠頼は、何とも言えない顔で、俺を見詰めていた。
「なんだ、そんなに嫌なのか?」
暫く黙ってから、忠頼は口を開く。
「唄には、馴染みがない。唄えと言われれば、唄うが。楽しみや、手慰みには、唄わぬ」
「そりゃ勿体ないな。良い声なのに」
「そうなのか?」
「……ああ」
「では今度、練習してみよう。お前、付き合ってくれるか」
俺は俯いたまま、再び、嫌だって、と呟いた。
鳥たちが素早く飛び交い、野山にその囀りを響かせている。冷たい霧雨が、頬を湿らせる。
俺は顔を上げ、ちらりと忠頼の顔を見た。忠頼は馬上で、静かに微笑んでいた。
俺は、悔しかった。いつも、忠頼は、俺より、一段上から、物事を見てる気がした。
でも、俺は、その顔を、ずっと見上げていたいような気もした。
俺は弓場の隅で、丸太の的を狙う忠頼の横顔を、ぼんやりと、眺めていた。
よくやるなあ、と思いながら、俺は欠伸を噛み殺す。俺は今日も、忠頼の弓の練習に付き合って、弓場に出ていた。
あの日から、弓拾いは俺の仕事になった。壊れた矢を直すことも、俺は従者から教わった。ただ、矢作りは、かなり難しくて、俺にはまだ、無理だ。
いつのまにか、音もなく、雨が降りだしていた。霧のような雨は、ひんやりと肌を冷やす。
雨が降っても、忠頼は弓の練習を止めることはない。たぶん、狼が来ても、熊が来ても、止めない気がした。
弓が三十本ほど放たれたところで、俺はそれを拾いに行く。集めた矢を揃え、矢筒にしまいながら、俺は呟いた。
「この雨って、どっちでしょうね」
「どっち、とは、何だ」
「瑞兆か、凶兆か」
「ただの天気だろう――天気は、等しく、どちらにも、味方はしない。だが、急な増水があれば、輸送が遅れて、困ることになるかもしれん。いや――」
忠頼は眉を寄せ、軽く目を細める。
「そのような時は、商人の流通が多くなる。商人から、敵陣の見聞を集める、いい機会になるかもしれない」
「はあ」
俺は、曖昧な返事をした。世間話をしたつもりだったのに、いつのまにか、戦略の話になっている。
こういう時、俺は、何でこいつのことが好きなんだろうと、自分でも疑問に思う。
戦の話に、興味がないわけではない。だが、全ての会話がそうなるのは、俺の本意ではない。
忠頼が、いつもの通り、五百本の矢を放ち終わった頃には、雨は本降りになってきた。
俺が、忠頼の馬を引いて弓場から出た時、ふいに、笛と太鼓の音が、遠くから風に乗って聞こえた。
俺が思わず、その音色に聞き入って立ち止まると、馬上から、忠頼の声が降ってきた。
「笛か――お前も、笛を吹くのか?」
「上手くはないけどな。少しは吹く。でも俺は唄の方が――」
俺は、そこまで言って、口元を抑えた。忠頼と俺は、身分が違う。敬語を使うべきだと分かっているのだが、こう毎日顔を合わせていると、気が緩んで、つい忘れる。
忠頼は、ふっと、可笑しそうに笑った。
「気にせずともよい。お前が堅苦しい言葉を使っているのを聞くと、逆に、妙だ」
最近、忠頼は、よく笑う。
俺が黙って、馬を引き始めると、忠頼が訊いた。
「お前は、唄が好きなのか。お前の故郷の唄は、どんな風だ」
「そりゃあ――いい節だぜ。歌うと、心が沸き立つ。それでいて趣がある唄だ」
俺は、唄を途中まで口ずさんだ。が、すぐに止めた。章吉が、じっとこちらを見ていることに気が付いたのだ。俺は、またきまりが悪くなって言った。
「まあ、粗野な唄だろうな。お武家様にとっては」
「いや。心地が良い。昔、村の子供たちが、よく似た唄を歌っていた。よかったら、その先も聞かせてくれ」
「嫌だね。あんたが唄えばいい」
俺が横目で忠頼を見上げると、忠頼は、何とも言えない顔で、俺を見詰めていた。
「なんだ、そんなに嫌なのか?」
暫く黙ってから、忠頼は口を開く。
「唄には、馴染みがない。唄えと言われれば、唄うが。楽しみや、手慰みには、唄わぬ」
「そりゃ勿体ないな。良い声なのに」
「そうなのか?」
「……ああ」
「では今度、練習してみよう。お前、付き合ってくれるか」
俺は俯いたまま、再び、嫌だって、と呟いた。
鳥たちが素早く飛び交い、野山にその囀りを響かせている。冷たい霧雨が、頬を湿らせる。
俺は顔を上げ、ちらりと忠頼の顔を見た。忠頼は馬上で、静かに微笑んでいた。
俺は、悔しかった。いつも、忠頼は、俺より、一段上から、物事を見てる気がした。
でも、俺は、その顔を、ずっと見上げていたいような気もした。
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