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三章
五郎兵衛2
五郎兵衛は、水色に霞む遠くの山々を、暫く眺めていた。それから、ゆっくりと、話し始める。
「――俺の故郷は、深い山間にあってな。小さな集落だったが、鹿や熊を仕留めて、川の魚を取って、暮らしていた。ある日、母の病気の薬のため、父が家を出た。しかし、父は帰ってこなかった。騙されて殺されたのだ。だが、それだけではなかった。父は村の宝である勾玉を持ち出していた」
俺は黙ったまま、じっと話を聞いていた。五郎兵衛が、こんな風に、自分の話をするのは、初めてだった。
「村の者たちは、俺たち家族を許さなかった。家はますます貧しくなり、俺は戦に行くことに決めた。母は止めたが、そうでもしないと、冬を越すのは無理だった。また帰ってくる、と俺は言った。そうして何度目かの冬、久しぶりに家に帰ると、母は死んでいた。姉は夫を貰っていて、殺しで銭をもらうような穢れた人間には、田畑はやれぬと言われた。俺は母の墓参りをして、兄妹たちに幾ばくかの銭を渡した後、左衛門殿の元に来た」
五郎兵衛は、忠頼の元で、足軽――家付きの武士となり、雑兵の出ながら十人隊の頭も務めるようになっていた。
五郎兵衛はしみじみと言った。
「左衛門殿は、俺を、日吉郡の武士にしてくれた。俺が自分の居場所を持ち、お峰と暮らせたのも、左衛門殿のお陰だ。本当に、嬉しかった。悔いはない」
俺たちはじっと空を見ていた。入道雲が、上へ上へと伸びていく。
「……嘘だ」
俺はふいに俯き、地面を睨みつける。
「お前は嘘ばっかりだ。十分なんて言うな。俺は認めねえ。五郎兵衛、これから沢山敷地を貰って、お峰さんと一緒に暮らすんだろう。まだだ。お前は何も――まだ何も、幸せを味わっちゃいねえ……これからだろう。なのに……何でだ」
俺は耐えきれずに立ち上がると、気持ちを吐き出すようにして怒鳴った。
「進撃なんて馬鹿げてる。なんで帝は、南波殿の諫言を聞き入れないんだ! どうして俺たちに無茶な戦い方をさせようとする!」
やり場のない感情を、どこにぶつける当てもなくて、俺は地団駄を踏む。「
もう半年も前からずっと、南波殿は、自らの主に、親景との和合を諫言していた。
親景は強い。しかし今なら、なんとか勝機を掴める。だから、一度勝利をおさめたら、すぐに引き下がり、交渉に移るべきだと。
しかし、その言葉は、主とその側近に一蹴された。
引き下がることは恥となるし、反旗を翻した僕に対し、下手に出ることはできない、というのが彼らの意見だった。
しかし、もはや親景の勢いは、止めることのできない所まで来ていた。だから今回の合議は、戦を止める、最後の機だった。だが――。
「それは簡単だ、弥次郎」
五郎兵衛がぽつりと言った。
「帝や公家の者は、生身の身体で、敵と戦ったことがない。それは下々のものがすることだからだ。だから――諫言が聞き入れられることも、たぶんない」
トンボが群れになり、音もなく飛んでいた。
俺は五郎兵衛の横に、また座って、涙の滲んだ目の端を拭った。土の上をすばしこく這っている蟻を凝視しながら、俺は鼻をすすった。
「次生まれ変わるときは、俺は女になりたいんだ」
ふいに、五郎兵衛がだしぬけに言った。俺は思わず顔を上げる。
「は? 何の話だよ」
「女ならば、殺されそうになったときでも、人を殺めたり、傷付けなくて済む。最近思うんだ。それはそれで、幸せかもしれぬと。それに女は、命をつなげる」
俺は驚きを込めて、五郎兵衛の顔を見た。五郎兵衛は、いつもの悠然とした表情で、頷いた。
「お峯の腹に、赤子がいるんだ。左衛門殿に、二人の世話は頼んである。どうにかしてくれるだろう。弥次郎、お前は、俺の子供の顔を、見てやってくれ」
五郎兵衛が笑う。五郎兵衛の笑顔は、会ったときから、ずっと変わらない。山のようにどっしりと静かだ。
俺は陣営で、初めて五郎兵衛に会った時のことを思い出す。五郎兵衛は俺より五つ年上だった。俺は五郎兵衛と相撲を取り、三秒で負けた。
酒を飲んだ時のことや、田舎の唄を唄った時のことが、ふと思い出された。様々な思い出が俺の胸に去来する。それはつい昨日の事であったように鮮やかでありながら、もう永久に届かぬ景色だ。
俺は、五郎兵衛から眼を逸らしながら、鼻をすすった。
「馬鹿やろう。お前が死ぬ時ゃ、俺も死ぬだろ」
「それは、分からない」
五郎兵衛は足を胡坐に組みなおす。風が俺たちの間を通り過ぎ、枝葉がざあっと揺れた。
「何があっても、お前は生き残るような気がするんだ、何故かはわからないが」
