恋は、やさしく

美凪ましろ

文字の大きさ
15 / 73

act13. 『気になる』

しおりを挟む

 飲み会でいつも困るのが、トイレに行くタイミングだ。

 女というだけで、酒の注文係に回される。下が入ってきたから、その役割は徐々に薄まりつつあるものの、なくなったとはいえない。

 なので彼女は、入口近くに座ることが多い。

 誰かに頼んでもいいのだが、せっかく先輩方に可愛がられている様子の後輩にはなんだか頼みにくい。

 トイレに行って戻ったら戻ったらで、空のグラスが転がってる状態、というのも落ち着かない。

 だから結局、頼む役割を担うのだ。

 今夜も彼女は、「お酒頼みますけど頼むひといます?」とお決まりの台詞を吐き、通路に店員が居ないか伺うところだったが。

「げ」

 見知った人間を見つけた。同じ会社の先輩と来ている様子。

 桐沢(きりさわ)遼一(りょういち)。 

 向こうも、こちらに気づいた。

 にぃと笑う。何故だかピースサインをして見せる。本当に、何故だろう。意味が分からない。

「ああ、桐沢さんも飲みに来てんすか」後ろから一色の声がしたので彼女は驚いた。同じ会社といえど従業員が千人を超える会社だ。偶然にも知り合いということか。

 彼女の驚きに気づかず桐沢は一色に話しかける。

「そ。そっち混ざっていい? おれら二人で来てんだけど」
「いいよ」答えたのは柏谷だ。どうやら彼女を素通りし、奥の席に座る様子。

 俯いたままため息を噛み殺す。

(出来れば、会いたくなかった……)

 桐沢遼一は、彼女の同期だ。配属先が違ったのを、彼女は心の底から喜んだ。なるべくなら関わりたくない相手だから。

 もう、二度と。

(トイレ、行ってこよ……)

 彼女は誰にも言わずに席を立った。注文するのは、一色か桐沢がやってくれるだろう。

 * * *

「げ」
「紘花ちゃん、なしておれ見るたび『げ』って声に出すん? なして?」
 個室トイレの前に桐沢遼一が立っていた。
 ご丁寧にも男女共用だ。
「空いてるよ」と彼女は意識して冷たく言う。
「おれトイレになんか用ないもん」
「じゃあなにしに……」自爆。
 会話が嫌な方向に向かいかけるのを感じ、彼女は目を逸らした。
「元気してんの? 紘花ちゃん」
「その、紘花ちゃん、てのやめて」
「なんでぇ? 紘花ちゃんとおれの仲やんか」
「本当に、もう……」関わりたくないのだ。

 なかったことにしたいのだ。

 でもこの男はそれを許さない。「……迷惑、なんだよね。そーゆーふうに話しかけられるの」
「迷惑。……おれの存在意義超否定」
「切り札のカード持ってるふうな話し方するじゃんいつも。……なんかそういうの、やなの」
「そぉーおかぁ。でもおれ元々こんなんやし」
「水戸(みと)さんたちとは違うじゃん」
「営業部長の水戸さんにこんな話し方したらおれ本気でふっ飛ばされんぞ」かか、と桐沢は笑う。

 綺麗な名前をしている割に。

 屈託のない、話し方や笑い方をする男だ。
「なあ、今度の土曜紘花ちゃん空いてへん?」
「空いてない。空いてへんすこぶる忙しいの!」
「そっかあ。せっかくどっか出かけたいなぁ思うてんけど。しながわ水族館とか」
「なんで唐突に品川よ」
 かか、と桐沢は笑う。「おれ、紘花ちゃんの律儀に突っ込むとこごっつ好きやねん」
「突っ込む役割あたしは嫌いよ」
「そーゆークールに切り捨てるところもたまらんわぁ」
「……あたし。そろそろ戻る」

「ちょっと待ってやあ」

 彼女に影が落ちる。

 立ち塞がる桐沢。正面切って立つと、背の高さの違いに、男を感じる。

 すこし酒臭い息。

「……どいて。くれる、かな」……語尾が弱々しい。

 どうしてこんなにも自分は強気で弱気なのだ。

 どいて、くれる?

