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三章
逃亡
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細い月だけが、ひらりと空に張り付いた、暗い晩だった。
数人の男が、村から山に続く道を、静かに歩いていた。人数は5,6人。彼らは龕灯の灯で足元を照らしながら、あたりを憚るように、そそくさと山道へ向かっていく。
「どこ行くんだ。こんな夜更けに」
山に沿った道を歩いていた男たちは、その声を聞き、ぎょっとしたらしい。
文字通り飛び跳ねるようにして驚き慌てながら、太刀を抜きながらきょろきょろとあたりを見回す。
「こんな暗い中、そんな大荷物で。慌てて歩いてたら、怪我しちまうぞ」
男たちが振り返り、龕灯で俺の姿を一瞬照らす。俺は目を細めながら、その影を捉える。
「……なんだ、お前か」
清之助が苦々し気に言った。清之介は、仲間三人と、あとほかにも二人の男を連れていた。皆、顔を隠し、俺と目を合わせないようにしていた。
俺は槍を構え、一人一人の顔を見わたしながら、静かに言った。
「村から逃げたものは首を落とされると、分かっているだろう。本来なら名誉のため切腹が許されるが、逃げたものにはその権利はない。ぼろを着たまま殺され、裏切り者としてさらし首にされる……だが今、戻って、もう二度とこういうことはしないと言うなら、見なかったことにしてやる」
清之介は暫し、ぽかんと突っ立ったままだったが、急におもねるような声音で言った。
「おい、俺とお前の仲だろう、弥次郎。お前こそ、何にも分かっちゃいねえ。このままじゃ、次の出兵には俺たちは討ち死にだ。もし生きれたとしても、恩賞がもらえるかどうか、分からねえんだぞ」
「死ななきゃいいんだ。そうすりゃ恩賞だっていつかは貰える」
「――馬鹿が」
清之介は、吐き捨てるように言った。清之助はすでに落ち着きを取り戻していた。人数が多いことも、清之介を強気にさせているのかもしれない。
「お前は死にゃいい。俺らを巻き込むな」
「巻き込むなって、てめえも日吉郡の武士だろ」
「俺は武士になった覚えはねえ。頼まれて戦っていただけだ。報酬が見込めなかったら何で命を懸ける。これから戦おうってやつは、相当の酔狂者だ。あるいは、どうしても切れねえ縁があるとかな。お前みてえに」
清之介のまわりにいた男たちが、下品に笑った。俺は清之介に刀の切っ先を向けたまま、静かに言う。
「この戦が終わったら状況も変わるさ」
「それになあ、武士って言ってもなあ、どれだけ偉いんだ? 奴らはただ命じることしかできねえ。つまり、無能な、口ばかりの連中の集まりだってことだよ」
俺は槍の柄を握りしめると、一気に間合いを詰め、清之介の前で振った。
清之介の前髪がはらりと落ち、清之介の顔から表情が消える。
「分かった。戻るつもりはないんだな。いいぜ。ひっとらえてさらし首だ」
「やめろ」
俺は声のした方を向いた。ただ、その前から、俺はそれが誰か分かっていた。男は既に覆面を外していた。
孝太郎だった。その大きな茶色がかった瞳は、俺をまっすぐに見ている。
「お前も一緒に来ないか、弥次郎」
孝太郎はだしぬけに言った。
「なんで……お前が」
「俺には病身の妹がいる。頼れる身寄りもいないから、俺が死んだら妹も死ぬ」
孝太郎は目を細めた。
「俺は妹を失いたくない。報酬も出ない戦で、命を落とすことは無駄だ――俺にとってはな」
俺は胸がずきりと痛んだ。大切な人の、命のため。その気持ちは、俺にも痛いほどわかる。
孝太郎はすっと俺の前に出て、俺が構えた槍の間合いに入る。周りが慌てて孝太郎の袖を引いたが、孝太郎は構わずに続けた。
