恋は、やさしく

美凪ましろ

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act37. 継続する限定的な幸せ

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 どんなときでも必ず朝は来る。


 どんなに悲しい夜にも、必ず明ける日が来る。


 泣きはらした日々にも、終わりが訪れる。


 けだるい月曜の朝。

 彼女は髪をかきあげ、鏡のなかの自分の顔色を確認した。悪くない。


 あんなに愛されて、幸せでないはずがない。


 ぽっ、と顔が赤くなる。朝からなにを破廉恥な。


 蒔田とは勤務地が別々。

 でも互いの連絡先は知っている。週末、一緒に長野の実家に帰るつもりだ。

 最初は勿論、彼女ひとりで帰るつもりだった。それが。


『駄目だ。おれも行く』の一点張りだった。


『きみが見合いを辞めたのはおれのせいだ。おれがきみを引き止めた。そのせいできみがお父さんに頭を下げるんならおれも頭を下げるべきだろ』

 でもそんな……。大げさにしたくないとかいろいろ彼女は反論したが、ちっとも蒔田は引き下がらなかった。


 正直、嬉しかった。


 でもことが大きくなるのではないかと不安もある。妙齢の男女が二人。女性の親に二人で会いに行くのがどういう意味を伴うのかを蒔田は分かっているのか。

 分かって、言っているのだろう。


『好きだ、紘花。離れたくない』


 何度も、呆れるくらい、抱きしめられた。蒔田に飽きることなど考えられないのだけど。彼の声。髪の感触が、しっかり肌に刻まれている。


(幸せ過ぎる……)


 むふふ、と鏡のなかの彼女が笑い出す。幸せ過ぎて、頬が緩む。笑いを抑えられない。周りの人間に迷惑をかけた軽率さは反省すべきだけど、これから、蒔田と一緒の未来が、ある。

 どんなことだって乗り越えられそうだ。

 会いたいときに蒔田に、会える。

 あたしのことを、愛してるって言ってくれた。

 街中をあんなに叫んで探しまわって。


 今日という日は希望の一日。明日はまたなにが起こるか分からない。大多数の退屈と、すこしの甘酸っぱさを残した毎日が続いていく。

 今日も、明日も。昨日とは違う一日が、待ち構えている。

 翌日にあたらしい希望を持てることが幸せの一環だ。顔を洗い化粧を整える。

 道林にはメールを返した。先ずは『ありがとう』。

『あとで、話すね』と。

 
 * * *

「さーさーさー待ってましたよ寄ってらっしゃい見てらっしゃい榎原さん」

 と、出来立てのうどんをすすらずに道林ミカは榎原紘花が口を開くのを待つ。「言いたいことありましたらなんっでも聞きますぅ」

「……ミカちゃん」彼女は、テーブルのうえに両手を乗せ、頭をさげた。「……ありがとう。粋なはからいに感謝してます……」

「あーやっば。嬉しい。嬉しいです……」道林が胸を押さえた。「やっぱ……、そうなったんですね。おめでとうございます。なんか自分のことみたいに嬉しいです。……二人のこと、じれったいなーってずぅっと思ってたんで……」

「おかげさまで、幸せだよ。ありがとう」彼女は笑顔を見せた。道林がようやくうどんに箸をつける。一口食べる。

 食べたあとに、ずいと顔を寄せた。「それでどうだったんです? 蒔田さん」

「えと。なんの話かなあ?」彼女は空とぼけて見せる。

「決まってるじゃないですか。相性。相性ですよっ」お昼にするべき話しじゃないだろうに。それでも、教えてください、とやけに道林が食いついてくる。

「ミカちゃんでもそういう話はできないなあ」と彼女も自分のうどんに箸をつける。麺にふーふー息をふきかけながら道林が、「答えないんなら、絶倫野郎ってことにしときます」と言ってのける。――絶倫野郎。

