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act39. 深刻な恋愛
しおりを挟む「お父さん。来客用の布団勝手に出して敷いちゃうね」
「ああ、頼む」階段をのぼりながら声をかけると、台所に立つ父が答える。蒔田は風呂に入っている。お客さんだから先に入って貰った。
どの部屋に敷こうか迷ったけど結局、自分の部屋に敷いた。
別々の部屋に敷くのも、かえって不自然に思えた。
一階に降りると、父が、茶をいれているようだった。彼女に気づいて父親が声をかける。「紘花も、飲むか。お茶」
「うん。お願い」
「……蒔田くんのぶんも用意しておくか。そろそろ風呂からあがる頃だろう……」
「風呂あがりだったら熱茶よりビールとかのほうがいいんじゃない」
「彼女の家でビールを飲む気にはなれんだろう」
「ああそうだ。蒔田さん割りとお酒に弱いの。だからさっき、あんまり飲まなかったじゃない?」
「ひとまず用意しておこう」
彼女がお茶をお盆に乗せ、二人は和室へと移動した。
「蒔田くんは好青年だね」
彼女は茶を噴きそうになった。「好青年? あんな黒ずくめなのに?」
「いいひとを選んでくれたと思っているよ。父さんはいろんな人間を仕事で見てきた。彼は、正直で、嘘のない人間だ」
「正直者は馬鹿を見るっていうけど?」褒められすぎたのがちょっと気恥ずかしくて、彼女はからかうようにして言ってみた。
「素直すぎるという意味ではない。肝心なことに対して、真摯に向き合う人間のタイプに見えるよ彼は」
「ふうん。それって、いいことだよね」
「いいことだ。肝心なときにふらふらしている人間だと、あとあと心配だろ」
「あたしもそういう危なかっかしいところあるからね」
「だからこそ安心した。彼は覚悟を持ってここに来ている。……紘花にはその意味が分かるかい? 彼女の実家に来て、親に会うということは、相当の勇気を伴うことだよ。……父さんは経験したことがないけどね」
「うん、まあそういうひとに出会えて良かったと思ってる」
「幸せになるんだよ、紘花」
「お父さんってば気が早い。まだあたしたち、つきあい始めたばっかなんだよ。さきのことは分かんないし、彼にプレッシャーかけたくないの。だからお父さんもかけないで」
「分かっている。二人の、問題だ」
「お風呂、ありがとうございました」
背中のうしろから声。蒔田が思いのほか近くまで来ていた。
会話を聞かれていたのではないかと、ひやりとする。
「いいや。蒔田くん、お茶は飲むかい」
「遠慮なく頂きます」父のパジャマを着、タオルを首からかけた蒔田が彼女の横に回り込んだ。
男のひとの風呂あがりを、『色っぽい』と思ったのは初めてだ。
上気した白肌がなんとも艶っぽい。
無造作な黒髪なんか、手で触ってかきまわしたい。隙だらけの髪型。
お茶を飲みつつ、上目遣いで蒔田を見ると、なんと、蒔田がウィンクしてきた。台所で茶をいれる父親の目を盗んで。
彼女は卒倒しそうだった。
(ばっ)叫びそうだった。
叫んで、そして抱きつきたかった。なんてことするの。こんなところで、もう。
それができないのだから、下を向いて、悶々とした気持ちを抱いたのだった。
「蒔田くんは石川の出身だったね」
「はい。実家は、旅館をしています。良かったら今度、泊まりに来てください」
滅多に聞けない蒔田の社交辞令。
彼女は、しばらく、二人の会話を傾聴することにした。
「ああ、ありがとう」と父親は微笑する。「行ったことがないんだよ石川には。どんなところだい。……といっても、答えづらいかもしれないけれど……」
「魚が旨いです」
「ああ、魚。いいねぇ。長野では食べられないものが食べられそうだ。紘花がね、小学校の頃何度か行ったことがあるんだよ」
「うん。そうなの。研修旅行でね。お魚は食べなかったけど」
「今度、お父さんと二人で来るといい」
「え。いいの」
「いいよ」
どうにも周囲の人間を巻き込むと話がそれだけ大きくなる。
かえって彼女のほうが冷や汗をかいた。平然とした蒔田の表情。外堀を着実に埋められているのが分かっていないのか。
「蒔田くんの趣味は、なんだい」と、父親が話題を変えた。
「特にありませんが、……コーヒー淹れることくらいですかね」
「ほう。コーヒー」
「今度お父さんが東京に来た際、お淹れしますよ」
彼女は話に入りづらい。
東京に来たときの約束までしてしまった。しかも『お父さん』と来た。
父は、微笑し、頷いている。血が繋がっていないとはいえ、一人娘を奪われた父親の心境は果たしてどんなものだろうか。察するに、あまりある。何故か当事者の自分が冷静に現状を実況しているのだから笑える。
いや、笑えない。
「お父さん。蒔田さん。あの」彼女は、切り出した。「話が大げさになってる感じがして、正直、あたし、いたたまれないです……」
「悩むことはないさ。周りがどうのというより、二人の気持ちが第一なんだから。……お父さんは、別にね、過度な期待はしていないつもりだ。単に、紘花とおつき合いをしている蒔田くんと、親睦を深めようとしているだけだ」
「……連れてきたの失敗だったかもしれない」
「そんなことを言うもんじゃない」父が、彼女を、叱った。「それは、せっかく来てくれた蒔田くんに、失礼だよ」
「率直に言うと」蒔田が、話に割り込んだ。「いますぐ結婚とは考えていないです。これからおつき合いを続けていくうちに、前向きに考えていけたらと、思っています」
彼女は、蒔田の目を見た。真っ直ぐで、嘘のない瞳。
ああ、このひととずっと生きていけたらとそのとき、彼女は思ったのだった。
父の言うとおり、蒔田は嘘のない人間だった。
「紘花は、このとおり、真面目な性格で思いつめるところがあります」父は、小さく頭を下げた。
「深刻に考えすぎなんだよ」と、普段に近い口調で蒔田が言う。
「だって」彼女は、唇を尖らせる。
「なるようになるさ。考えすぎず思ったままにやってきゃ、なるようになるさ。考えるべきときが来たらそんとき考えりゃいい」
「そんな刹那的な考え方あたしにできるかなあ」
「考えるんじゃない。感じるんだ」
父親のまえでなんという台詞。
淫らな方向に考えた自分を、彼女は内心で恥じた。もういいや。
「あたし、先に寝るね。蒔田さんは」
「お父さんともうすこしお話をしたいのだが」
「お酒でも飲むかい、蒔田くん」
「はい。すこしは」
その場に蒔田を残していくのも悪いかもと思ったけど、こういうときは案外男同士のほうが話しやすいのかもしれない。そう判断し、二人に「おやすみなさい」と挨拶をし、彼女はその場を辞したのだった。
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