「前にお前、『自分は孤児だから、土地は全部親戚にとられた』って言っていたよな。俺の村は、特別に豊かな場所ってわけじゃないが、ここからは酷く遠いし、分かりにくい。そこでなら、きっと生きられる。戦は死ぬだけじゃない。忠頼様が死んだらお前はどうする。お前の体が動かなくなって、役に立てなくなったらどうするつもりだ?」
俺は静かに呼吸をしながら、孝太郎を睨みつけた。
――そんなことは、分かっている。
だが、逃げることはできない。忠頼が逃げることができないのと、同じように。
孝太郎が間合いに入っているにもかかわらず、何もしようとしない俺を見て、清之介たちは、再び武器を構えはじめた。
しかし孝太郎はそれを手で制すると、静かに俺を見た。
「俺にはわかる。忠頼殿は、お前に生きてほしいと思っている」
孝太郎の目が、ふと和らぐ。孝太郎の言うことは、ただの言い逃れでも、口だけの説得でもなかった。
お互いに、自分の命より大切なものを持っている。だから孝太郎は生きるし、俺は死のうとしている。
孝太郎を止められない俺には、他の奴を止める権利もなかった。
俺が槍を引っ込めると、周りも、俺を伺いながらも、刀を戻した。
「――生きろよ、弥次郎」
孝太郎たちが去っていく。俺は引き留めなかった。彼らはすぐに山の影に隠れ、見えなくなった。生い茂った木々が夜の闇の中で鳴り、風が二の腕を冷やす。
孝太郎とおぼしき人影が、一度だけこちらを振り向いた。
その時、俺は孝太郎と、今まで以上に分かりあえたと思った。と同時に、消して埋めることのできない、深い断絶を感じた。
道の横から続き、ため池に注ぐ小川は、暫く続いた雨で増水していた。
俺は川を覗き込む。暗い中、川面は生き物のように溢れ渦を巻いている。水の流れる音は、孝太郎たちの足音を消し、冷たい空気が彼らのいた気配さえ消し去っていくのを、俺は一人んやりと感じていた。
その後、同じように、兵や村人が、村から逃げ出そうとした。そのたび捕まって、罰せられたが、孝太郎たちが見つかることは、ついになかった。
数人の男が、村から山に続く道を、静かに歩いていた。人数は5,6人。彼らは龕灯の灯で足元を照らしながら、あたりを憚るように、そそくさと山道へ向かっていく。
「どこ行くんだ。こんな夜更けに」
山に沿った道を歩いていた男たちは、その声を聞き、ぎょっとしたらしい。
文字通り飛び跳ねるようにして驚き慌てながら、太刀を抜きながらきょろきょろとあたりを見回す。
「こんな暗い中、そんな大荷物で。慌てて歩いてたら、怪我しちまうぞ」
男たちが振り返り、龕灯で俺の姿を一瞬照らす。俺は目を細めながら、その影を捉える。
「……なんだ、お前か」
清之助が苦々し気に言った。清之介は、仲間三人と、あとほかにも二人の男を連れていた。皆、顔を隠し、俺と目を合わせないようにしていた。
俺は槍を構え、一人一人の顔を見わたしながら、静かに言った。
「村から逃げたものは首を落とされると、分かっているだろう。本来なら名誉のため切腹が許されるが、逃げたものにはその権利はない。ぼろを着たまま殺され、裏切り者としてさらし首にされる……だが今、戻って、もう二度とこういうことはしないと言うなら、見なかったことにしてやる」
清之介は暫し、ぽかんと突っ立ったままだったが、急におもねるような声音で言った。
「おい、俺とお前の仲だろう、弥次郎。お前こそ、何にも分かっちゃいねえ。このままじゃ、次の出兵には俺たちは討ち死にだ。もし生きれたとしても、恩賞がもらえるかどうか、分からねえんだぞ」
「死ななきゃいいんだ。そうすりゃ恩賞だっていつかは貰える」
「――馬鹿が」
清之介は、吐き捨てるように言った。清之助はすでに落ち着きを取り戻していた。人数が多いことも、清之介を強気にさせているのかもしれない。
