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美凪ましろ

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Vol.30.推しの子【羽角清隆SIDE】

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 ――ミサミサ69♪ の親衛隊隊長を務めるには並々ならぬ覚悟がいる。

 先ず。同じ花見町にて、自宅勤務をしているのが幸いした。アウトソーシングでWebページ、アプリ開発を行う人間でなんと……中村美紗様の彼氏となられる篠田大樹殿も存じ上げていた。それゆえに、『あのとき』は、彼に任せたのだった。

 なにも、仕事がきっかけで、篠田大樹殿の存在を知ったのではない。あれは、――随分昔のことだ。

 高校時代、拙者は、サッカー部に所属していた。篠田大樹の存在は有名で、長友佑都の再来!? とか騒がれていた。プレースタイルが似ているので、意識しているのは明白だった。

 右利きなのに左サイドバック。事情は分かる。日本には、左利きの人間が、諸外国に比べると少ない。そもそも日本は、左利きにやさしくはない社会だ。改札を抜けるときに定期をタッチするときなんざ、あれは明らかに右利きの人間向けであるし……左利き用のハサミなども探し求めるのも困難だ。田舎だと売っていない店も、珍しくはない。

 なお、当方は、両利きに近いゆえに、同じ左サイドバックであった。拙者は……スポーツがさほど得意ではないのだが、しかし、サッカーをする男子はモテる。それだけの理由で、比較的頭のいい学校の、比較的弱い部活のサッカー部で、スタメンを張っていた。

 練習試合で、うちは一回戦で敗退するのが常連で。余った時間を、他校の試合を見ることで費やすのだが……そのときに、稲妻のように突き抜ける、篠田大樹殿のプレイを目撃した。俊足で、足が速く――右利き。左サイドバックというポジションは、右利きの人間が勤めるには大変で……何故かというと、人間、右足でボールを蹴るし、右にボールを置きたがるから。一方、左利きの人間であれば、ボールを左に置くがゆえに、左側でプレイがしやすい、という利点がある。左利きは、なにかとスポーツにおいて有利なのだ。

 篠田大樹殿は、たいていの選手が、右を切られると弱いというのに、……ボールを左に置き。時折、左でキックするなど、左足を駆使するプレイを見せつけており――観客を沸かせていた。察するに、彼が、両利きではないのは瞭然だ。

 PKも彼が蹴り、……地区大会を勝ち抜け、それから、拙者は、篠田大樹殿の何者でもないのに、県大会の会場まで駆けつけ、惜しくも準優勝するさままでを見届けた。……篠田大樹殿は、笑顔で、勝者に拍手を送っていた。泣き崩れる仲間の肩を支えてやりながら。

 それから、会場のトイレに立ち寄ると、……個室から、声を殺すような泣き声が聞こえた。

「……くそ。畜生……っ」

 ――誰の声なのかを直感した。……ああ。この少年は。人前で泣きづらを見せず、陰でこっそり泣くタイプなのだなと……保護者のような、微笑ましい気持ちでトイレを後にした。

 篠田大樹殿に会ったのは、その年が最後であった。……つまり、篠田大樹殿は、拙者の二学年うえだと考えるのが妥当であろう。

 中村美紗様の職場の駐車場に、元カレ氏である阿部洋殿が現れたときには仰天したが。更に篠田大樹殿を見かけた頃には腰が抜けそうになっていた。――十年以上ぶりであろうか。――いや。ブルー隊員から美紗様の彼氏の存在は聞かされてはいたが。まさか。あの――篠田大樹殿だと、誰が予想出来ようか。

 彼氏殿が現れたゆえに、拙者は、洋殿への対処を彼に任せることにした。見事な一本背負いまでは見届けた。それから、その場から走り去る洋殿を、拙者は追いかけた。これでも脚力に自信はある。こういうときのために、鍛えているのだ。

