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act16. 対峙
しおりを挟む彼女は基本、飲み会に誘われれば顔を出す。
実は蒔田もそうしているようだ。
だからなおさら、彼女は誘われれば断らないようにしている。だが。
桐沢遼一が同席すると聞いた場合は、判断に迷う。
行きたい気持ちと行きたくない気持ちが半々だ。彼女は迷いつつも、日頃定時一時間を過ぎる頃には帰る人間だから、断る言い訳も見当たらず、結局その飲み会に参加した。
「……一色くんて、桐沢くんと仲がいいんだね」
ときどきお昼を一緒に食べに行く姿を見かける。彼らは三歳違いだと思うが、彼らの間には年齢を超えた親しさを感じる。
「うえ? あそっか、桐沢さんて榎原さんの同期でしたね。おれらおんなじサッカー部ですから」
「会社のサッカー部?」ちらと桐沢を見た。柏谷となにか話し込んでいる様子。
うえの人間に取り入るのがうまいタイプだ。
こう評する彼女の気持ちに嫌悪感が若干交じるのは、やはり私情ゆえか。
「はい」と彼女の内面の動きを知らず無邪気な返事が返ってきた。「桐沢さんすげー上手いんすよ。足元なんか超上手で」
「フォルランみたいな感じ?」彼女は適当に思いついた選手の名前を言ってみた。
「それ、……言い過ぎっす」
「ああそう」と彼女は適当に流す。ワールドカップで日本代表が勝てば喜ぶ。友達にも観戦に誘われれば行く程度。以外の場面でサッカーになんか興味が持てない。
と思った彼女だが、ビールを一口飲み、考えなおした。
(蒔田さんのお兄さんが、サッカー選手なんだった……)
「こないだ、友達に連れられてJ2の試合見に行ったの。……ねえ、J2ってどれくらい強いの?」
「プロはプロっすからおれらみたいな会社でサッカーやってる人間よりか断然レベル高いっすよ」と素直に一色は認める。「お友達にJ2サポーターがいるんですか?」
「女の子でも応援団の真ん中一人で行っちゃうような子だよ。……そんな大胆な子じゃないと思ってたんだけどね」竹田薫のことを思い返す。
想う男性が居ても、自分から告白できないタイプだ。蒔田樹に話しかけられ、あんなに顔を赤らめていた。
でもサッカーのことならぐいぐいと詰め寄れる。彼女と真逆だ。
いや。彼女の行動を鈍らせているものの正体こそが、真実の恋なのかもしれない。
「結構過激っすね」と一色は何度か納得したように頷いた。「おれ代表戦とか見に行ったことありますけど、爆心地なんか近寄れませんでした。超にわかです」
「日本代表の歌とか歌えるの?」
「適当に合わせるだけならなんとか、です。ニィッポン、ニィッポン、ニィッポン」
ハイ。ハイハイハイハイ。
お茶碗をお箸で叩く、酔っぱらいさながらの行動をしたのは桐沢だ。
一人が歌い出すと釣られる人間が表れるのが集団の心理だ。ましてやサッカー日本代表がベスト16入りという好成績を残した記憶がいまだひとびとの間には新しい。
ニュースで見かけた渋谷のスクランブル交差点の映像を思い起こしつつ、彼女はひとり席を立った。
* * *
「あ」
「よお」携帯で仕事の電話をしていた様子の蒔田と鉢合わせた。居酒屋の細い廊下にて。「なか、うるさいがなにを盛り上がっている」
「話の流れで日本代表の話になって、ひとりが歌い出したら他のお客さんまで歌い出しちゃって……」
「戻りづらい雰囲気だな」
「そうですね」と彼女は肩を竦めた。「電話。なにか急ぎの用件でしたか」
「いいや。こないだのに比べたらなんてこたない」先日。
ビジネスパートナーさんがUSBメモリ入りの自分のバッグを紛失した。
情報漏えいが後を絶たないこのご時世、とうとう自分の会社でもそんなことが、と、彼女は身の引き締まる思いでその知らせを聞いた。後処理と対策に取り掛かり、早速『情報取り扱いマニュアル』なるものを蒔田と作ったばかりだ。
ドキュメントには厳しい宗方が、珍しく「よくやった」と褒めた。
その蒔田がなんてことないと言うのだから本当にそうなのだろう。「……大変ですよね、GLって。休日に電話来たりするんですよね」
「滅多にないさ。こないだみたいなことは」
「そのこないだみたいなことが一定割合であるから大変だと言ってるんです」
「それも仕事のうちだからな。誰かが頭下げなけりゃ納得行かない場面がどうしてもある。仕方ない」