「お前は死にゃいい。俺らを巻き込むな」
「巻き込むなって、てめえも日吉郡の武士だろ」
「俺は武士になった覚えはねえ。頼まれて戦っていただけだ。報酬が見込めなかったら何で命を懸ける。これから戦おうってやつは、相当の酔狂者だ。あるいは、どうしても切れねえ縁があるとかな。お前みてえに」
清之介のまわりにいた男たちが、下品に笑った。俺は清之介に刀の切っ先を向けたまま、静かに言う。
「この戦が終わったら状況も変わるさ」
「それになあ、武士って言ってもなあ、どれだけ偉いんだ? 奴らはただ命じることしかできねえ。つまり、無能な、口ばかりの連中の集まりだってことだよ」
俺は槍の柄を握りしめると、一気に間合いを詰め、清之介の前で振った。
清之介の前髪がはらりと落ち、清之介の顔から表情が消える。
「分かった。戻るつもりはないんだな。いいぜ。ひっとらえてさらし首だ」
「やめろ」
俺は声のした方を向いた。ただ、その前から、俺はそれが誰か分かっていた。男は既に覆面を外していた。
孝太郎だった。その大きな茶色がかった瞳は、俺をまっすぐに見ている。
「お前も一緒に来ないか、弥次郎」
孝太郎はだしぬけに言った。
「なんで……お前が」
「俺には病身の妹がいる。頼れる身寄りもいないから、俺が死んだら妹も死ぬ」
孝太郎は目を細めた。
「俺は妹を失いたくない。報酬も出ない戦で、命を落とすことは無駄だ――俺にとってはな」
俺は胸がずきりと痛んだ。大切な人の、命のため。その気持ちは、俺にも痛いほどわかる。
孝太郎はすっと俺の前に出て、俺が構えた槍の間合いに入る。周りが慌てて孝太郎の袖を引いたが、孝太郎は構わずに続けた。
「前にお前、『自分は孤児だから、土地は全部親戚にとられた』って言っていたよな。俺の村は、特別に豊かな場所ってわけじゃないが、ここからは酷く遠いし、分かりにくい。そこでなら、きっと生きられる。戦は死ぬだけじゃない。忠頼様が死んだらお前はどうする。お前の体が動かなくなって、役に立てなくなったらどうするつもりだ?」
俺は静かに呼吸をしながら、孝太郎を睨みつけた。
――そんなことは、分かっている。
だが、逃げることはできない。忠頼が逃げることができないのと、同じように。
孝太郎が間合いに入っているにもかかわらず、何もしようとしない俺を見て、清之介たちは、再び武器を構えはじめた。
しかし孝太郎はそれを手で制すると、静かに俺を見た。
「俺にはわかる。忠頼殿は、お前に生きてほしいと思っている」
孝太郎の目が、ふと和らぐ。孝太郎の言うことは、ただの言い逃れでも、口だけの説得でもなかった。
お互いに、自分の命より大切なものを持っている。だから孝太郎は生きるし、俺は死のうとしている。
孝太郎を止められない俺には、他の奴を止める権利もなかった。
俺が槍を引っ込めると、周りも、俺を伺いながらも、刀を戻した。
「――生きろよ、弥次郎」
孝太郎たちが去っていく。俺は引き留めなかった。彼らはすぐに山の影に隠れ、見えなくなった。生い茂った木々が夜の闇の中で鳴り、風が二の腕を冷やす。
孝太郎とおぼしき人影が、一度だけこちらを振り向いた。
その時、俺は孝太郎と、今まで以上に分かりあえたと思った。と同時に、消して埋めることのできない、深い断絶を感じた。
道の横から続き、ため池に注ぐ小川は、暫く続いた雨で増水していた。
俺は川を覗き込む。暗い中、川面は生き物のように溢れ渦を巻いている。水の流れる音は、孝太郎たちの足音を消し、冷たい空気が彼らのいた気配さえ消し去っていくのを、俺は一人んやりと感じていた。
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