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三章
五郎兵衛
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青々と田に茂った稲が、ざわざわと揺れていた。暑い、昼下がりの午後だった。暦は既に文月になっていた。
俺と五郎兵衛は、眩しいくらいに降り注ぐ、陽の光に目を細めながら、木陰で涼を取っていた。
「もうすっかり夏だなあ」
俺は草に寝転がりながら、ぼんやりと呟く。五郎兵衛は膝を立て、座っていた。俺たちは田の中干しを手伝っていたため、野良着だ。
中干しは、田から水を抜き、土を乾かす作業だ。表面が干からびて割れるまで、七日から十日ほど放置する。一見、稲に悪いことをしているように見えるが、この中干しをすることで、根付いた稲は、ますます根を伸ばす。
五郎兵衛が俺に尋ねる。
「左衛門殿はまだ帰ってこないのか」
「ああ。話し合いが、長引いているんだろ」
忠頼は初めの頃こそ、南波殿と手紙でやり取りをしていたが、ここのところ、南波殿の都の屋敷に詰めるようになった。
俺は肘を立てて枕にし、五郎兵衛の方を向く。五郎兵衛は脚を掻いていた。傷のない肌を見ながら、俺は言う。
「お前はほんと、怪我しねえよな。強えから」
「運がいいだけだ」
「五郎兵衛、お前って、怖いものってあるのか?」
「――お前はどうだ。弥次郎」
質問を質問で返された俺は、小枝を指で弄びながら考える。
「俺? 俺は……何でも怖えさ。最初は、武士がみんな自分より強そうで怖かったし」
俺は兵になったばかりの頃を思い出す。何も知らない雑兵たちに対し、武士たちの指南は厳しかった。規則に慣れるのも時間がかかった。
「あとは、始めの頃の戦で……気が付かないうちに、後ろから切り付けらた時が、一番ぞっとしたな。あの日は、なんか気がそぞろでさ。幸い、そんな深い傷じゃなかったが、陣に戻ってからも三日三晩熱が出た。その時、俺は本当は、めちゃくちゃに弱いんじゃねえかって考えた。それから暫くの間、開戦の銅鑼が鳴るのが、怖くてたまらなかった」
すぐそばの木で、ミンミンゼミが鳴き始める。俺はそれをちらと目で確かめたが、何処にいるかはわからなかった。
五郎兵衛がぽつりと言った。
「わかるぞ」
「本当か?」
五郎兵衛はゆっくりと頷く。
「ああ、戦は怖い。だが、それでも良いんだと思っている。恐れない、ということが、強さではない。怖いものがあっても、強くなれる」
五郎兵衛は、おもむろに懐に手を突っ込むと、何かを取り出した。
「弥次郎、これを頼む」
「何だこれ」
俺は手を伸ばしそれを受け取ると、裏表を確認する。二寸(六㎝)ほどの、紐で縛られた白い紙袋だ。
五郎兵衛は静かに言う。
「俺の髪だ」
その意味を悟り、俺は黙って、むくりと起き上がる。五郎兵衛は苦笑する。
「……お前まで、そんな顔をするな」
「あのな。こんなもん、縁起でもねえ。第一、俺に頼むのがおかしい。どうしてもってんなら、お峯さんに渡せよ」
お峰さんとは、五郎兵衛が最近一緒になった女だった。小柄で人当たりが良く、道で会うと俺にも挨拶してくれる。
「渡そうとした。でも、どうしても、受け取らんのだ。泣きはらした目で、笑いながら、首を振る。ああ見えて、なかなか頑固でな」
「じゃあ、お前が生きて帰ってくるしかないな」
俺はそうすげなく言ったが、五郎兵衛の髪が入った紙包みは、そのまま己の手に持ったままにしていた。
俺と五郎兵衛は、眩しいくらいに降り注ぐ、陽の光に目を細めながら、木陰で涼を取っていた。
「もうすっかり夏だなあ」
俺は草に寝転がりながら、ぼんやりと呟く。五郎兵衛は膝を立て、座っていた。俺たちは田の中干しを手伝っていたため、野良着だ。
中干しは、田から水を抜き、土を乾かす作業だ。表面が干からびて割れるまで、七日から十日ほど放置する。一見、稲に悪いことをしているように見えるが、この中干しをすることで、根付いた稲は、ますます根を伸ばす。
五郎兵衛が俺に尋ねる。
「左衛門殿はまだ帰ってこないのか」
「ああ。話し合いが、長引いているんだろ」
忠頼は初めの頃こそ、南波殿と手紙でやり取りをしていたが、ここのところ、南波殿の都の屋敷に詰めるようになった。
俺は肘を立てて枕にし、五郎兵衛の方を向く。五郎兵衛は脚を掻いていた。傷のない肌を見ながら、俺は言う。
「お前はほんと、怪我しねえよな。強えから」
「運がいいだけだ」
「五郎兵衛、お前って、怖いものってあるのか?」
「――お前はどうだ。弥次郎」
質問を質問で返された俺は、小枝を指で弄びながら考える。
「俺? 俺は……何でも怖えさ。最初は、武士がみんな自分より強そうで怖かったし」
俺は兵になったばかりの頃を思い出す。何も知らない雑兵たちに対し、武士たちの指南は厳しかった。規則に慣れるのも時間がかかった。
「あとは、始めの頃の戦で……気が付かないうちに、後ろから切り付けらた時が、一番ぞっとしたな。あの日は、なんか気がそぞろでさ。幸い、そんな深い傷じゃなかったが、陣に戻ってからも三日三晩熱が出た。その時、俺は本当は、めちゃくちゃに弱いんじゃねえかって考えた。それから暫くの間、開戦の銅鑼が鳴るのが、怖くてたまらなかった」
すぐそばの木で、ミンミンゼミが鳴き始める。俺はそれをちらと目で確かめたが、何処にいるかはわからなかった。
五郎兵衛がぽつりと言った。
「わかるぞ」
「本当か?」
五郎兵衛はゆっくりと頷く。
「ああ、戦は怖い。だが、それでも良いんだと思っている。恐れない、ということが、強さではない。怖いものがあっても、強くなれる」
五郎兵衛は、おもむろに懐に手を突っ込むと、何かを取り出した。
「弥次郎、これを頼む」
「何だこれ」
俺は手を伸ばしそれを受け取ると、裏表を確認する。二寸(六㎝)ほどの、紐で縛られた白い紙袋だ。
五郎兵衛は静かに言う。
「俺の髪だ」
その意味を悟り、俺は黙って、むくりと起き上がる。五郎兵衛は苦笑する。
「……お前まで、そんな顔をするな」
「あのな。こんなもん、縁起でもねえ。第一、俺に頼むのがおかしい。どうしてもってんなら、お峯さんに渡せよ」
お峰さんとは、五郎兵衛が最近一緒になった女だった。小柄で人当たりが良く、道で会うと俺にも挨拶してくれる。
「渡そうとした。でも、どうしても、受け取らんのだ。泣きはらした目で、笑いながら、首を振る。ああ見えて、なかなか頑固でな」
「じゃあ、お前が生きて帰ってくるしかないな」
俺はそうすげなく言ったが、五郎兵衛の髪が入った紙包みは、そのまま己の手に持ったままにしていた。
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