 二言目が喉元から出かかった頃、別の声が聞こえた。


「邪魔だ」


 桐沢遼一は背が高いとはいえ、身長が160センチを超える彼女と十センチほどしか変わらない。

 彼女にかかる影が濃くなる。

 一人の存在に、よって。

「蒔田さん……」彼女は、救われた気持ちがした。

「そんなとこでくっちゃべってられると他の客の邪魔だ。喋るなら他のところにしろ」

「はい、はい」す、と桐沢は身を引く。蒔田の表情が見える。なんだか、表情が険しいのは気のせいか。「じゃあおれ先戻っとく」
「ああ」桐沢は紘花に言ったと思われるが、蒔田が答える。

 今度は、蒔田と彼女が向き合うかたちとなる。

「……蒔田さん。使いま、す……?」彼女は後ろを指してみた。
「いいや」と蒔田が答える。


「いつまでも戻ってこないやつを探してきてみればそんな顔をしているから邪魔したまでだ」


 ……、

 その台詞に、彼女はたまらず胸を押さえた。

 俯く。蒔田を見つめ返す勇気が持てない。

 要らない、期待をしてしまいそうだから。

「じゃあ、先に戻っている」

 彼女が顔を上げる前に、蒔田はその場を離れた。
 
 黒いスーツの男が細い通路を歩いて行く。

 彼女が顔をあげたときには、その見慣れた長身は座敷のなかへと消えていた。

(嬉しい、けれど……)

 同時に、弱みを見せてしまった後ろ暗い気持ちも残ったのだった。

 *
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

禁断溺愛

流月るる
恋愛
親同士の結婚により、中学三年生の時に湯浅製薬の御曹司・巧と義兄妹になった真尋。新しい家族と一緒に暮らし始めた彼女は、義兄から独占欲を滲ませた態度を取られるようになる。そんな義兄の様子に、真尋の心は揺れ続けて月日は流れ――真尋は、就職を区切りに彼への想いを断ち切るため、義父との養子縁組を解消し、ひっそりと実家を出た。しかし、ほどなくして海外赴任から戻った巧に、その事実を知られてしまう。当然のごとく義兄は大激怒で真尋のマンションに押しかけ、「赤の他人になったのなら、もう遠慮する必要はないな」と、甘く淫らに懐柔してきて……? 切なくて心が甘く疼く大人のエターナル・ラブ。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。 **2026.01.02start~2026.01.17end**

Catch hold of your Love

天野斜己
恋愛
入社してからずっと片思いしていた男性(ひと)には、彼にお似合いの婚約者がいらっしゃる。あたしもそろそろ不毛な片思いから卒業して、親戚のオバサマの勧めるお見合いなんぞしてみようかな、うん、そうしよう。 決心して、お見合いに臨もうとしていた矢先。 当の上司から、よりにもよって職場で押し倒された。 なぜだ!? あの美しいオジョーサマは、どーするの!? ※2016年01月08日 完結済。

年下幼馴染から逃げられない

南ひかり
恋愛
大手リゾート会社に勤める朝倉千秋は、将来ハワイ永住を夢見て着々とキャリアを積んでいた。 入社4年目。念願のハワイ支部転属が決定した矢先、テレビで自社の倒産を知る。 買収したのは近年記録的な成長を遂げる相模リゾート。 それは何年も音信不通だった年下の幼馴染ーー相模悠が経営する会社だった。 「ハワイには行かせない。ずっとオレの傍にいてもらうから」 悠に告げられたのは、ハワイ行きではなく秘書として働くということ。 必死に抵抗する千秋だったが、悠が持ち出した条件は――!?

社長の×××

恩田璃星
恋愛
真田葵26歳。 ある日突然異動が命じられた。 異動先である秘書課の課長天澤唯人が社長の愛人という噂は、社内では公然の秘密。 不倫が原因で辛い過去を持つ葵は、二人のただならぬ関係を確信し、課長に不倫を止めるよう説得する。 そんな葵に課長は 「社長との関係を止めさせたいなら、俺を誘惑してみて?」 と持ちかける。 決して結ばれることのない、同居人に想いを寄せる葵は、男の人を誘惑するどころかまともに付き合ったこともない。 果たして課長の不倫を止めることができるのか!? *他サイト掲載作品を、若干修正、公開しております*

ヒヨクレンリ

なかゆんきなこ
恋愛
二十八歳独身。オタクで腐女子の峰岸千鶴はある日突然親にセッティングされた見合いで一人の男性と出会う。それが、イケメン眼鏡の和風男子・柏木正宗さん。なんでこんなリア充が見合なんか……!! 驚愕する千鶴だったが、とんとん拍子に話は進んで……。見合い結婚したオタク女と無口眼鏡男の、意外にらぶらぶな結婚生活の物語。サブタイトルは、お題サイト『TV』様(http://yadorigi1007.web.fc2.com/)のお題を使わせていただきました。※書籍掲載分を取り下げております。書籍版では(一部を除き)お題タイトルをサブタイトルとして使わせていただいております。その旨、お題サイト管理人様にはお許しをいただいております。※

辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

鳴宮鶉子
恋愛
辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

スパダリな義理兄と❤︎♡甘い恋物語♡❤︎

鳴宮鶉子
恋愛
IT関係の会社を起業しているエリートで見た目も極上にカッコイイ母の再婚相手の息子に恋をした。妹でなくわたしを女として見て

処理中です...