俺は五郎兵衛の顔を、ちらりと覗き込む。そう言う五郎兵衛の目の色は、やはり穏やかに澄んでいた。まるで、怖いものなど、この世に一つもないというように。
「――俺の故郷は、深い山間にあってな。小さな集落だったが、鹿や熊を仕留めて、川の魚を取って、暮らしていた。ある日、母の病気の薬のため、父が家を出た。しかし、父は帰ってこなかった。騙されて殺されたのだ。だが、それだけではなかった。父は村の宝である勾玉を持ち出していた」
俺は黙ったまま、じっと話を聞いていた。五郎兵衛が、こんな風に、自分の話をするのは、初めてだった。
「村の者たちは、俺たち家族を許さなかった。家はますます貧しくなり、俺は戦に行くことに決めた。母は止めたが、そうでもしないと、冬を越すのは無理だった。また帰ってくる、と俺は言った。そうして何度目かの冬、久しぶりに家に帰ると、母は死んでいた。姉は夫を貰っていて、殺しで銭をもらうような穢れた人間には、田畑はやれぬと言われた。俺は母の墓参りをして、兄妹たちに幾ばくかの銭を渡した後、左衛門殿の元に来た」
五郎兵衛は、忠頼の元で、足軽――家付きの武士となり、雑兵の出ながら十人隊の頭も務めるようになっていた。
五郎兵衛はしみじみと言った。
「左衛門殿は、俺を、日吉郡の武士にしてくれた。俺が自分の居場所を持ち、お峰と暮らせたのも、左衛門殿のお陰だ。本当に、嬉しかった。悔いはない」
俺たちはじっと空を見ていた。入道雲が、上へ上へと伸びていく。
「……嘘だ」
俺はふいに俯き、地面を睨みつける。
「お前は嘘ばっかりだ。十分なんて言うな。俺は認めねえ。五郎兵衛、これから沢山敷地を貰って、お峰さんと一緒に暮らすんだろう。まだだ。お前は何も――まだ何も、幸せを味わっちゃいねえ……これからだろう。なのに……何でだ」
俺は耐えきれずに立ち上がると、気持ちを吐き出すようにして怒鳴った。
「進撃なんて馬鹿げてる。なんで帝は、南波殿の諫言を聞き入れないんだ! どうして俺たちに無茶な戦い方をさせようとする!」
やり場のない感情を、どこにぶつける当てもなくて、俺は地団駄を踏む。「
もう半年も前からずっと、南波殿は、自らの主に、親景との和合を諫言していた。
親景は強い。しかし今なら、なんとか勝機を掴める。だから、一度勝利をおさめたら、すぐに引き下がり、交渉に移るべきだと。
しかし、その言葉は、主とその側近に一蹴された。
引き下がることは恥となるし、反旗を翻した僕に対し、下手に出ることはできない、というのが彼らの意見だった。
しかし、もはや親景の勢いは、止めることのできない所まで来ていた。だから今回の合議は、戦を止める、最後の機だった。だが――。
「それは簡単だ、弥次郎」
五郎兵衛がぽつりと言った。
「帝や公家の者は、生身の身体で、敵と戦ったことがない。それは下々のものがすることだからだ。だから――諫言が聞き入れられることも、たぶんない」
トンボが群れになり、音もなく飛んでいた。
俺は五郎兵衛の横に、また座って、涙の滲んだ目の端を拭った。土の上をすばしこく這っている蟻を凝視しながら、俺は鼻をすすった。
「次生まれ変わるときは、俺は女になりたいんだ」
ふいに、五郎兵衛がだしぬけに言った。俺は思わず顔を上げる。
「は? 何の話だよ」
「女ならば、殺されそうになったときでも、人を殺めたり、傷付けなくて済む。最近思うんだ。それはそれで、幸せかもしれぬと。それに女は、命をつなげる」
俺は驚きを込めて、五郎兵衛の顔を見た。五郎兵衛は、いつもの悠然とした表情で、頷いた。
「お峯の腹に、赤子がいるんだ。左衛門殿に、二人の世話は頼んである。どうにかしてくれるだろう。弥次郎、お前は、俺の子供の顔を、見てやってくれ」
五郎兵衛が笑う。五郎兵衛の笑顔は、会ったときから、ずっと変わらない。山のようにどっしりと静かだ。
俺は陣営で、初めて五郎兵衛に会った時のことを思い出す。五郎兵衛は俺より五つ年上だった。俺は五郎兵衛と相撲を取り、三秒で負けた。
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俺は、五郎兵衛から眼を逸らしながら、鼻をすすった。
「馬鹿やろう。お前が死ぬ時ゃ、俺も死ぬだろ」
「それは、分からない」
五郎兵衛は足を胡坐に組みなおす。風が俺たちの間を通り過ぎ、枝葉がざあっと揺れた。
「何があっても、お前は生き残るような気がするんだ、何故かはわからないが」
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