恋は、やさしく

美凪ましろ

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act15. プレシャス

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「すいません榎原さん、分かんないとこがあって……」
「はいはい」またか。
 と思いつつも彼女は作業中の手を止め、顔を合わせるべく椅子を回転させる。「ちょっと待って」

「待たねえ」

 別の声が割って入った。

 振り返れば影が彼女の顔に落ちる。

 蒔田一臣だ。

 彼は、彼女に目を向けず、一色に諭すように言う。「だいたいなんだおまえは。考えもせずすぐ質問に来やがって。すこしはてめえの頭で考えろ」

 ……というより、怒っている。

「十秒ルールを作ろう。疑問点が浮かんだら訊く前にとりあえず十秒考えろ。こっちに来るのはそれからだ。……というより、ほかに訊けるやつ居ないのか」
「あ、あ、あのぉー……」可哀想に。元々クールで強面の蒔田に睨みつけられ、すっかり萎縮している。「ほ、ほかに、居ないんですぅ……」
「分かった分かった。疑問を持たずに仕事をするよりマシだ。だが頻度を考えろ」
「あの、蒔田さん」
「おまえもおまえだ。こいつが一日に二十回も三十回も質問に来る状況を異常だと思わなかったのか」
「思わなかったわけじゃないですけど……、月末まで待とうと思ってました」
「というのをおまえの上司であるおれに言わないのが悪い」
「まあ、……認めます。はい」
「確認を取らなかったおれも同罪だが」
「いえべつに蒔田さんは」
「……おれ、いま訊こうと思ってたこと、もいっぺん自分の席で考えて来ます……」
「あっいいんだよ、十秒考えたあとなら」
「……一人で頑張ってみます」
「ああ、そお?」
 一色が去るのと入れ違いで蒔田は自分の席に座った。

 彼女は、蒔田を直視して言った。「……珍しいですね、蒔田さんが自分から一色くんに言うなんて」蒔田は基本、放置プレー。

 本人が自分で気づくのを待つタイプだ。

「あんなに頻繁に来られてはおれのほうの業務にも支障を来たす」Eメールを手早く打ちながらそんなことを言う。もう蒔田は彼女を見ていない。
「うるさかったですか? ごめんなさい」
「いや。そうじゃなく……」

 ちらり。


 蒔田と視線が絡まる。

 が、それは春に散る桜の花びらのように、一瞬のことで。

「なんでもない」と言って、蒔田は、メールの送信を終え、通常業務に戻っていく。そうなると、彼女にかけられる言葉はもはや、無い。彼女も自分の仕事に戻っていくだけだ。

 つかの間の会話、されど貴重な時間。

 お金を貰うために仕事をする時間は貴重だが、この寸分の蒔田との交流は、彼女にとってもっと貴重なものだった。

 *
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