恋は、やさしく

美凪ましろ

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act6. 回想

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「誰だ。ここにメモを置いたやつは」

 部屋の一角の空気が凍りついたのは気のせいではない。

 彼の周囲の人間が、気まずそうに周りを見回すなか、彼女は名乗りを上げた。「あたしです」

 蒔田と彼女の席は二メートルほど離れていたが、席を立ち、周囲を見回す蒔田の言動は周囲の目を引いた。声と言い方に刺があった。
 彼の挙動自体が周囲の注目を集めるものなのかもしれない。
 なにしろ、でかいから。
 ともあれ、彼の雰囲気はいつも『固い』。
 フレンドリーに握手してお礼してハグ、なんてアメリカンな挨拶とも無縁だろう。
 蒔田は近づく彼女に目もくれず、机のうえのメモを手にし、音を立てて元の椅子に座った。「お客さんの名前、なんて読むんだ、これ」
「たーなーかーさーん、です」

 読めねえよ。

 と吐き捨てるように蒔田は言う。
「因みに、A社の田中さんは二人居る。田中大輔と田中裕次。部署名で呼び分けてる。……いっぺん、第三の田中さんからの電話、取り次いだことがあったろ。そんくらい一度で覚えとけ」
「……」
「返事は」
「……すみませんでした。字が汚くて」
「カタカナで書け。読む側が分かりやすい」
「……気をつけます」

 彼女は、このやりとりをしている間じゅう、周りからの視線を感じていた。

 先生に呼び出し食らって叱られた学生の気分だった。

 決して、未成年で飲酒とか学校に内緒でバイトとか悪いことしたわけじゃないのに。

「……お世話になってます、システムアイの蒔田です。さきほどそちらの田中さんからお電話を頂いて、……あそうですか。では恐縮ですがこのお電話で田中裕次さんに回して頂けますか。ええ。――」

 自席に戻る途中、背中でそんな会話を聞いた。

 ますますもって、責められている気分だった。

 * * *

「もーねー! その蒔田って男最悪なのよっ。電話取って貰ったのにいちゃもんつけてさ。名前が紛らわしいのだってあたしのせいじゃないのにね。だいたいみーんな電話鳴ってんのにだっれも出ないし、ぜーんぶおんなじ着信音で超紛らわしーし! もー雑務なんかみんなみんな新人に押しつけててさ! トイレ行く暇もないんだよ! も、いー加減にしてって感じ! ……ねえちょっと。聞いてる? 啓太」
「……うん。聞いてる聞いてる」
「シュレッダーのごみ溜まりまくっててもだぁーれも捨てに行かないし! 超重たいのに誰も手伝ってくれないんだよ? 同期の子たちいるけどあんまやってくんないし。コピー機の紙しょっちゅうなくなるし、そんで誰も補充してないし。ほーんとやんなっちゃう」
「……ああ、そうだね」
「なんかすごく適当に返事してない?」
「……いや。おれも営業やってるからさ、……大変なんだよ。おれの営業事務担当の女の子さ、メモ残してくれるのはいーんだけど、新規のお客さんなのに番号書いてなかったりしてさ。書き間違いも多くってさ。かけ直して違う相手だったらシャレにならないだろ。こっち焦ってっけど態度になんか出せないし、……なんべん言っても覚えらんねえんだよな、あの子」
「……ふぅん」
「おれ的には、メモ残すならちゃんと残して貰えないと駄目だな。

 間違ってたら書いた意味なんかねえじゃん」

「あそ、そうなの……」てっきり自分の愚痴に同意して貰えると思っていた彼女は、拍子抜けした。
「話そんだけ? おれ朝早いからさ、……」
「あっ週末どうする? あたし啓太んとこ行こうか?」
「うーん、おれ金曜飲み会あるし、……また電話する」
「あ、そう、……そっか。じゃあ、またね。おやすみ」
「うん、おやすみ」

 ……切られた。

 どっちが切ろうか?
 やだ切りたくない、
 そっちから切って?
 やー無理、待って、もちょっと話そ?

