恋は、やさしく

美凪ましろ

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act28. 律儀で寡黙なマイ上司

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 榎原紘花が出社すると間もなくして、不在の上司の椅子に、ジャケットがかかっているのを見つけた。


「あ」


 紺色のジャケット。


 いつも黒のスーツばかりの蒔田にしては珍しい服装だ。いまは六月とはいえクールビスまっただ中のご時世。

 こんな時期に上着を持って出社する人間などいない。


『制服とは言ってない。紺色のスーツくらいならうちにもある。一着だが』

『約束ですよ』


 返事も頷きもしなかったけど、律儀に『約束』を蒔田は守ってくれたのだ。

 嬉しい気持ちと甘酸っぱい気持ちとからかい倒したい気持ちとが入り混じった思いで取りあえず突っ込もうにも、当の本人が不在だ。

 残念な気分を持て余しつつ給茶機のところに向かう。と途中で。


 喫煙室のなかに蒔田発見。


 しかも、ひとりだ。


 こんなラッキーチャンスなど逃したらそうそうない。彼女は迷わず喫煙室の扉を叩いた。「おはようございます、蒔田さん」

「……、……ああ」

 ぼんやりと煙草をふかしていたらしく、蒔田の反応は鈍い。朝が苦手なのだろう、この上司は朝イチはいまひとつ頭が働かないらしい。

 よくよく見れば上司のパンツも紺色だ。

 白のワイシャツに珍しく赤のネクタイという組み合わせ。いつも、白×黒が蒔田一臣のセオリーなのに。

 ネクタイもモノトーン。

 髪は、いつもほどハードにセットされていない。ジグザグの前髪がスタイリッシュでよく似合っている。

 銀縁の眼鏡が彼以上に似合う人物を彼女はほかに知らない。

 そして、きめ細やかな白い肌。こけた頬が男性ならではだと彼女は思う。

(触ってみたい、なあ……)

 寝ぼけた様子の上司をいいことに彼のことをじっくりと観察する。

 と、「おはよう」

 いまごろ挨拶が返ってきた。

「蒔田さん……、眠そうですね」彼女は笑いを噛み殺しながら話しかける。

「ああ、……昨日、オンラインゲームやりすぎてな……」小さくあくびをする姿が、小動物の休息みたいで可愛らしい。

 この上司を動物に例えるなら黒豹なのに。

 ものすごく可愛い一瞬があるのだ、一日一回くらいに。

 彼女は、胸がきゅんとするのを抑えられない。

 笑顔のまま彼女は尋ねる。「どんなゲームされているんですか」

「メンバーで狩りに行って倒しに行くやつ」

「それって流行りの……、ああ」彼女はみなまで言わなかった。「面白いんですかあれ」

「やりだすとなかなかハマる。つくりが結構細かいんだ。ひとをノセるようにできている。飽きさせない工夫もされている」

「べた褒めですね」

「地元の友達とやりだすと長いんだ。……あいつは諦めの悪いやつで、一度倒そうと決めたらその日のうちに絶対に倒す。お陰で二時間三時間とテレビ画面に貼り付きっぱなしだ。トイレにも行けない」

「断ればいいじゃないですか」彼女は蒔田の膀胱が心配なのだが、蒔田はキッパリと言ってのける。

「断ると、おれの楽しみが減る」

「愛されてますね、そのお友達」

「業界も一緒で趣味も合う、同じ石川出身の友人はレアだ」

「……蒔田さん、一つ聞き忘れたんですけど……」と、彼女は話題を変える。「うちの父が、あたしの出生の秘密を明かしたとき、なんて言葉返したんですか。……たぶん、将来のこととか、蒔田さんのおうちのこととか訊かれたと思うんですけど……」

「気にしない」

「え」

 蒔田は、片手で煙草をもみ消した。「気にしない、と答えた。……おれの親は、言い方はなんだが、おれがどんな馬の骨と一緒になろうが気にしない。結婚は自由だ。してもしなくても構わない。するなら好きな相手と一緒になれ、と言われている。言葉通りの意味ではなく、本気でだ。

 ……きみのお父さんには、希望を持たせる結果となってしまったかな」蒔田は、新しい煙草に火を点ける。

「それはあたしに対しても、です」

「嘘をつくわけにいかんからな」彼女の精一杯のアピールにも平然と返す。この上司をものにできるものならしてみたい、とその冷然とした表情を見て彼女は思った。

「つまり、……きみのお父さんをのちのち失望させる結果となったとしても、それはおれの責任だ」

「責任を負うんなら、その相手が違います。あたしに対してです」

「おれは、あずかり知らんが」

 肩をすくめる上司を、恨みがましい目で彼女は見る。

 次の一言でこの部屋を出ていこうと決めた。

 ガスの抜けた炭酸のような朝の蒔田は、なんにも考えていないようで、『主導権』を握っている。次に彼女がなにをしでかそうが、どこまでも冷静にいなすのだ。


(くやしい……、なんとしても揺さぶりたいな、蒔田さんのことは)



「とりあえず、」彼女は、部屋を出ていきながら彼に告げた。「……ジャケット羽織れる気候になったら着てきてくださいね、

 あの紺色のジャケット」


 次の約束を取りつける。

 従わせるのが、せめてもの彼女の反抗だった。


 *
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