「……洋殿……! お待ちくだされ……ッ!」

「――なんだよ。誰だよてめ」振り返った洋殿は不服面で、「てめー。なんでおれの名前を知っている?」

「美紗殿のことでしたら七割がたのことを存じ上げております。――申し遅れました。美紗殿公式のファンクラブ、『ミサミサ69♪ を守る美青年レンジャー』、隊長の、羽角《はずみ》清隆《きよたか》にございます」

 名刺を受け取ると、洋殿は、目を白黒させた。「……はい? なんでおたくみたいにビッグなかたが、美紗なんかを……」

 生憎当方、パブリッシングで顔出しもしており、クラウドファンディングもしているので、そこそこの著名人ではございますのよ。洋殿の反応は、見ていてなかなか気持ちがいいものであった。しかし――

「美紗『なんか』という表現には語弊がありますね」ゆるーり、と拙者は目を細めると、「我々メンバーは、美紗様をお慕い申し上げております。……美紗様は神ですッ……! 美紗様は美しいだけでなく、教養深く、慈悲深く、……愛のない人間に愛を与えてくださる、女神のごとき存在にございます……ッ!」

「そこまでくるとカルトだなー」と苦笑いを漏らす洋殿は、「そんで。天下の羽角清隆殿が、おれに、何の用ってんだ?」

「勧誘!! ……に、ございます……ッ!」

 胸を張り、拙者は答える。あーんぐりと口を開けるこの反応には、慣れっこにございます。

「あなたは、一時的であれど、あの、中村美紗様の彼氏であられた。一時的な気の迷いにせよ。……それは、見事なことにございます……。我々親衛隊は、直接美紗様の接客を受けることは可能であれど、プライベートに踏み込むことは禁止されておりますので……いや、しておりますので。トラブルを防ぐため。

 ですので是非。……美紗様のこころを射止めた秘訣を是非……ご教授頂ければと……!」

「いやいや頭下げるこたねーだろ羽角さん」と慌てて洋殿が手を振る。「参ったな……つってもおれ、振られた負け犬ですし。おれから学ぶことなんか、ひとつもありゃあしませんよ……。あいつ、いまの男に夢中ですし……」

 すると、押さえこんでいた本能が意志という媒体を伴って放たれた。
 
「――そのままでいいのですかッ!?」

「はイッ……!?」続く洋殿の声も上ずっている。チャンスだ。畳みかける。

「あなたは、いっときであれ、我々の神である、中村美紗様のこころを射止めた。彼氏であられた。……阿部洋様!! あなたは、素晴らしいかたなのですぞ!!!! 美紗様とどんなこころの交流を重ねたのか。思い出して……ごらんなさい……?」

「ああ……そーいや……」洋殿はまんざらでもない様子で、「……あいつ。外だと強気女子演じてるくせに、結構弱い部分あんのよ。家だとぐったりして、寝るのでやっとのくせに、馬鹿みてえに、クレンジングは五分くるくるするのとか言って譲らねえし……妙に潔癖なとこがあってさ」だからこそ四股かけたおれは降られたんだけどな、と洋氏は言いたしますが、

「――それですッ!!」

 拙者は、ぐわしと、洋殿の両肩を掴んだ。「クレンジングをくるくる五分するくらいに、洋殿には、こころを開いておられたのですねッ!!! 見事ではないですかッ!!! 我々親衛隊には成しえない偉業、に、ございまーす!!!!!」

「いや、あんた、さっきから……」

 拙者は鼻をすすり、「美紗様がクレンジングを……あああ。素顔はどれほど美しいのでしょう……流石にミサミサ69♪ さまは、すっぴんを晒してはくれないのですよ……そこまでいくと本筋から外れるのを懸念してのことでしょうね……あああ……なんと、羨ましい……拙者は、洋殿が羨ましいです……洋殿に生まれ変わりたいくらいに、ございます……」

「いやあんた。そこまで好きなら普通に彼氏立候補すりゃあいいんじゃ――」

「分かっておられませんねッッッ!」拙者は絶叫した。「推しに。推しに、ヤリモクで近づくヲタがどこにいるのですか!? ヴィーナスの彫刻に見惚れる美術愛好家がヴィーナスと恋愛をしたいなどとと思いますかッッッ!? ヴィーナスはヴィーナスのままで。ヴィーナスが幸せになり、それを見届けること……それが、推しの子の務め、なんです……ッ!!!」