 ……なんて言い合っていた恋人時代が、嘘みたいだ。

 半年も経てば、多少なりとも関係というものは、冷える。
 ましてや、……お互いに社会人になったばっかりで。
 環境の激変という時期。
 だから、ちょっとだけ距離を置くことが必要。

 と、彼女は考えていた。

 ちょっとやそっとのすれ違いを感じたくらいでメゲたりしない。

 就活の時期だって、お互い世間の風に色々揉まれて大変だったけど、乗り越えてきた。そう、就活で別れるカップルは案外多いのだ。
 その荒波を乗り越えたことが、彼女の自信になっていた。
 荒波を越えてこそ絆は深まるというもの。

 彼氏の話を聞いた結果、彼女は、考えを改めた。

 言葉に刺があろうとも、蒔田の言い分は真実だったと。

 自分だって、お客さんとやり取りしていて、名前の書き間違いなんかあったら、困るだろうから。

「うん。想像力が、足りなかったか……」

 プラス字の読みやすさも。

 * * *

「寺垣さん。ちょっといいですか」

 翌日、彼女は事務員の寺垣のところを訪れた。

「うん。なぁに?」
「電話取り次ぐときにメモするじゃないですか。そういう電話取るときのフォーマットってありませんか」
「あっ、あるある。事業部のフォルダの事務連絡のなかの、ごめん。みんなに周知しとけばよかったね」
 昨日の蒔田とのやりとりを見ていたようだ。寺西は、小さく頭を下げた。
「ううん。平気です。事務連絡のなかのFormat、ですか」
「そうそう。このなかに色々入ってるよ。休むときの届けとか……」
「あ、事業部内研修で習ってたんで、見つけなかったのあたしのミスです」
「いいんだよ? 分からないことはなんでも聞いて? 最初っから出来るひとなんて誰も居ないんだから。電話メモって確かExcelのフォーマットがあってね、……印刷しとこうか?」
「あいえいいです。ちょっといじりたいんで」
「あそう? あとね、印刷した用紙の予備持ってる? 無いならわたしのあげる」
「あいえ大丈夫です。フォーマットに自分の名前入れて個人フォルダに入れとこうと思うんです」
「あ、……あ。そっか。いちいち名前書くのめんどくさいもんね。あたしもそうしよっかな……」
「かもですね。寺西さん、ありがとうございました」
「いーえー。またわかんないことあったら遠慮無く聞いてね?」
「ありがとうございます。あ、日野くんと井原さんにも教えときます」
「うん。お願い。ありがとう」

 自分の仕事でもないのに。
 さらっと笑顔でありがとうと言える寺西さんっていいひとだ。
 と彼女は思った。

「しっかし要領悪いことしてたんだなー」

 帰りしな彼女は呟いた。

 考えてみれば。

 毎回、電話を受けた時刻や相手の名前を項目付きで書いていた。

 第三事業部 蒔田 様
 6/13 12:35
 田中ユウジ 様 より電話有り
 用件:折り返し電話をください
 伝言:なし
 第三事業部 榎原

 と言った風に。
 折りTelの有無をマルをつけるだけにしておく。
 FromToを印刷しておく。
 必要項目さえ乗っけておけば、手書きするのは誰宛かと時間とあれば伝言の三つだけ。

「フォーマットって便利なんだなー……」

 と思いつつ自席にて彼女は加工をする。
 すかさず、同期の日野と井原にメールを送信する。CCに寺西を入れた。

「あーなんか仕事してるって感じ」

 うっふふと一人小さく笑いながらその日の始業開始時間を迎えた。

 開始早々、一人の男が彼女を訪れた。

「おい。榎原くん」
 彼女は顔をあげた。声の主が蒔田だったので彼女は驚いた。
「な、なんですか」
「根に持つ性格か?」
「はい?」榎原は、蒔田の意図が掴めなかった。
「カタカナで書けと言ったが、印刷した文字までカタカナにする必要は無い。第三事業部エノハラ、だと? ここ。漢字でいい」
「分かりました。直します」
「いや別に強制はしていない」
「そういう言い方する場合って九割九分九厘『して欲しい』場合なんですよ」
「一厘ってこたあるのか」
「蒔田さんがわざわざあたしの席に来てまで言ってくるんですから、今回の場合においては、先ず、ありえません」
「漢字で書いておくと、別部署の人間が見た場合に、覚えて貰える。名前と顔を売るチャンスなんだぞ」
「助言ありがとうございます。痛み入ります」
「まあ。いい」
「これからもご指導ご鞭撻のほどお願いします」
「そこまで言うと慇懃無礼ってやつだな」
 と言って彼は自席に戻っていった。

 どういうわけだか。

 蒔田一臣はすこし、笑っていたように彼女には思えた。

 *
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