 残念ながら、否定出来ない。

 赤面した彼女の変化を、道林が見逃さない。「うわ! 図星ってことっすね」

「なにも言わないでミカちゃん……」

「あたし。絶対そうだと思ってたんですよ。蒔田さんちょーむっつり系っていうか、がっつり行くタイプだと思ってました。……週末寝れましたか榎原さん?」

 正直言うと全然……。

 顔色で答えを読み取ったらしく、あっは、と道林が笑う。「うわー。蒔田さんひどーい。さいこーう」

 見透かされ断定され。

 彼女は、なにも言えなくなるのだった。


 * * *


「それで。ミカちゃんには、バレバレっていうか。なにも言わないのに分かられちゃうの。どうしたらいい?」

「話題を変える以外あるまい」と電話の相手は断言する。「その話を続ける限り筒抜けなんだったらな。それともバラしたいのか」

「いっえ! とんでもありません!」と彼女は長い髪が揺れるくらい大きく首を振る。

「素直すぎるのも考えものだな。嘘をつく練習をしたほうがいい」

「例えばどうやって?」

「今日、おれのことを考えたか」

「……いいえ。嘘です、はい」

「いまの『いいえ』は嘘だと一発で分かった。次に。夕飯はちゃんと食べたか」

「はい。……じゃないや、いいえ」

「帰りが十二時過ぎてもちゃんと飯食わないと駄目だぞ。倒れるぞ」

「だって。太るもん……」

「倒れたら元も子もないだろう。第一、おまえは痩せてる。もうすこし太ったっていいくらいだ」

「太ったらそう言われなくなるんだよ。そんなの、やだもん。蒔田さんあたしがぷよっぷよになっちゃったら嫌いになるでしょう」

「ならない。まあ、おまえはそんな食い方をしないだろうと思うがな」

「蒔田さんこそ嘘つく練習しなさいよ」

「おまえ相手にそれはできん。寝るか。そろそろ」

「……切りたくない」

「困ったな。夢のなかでまた会えるか」

「会えるとは限らないじゃん」

「朝、メールする。おやすみ」

「……蒔田さんあたしの声聞いていたいって思わないの」

「思う。だから切る。おまえの健康面を心配している。早く寝たほうがいい」

「分かった」ぶーっと彼女は頬を膨らませた。「……おやすみなさい、蒔田さん」

「おやすみ。また明日」

 ぷ、と電話は切れたが。


 また明日!?


 また明日、どちらともなく電話をするということか!?

 
 希望に満ちた明日の約束に、思わず笑みがこぼれるのだった。蒔田と結ばれて以来。頬が緩みっぱなしだ。とどまることを知らない、あふれ出る愛情。こぼれる情愛。そのすべてを。

 会って、蒔田にぶつけたい。

 蒔田はきっと応えてくれるだろう。彼女は確信している。

 たぶんいまの時期が一番幸せなのかもしれない。

 互いの気持ちが、盛り上がっていて。啓太との経験から知っている。そして。


 どちらかの気持ちが盛り下がるときも必ずやってくる――。


 悪い想像に至り、彼女は首を振った。それでもいまを一緒に生きたい、と思える気持ちのほうが大事だ。刹那的な感情に身を任すのもいい。さきのことはあとから考えればいいじゃないか。幸せにどっぷり浸る生き方を、してみてもいいのかもしれない。

 蒔田のことが、頭から離れない。電話をしたらどんな声で答えてくれるだろう。無愛想、それとも上機嫌? 蒔田は、感情表現の度合いが低いひとだと思っていたが、彼女のまえでは思ったよりも感情的だ。

 事務的な口調のなかにも喜びの感じられる喋り方をする。彼女にはそれが分かる。それが幸せ。

 もう、二十二時を過ぎている。お風呂入らないと。寝ないと。明日また会社行って帰ってきたら蒔田と話せる。週末には直接会える。

(まだ、火曜日なのに……)

 週末までの日を指折り数えながら、彼女の胸のうちは幸福と期待に満ち満ちていくのだった。

 *
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