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act13. 『気になる』
しおりを挟む飲み会でいつも困るのが、トイレに行くタイミングだ。
女というだけで、酒の注文係に回される。下が入ってきたから、その役割は徐々に薄まりつつあるものの、なくなったとはいえない。
なので彼女は、入口近くに座ることが多い。
誰かに頼んでもいいのだが、せっかく先輩方に可愛がられている様子の後輩にはなんだか頼みにくい。
トイレに行って戻ったら戻ったらで、空のグラスが転がってる状態、というのも落ち着かない。
だから結局、頼む役割を担うのだ。
今夜も彼女は、「お酒頼みますけど頼むひといます?」とお決まりの台詞を吐き、通路に店員が居ないか伺うところだったが。
「げ」
見知った人間を見つけた。同じ会社の先輩と来ている様子。
桐沢(きりさわ)遼一(りょういち)。
向こうも、こちらに気づいた。
にぃと笑う。何故だかピースサインをして見せる。本当に、何故だろう。意味が分からない。
「ああ、桐沢さんも飲みに来てんすか」後ろから一色の声がしたので彼女は驚いた。同じ会社といえど従業員が千人を超える会社だ。偶然にも知り合いということか。
彼女の驚きに気づかず桐沢は一色に話しかける。
「そ。そっち混ざっていい? おれら二人で来てんだけど」
「いいよ」答えたのは柏谷だ。どうやら彼女を素通りし、奥の席に座る様子。
俯いたままため息を噛み殺す。
(出来れば、会いたくなかった……)
桐沢遼一は、彼女の同期だ。配属先が違ったのを、彼女は心の底から喜んだ。なるべくなら関わりたくない相手だから。
もう、二度と。
(トイレ、行ってこよ……)
彼女は誰にも言わずに席を立った。注文するのは、一色か桐沢がやってくれるだろう。
* * *
「げ」
「紘花ちゃん、なしておれ見るたび『げ』って声に出すん? なして?」
個室トイレの前に桐沢遼一が立っていた。
ご丁寧にも男女共用だ。
「空いてるよ」と彼女は意識して冷たく言う。
「おれトイレになんか用ないもん」
「じゃあなにしに……」自爆。
会話が嫌な方向に向かいかけるのを感じ、彼女は目を逸らした。
「元気してんの? 紘花ちゃん」
「その、紘花ちゃん、てのやめて」
「なんでぇ? 紘花ちゃんとおれの仲やんか」
「本当に、もう……」関わりたくないのだ。
なかったことにしたいのだ。
でもこの男はそれを許さない。「……迷惑、なんだよね。そーゆーふうに話しかけられるの」
「迷惑。……おれの存在意義超否定」
「切り札のカード持ってるふうな話し方するじゃんいつも。……なんかそういうの、やなの」
「そぉーおかぁ。でもおれ元々こんなんやし」
「水戸(みと)さんたちとは違うじゃん」
「営業部長の水戸さんにこんな話し方したらおれ本気でふっ飛ばされんぞ」かか、と桐沢は笑う。
綺麗な名前をしている割に。
屈託のない、話し方や笑い方をする男だ。
「なあ、今度の土曜紘花ちゃん空いてへん?」
「空いてない。空いてへんすこぶる忙しいの!」
「そっかあ。せっかくどっか出かけたいなぁ思うてんけど。しながわ水族館とか」
「なんで唐突に品川よ」
かか、と桐沢は笑う。「おれ、紘花ちゃんの律儀に突っ込むとこごっつ好きやねん」
「突っ込む役割あたしは嫌いよ」
「そーゆークールに切り捨てるところもたまらんわぁ」
「……あたし。そろそろ戻る」
「ちょっと待ってやあ」
彼女に影が落ちる。
立ち塞がる桐沢。正面切って立つと、背の高さの違いに、男を感じる。
すこし酒臭い息。
「……どいて。くれる、かな」……語尾が弱々しい。
どうしてこんなにも自分は強気で弱気なのだ。
どいて、くれる?
二言目が喉元から出かかった頃、別の声が聞こえた。
「邪魔だ」
桐沢遼一は背が高いとはいえ、身長が160センチを超える彼女と十センチほどしか変わらない。
彼女にかかる影が濃くなる。
一人の存在に、よって。
「蒔田さん……」彼女は、救われた気持ちがした。
「そんなとこでくっちゃべってられると他の客の邪魔だ。喋るなら他のところにしろ」
「はい、はい」す、と桐沢は身を引く。蒔田の表情が見える。なんだか、表情が険しいのは気のせいか。「じゃあおれ先戻っとく」
「ああ」桐沢は紘花に言ったと思われるが、蒔田が答える。
今度は、蒔田と彼女が向き合うかたちとなる。
「……蒔田さん。使いま、す……?」彼女は後ろを指してみた。
「いいや」と蒔田が答える。
「いつまでも戻ってこないやつを探してきてみればそんな顔をしているから邪魔したまでだ」
……、
その台詞に、彼女はたまらず胸を押さえた。
俯く。蒔田を見つめ返す勇気が持てない。
要らない、期待をしてしまいそうだから。
「じゃあ、先に戻っている」
彼女が顔を上げる前に、蒔田はその場を離れた。
黒いスーツの男が細い通路を歩いて行く。
彼女が顔をあげたときには、その見慣れた長身は座敷のなかへと消えていた。
(嬉しい、けれど……)
同時に、弱みを見せてしまった後ろ暗い気持ちも残ったのだった。
*
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