「あーはい。美紗が、ドルヲタっぽい連中に好かれてるっつうことは分かったわ。……つかあいつ。そんな素振り、全然……」

「――それこそが中村美紗様の魅力なのですッッッ!!!」唾を飛ばし、拙者は喉を嗄らしそうなほどに叫んだ。「美紗様は、社長賞も受賞したカリスマ店員!!! これ以上ないほどの、推し、推し、推しぃいいいいいいーーーーーーー!!!! 

 ……なのに。それをひけらかさない、あの、人間性!!!

 内面も、外見も、美しきヴィーナスそのものである……その、美紗様の人間性に、我々は、心酔しているのです……。

 どうですか。洋殿。……一緒に推してみませんか? 楽しいですよ推し活は」

「やー。別におれは、なんも、そんにゃあー……」言葉を濁していた洋殿であるが、拙者がにっこり笑って彼を介抱すると、洋殿は頬をぽりぽり掻きながら、「……か、考えてみます……」

「勿論です。一晩ゆっくり考えてくださいね」再びにっこり。駄目押しのにっこりでござる。「なにかありましたらいつでも、ご連絡をくださいね。……あ。裏面が推し活の連絡先ですので……」

 裏面を確かめた洋殿は、ぶはっ、と噴き出した。「なんだこれ。……しっかりした組織みたいじゃねえか」

「……美紗様に危害が及ぶことはあってはなりませんので。……なお、入会には、志望動機書、及び、身分証明書のコピーが必要となります。メールで送っていただけるのでしたら、PDFも可能です。ただし、正式な入会時には身分証明書を隊員が確認させて頂きますが。偽造などあってはなりませんので」

 名刺をじっと見つめながら洋殿は、「……ふぅん」

 * * *

 厄介な物事ほど迅速に動くのが、ビジネスにおいても。プライベートにおいても、鉄則である。

 夜は、おそらく大樹殿と一緒に過ごされており、あの恐怖を不要に刺激してはならないと思い、翌朝9時以降に拙者はメールをしました。

『美紗殿。ご安心ください。

 洋殿は、昨晩のことを、反省しております。

 洋殿は、こころを改め、親衛隊員となりました。

 これからは、一ファンとして、推し活に励むと、申しております。

 なお、本日午後、美紗様の勤務先に、洋殿が向かうと申されております。

 ご迷惑でなければ、謝罪と入会を受け入れて頂けると、嬉しく思います。

 イエロー隊長』

 すぐに返信が来た。

『イエロー隊長

 いつもありがとうございます。

 了解しました。

 昨日は、正直、怖い思いをしましたが、見守ってくださって、ありがとうございます。

 洋についても、けんか別れをするのは、心残りだったので、

 これからは、自分で言うのもなんですが、

 ファンと、サポーターみたいな関係でいられればうれしいなと思います。

 よろしくお伝えください』

「ああああああああ……ッ」メールを胸に抱き、うずくまる。「美紗様から……美紗さまから直々に、お、お、お返事がぁあああ……ッ!!!」

 近頃は仕事や会の活動で忙しく、直接美紗様とやり取りをするのは随分と久しぶりである。95日ぶりであろうか。

「かしこまりました。ありがとうございます。……ぴ」なんて言って送ると即座に、ス、スタンプがぁああ……!
 
 猫が鮫の被りものを被った、『承知の助!』……だ、と……?

 なん、だと……??

 咳ばらいをする。興奮を、押し込める。さて……仕事の時間だ。イエロー隊長の仮面を外し、メディア露出も激しい羽角清隆のペルソナに戻ろうではないか。――今日も、外は暑そうだ。美紗様は、勤務を頑張っているであろう。

 日課となっている、朝一番のメールチェックから、拙者は仕事の処理に取り掛かった。

 *
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