「蒔田さんって案外……、割りきってますよね」頭下げるなんて似合わないキャラなのに。
「どういう意味だ」と蒔田が食いついた。
「しなければならないことを割りきって出来る人間と、いつまでも納得しない人間の二つに二分されると思うんです、世の中は。蒔田さんは……、間違いなく前者ですよね」
「納得いかないことだっておれだってあるさ。だが誰かがやらなければ」
「その使命感こそが」彼女は蒔田を遮って言った。「本当に大事なものを見えにくくさせているのかもしれませんね」
ちょっとしたワンセンテンス。
なんてことない台詞が、その人物の急所を突くことがある。
彼女は予想していなかったが、蒔田には思い当たるふしがあるようだ。
「……痛いところを突くな、本当に……」
蒔田が傷ついたように胸を押さえたので彼女は本当に驚いた。「す、すみません、変なこと言っちゃって……」
「お詫びと言っちゃなんだが頼みたいことがある」
「な、なんでも聞きます」
「それじゃあ」蒔田は片手を下ろした。「今後一切――」
「お取り込み中のところえらいすんません」
誰の声かと思った。この喋り方。決まっている。
「お二人さんの向こうにある便所に行きたいんすけど……」
二人は、二手に別れ、壁にくっつくようにして後ずさった。そうすると通路が狭くなりかえって通りづらいと思うのだが。
彼女はため息を一つ吐き、言った。「桐沢くんっていつも絶妙のタイミングで登場するよね。役者みたい」
「は。おれみたいな役者がおってたまるか」
親しげに桐沢が手を榎原の頭に伸ばしてくるのを彼女は片手で振り払った。蒔田の前で。
親しい姿なんか、見せたくない。
彼が二人の間を通ろうとしたので、彼女は桐沢の来た方へ戻り、彼を見送ろうとした。
だが、桐沢は蒔田のまえで立ち止まる。「さっきの話、本気なんでしたらおれが」
彼は挑戦的に、榎原紘花に一瞥をくれてから言った。
「紘花ちゃんに手ぇ出したとしても、蒔田さんはなんとも思わんっつうことですよね」
え。
ええ!?
と彼女は内心で叫んだ。どこをどう聞き違えたら、そんな話になるのか。
蒔田は、今後一切と言いかけただけではないか。
おれと関わらないでくれ。
そんなことを言おうとしたのだろうか?
いまの蒔田を見ても分からない。無表情だ。挑発されているのが明らかなのに。
余裕しゃくしゃくで軽口を叩くいつもの感じとも違う。
榎原は彼の唇が動くのを待った。
「上司としては、部下のプライベートに干渉する趣味は無い」
すこーん、と頭を叩かれたような感覚が突き抜ける。
教科書通りの答えだった。
蒔田のスタンスはいつもこれなのだ。『上司だから関係ない』。彼女はがっくりと肩を落としかけたが、桐沢の質問は続く。
「したら、蒔田さん本人としてはどうなんです」
「面白くはないな」
即答、だった。驚いたことに。
襟の辺りを指で触り、視線を下に落としながらも蒔田一臣は一秒足らずで答えたのだった。
予想外の答えに呆然とする一同を尻目に彼は言葉を続ける。「理由は一つ。おまえが彼女にふさわしくないからだ」
「なっ!? にをぉお……」もはや桐沢のそれは言葉になっていない。
榎原は口を挟むどころではない。加速する鼓動を抑えるが、やっとだ。
「おまえの話し方はおれのとある知人と酷似している。ちなみにやつは生粋の女たらしだ。そういう理由で、桐沢くん。おまえが榎原くんに近づくことをおれ個人としてはよしとしない」毅然と答える蒔田。
一方、桐沢は頬を引きつらせながらもなんとか笑おうとしている。
「言ってくれますねえ……」長い前髪に彼は触れる。「おれ、蒔田さんになんか恨み買うようなことしましたかね。知り合いに似てるってだけでそんなボロカス……」
桐沢としては、蒔田に挑戦状を叩きつけて榎原を口説きにかかったところが、泥を塗られたかたちだ。
格好悪いし、示しがつかない。
「おれと、勝負してくれませんか、蒔田さん」
そんななかで、桐沢は一撃を放った。
なんで、という疑問を持つのは榎原一人だけだ。彼女だけこの場の空気を読めていない。
ひとりの女をめぐる、男たちのやり取りを。
「構わんが、白黒はっきりつけられるものがいいな……」
ここで悠然と。
微笑すら浮かべながら蒔田一臣は答えたのだった。
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