虐げられた令嬢は、姉の代わりに王子へ嫁ぐ――たとえお飾りの妃だとしても

千堂みくま

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37 逃げた王子

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「キャスリン達は、父親を人質に取られて密告のようなことをしてるんです。できればそんな事をせずに済むようにしたいんですけど……」

「難しいだろうな。シェリアンヌ自身はそれほど賢い女ではないが、父親は抜け目のない人物だ。娘を使って反乱分子を潰そうとしてるんだろう。今回の件に関して言えば、王太子宮でのお茶会で恥をかかされた仕返しの意味もあったと思う。……配下を使い捨てにする冷酷さは、昔から変わっていない」

 最後のほうは聞き取りにくいほど低い声だった。まるで地の底から響くような暗く低い声で、シーナは背筋に冷たい水が流れたように感じた。レクオンがダゥゼン公爵に対して怒りを感じているのは間違いない。あるいは憎悪だろうか。

 今夜こそ事情をきこうと思ったのに、決心が鈍りそうになる。が、バザーで見た人々の様子を思い出し、心を奮い立たせた。

「レクオン様。聞いて頂きたいお話があるんです」

「なんだ?」

 ダゥゼン公爵の話をするレクオンの瞳は燃えるように光っていたが、シーナを振り返った彼の表情はいつも通りだ。感情をあまり出さない顔。王子だからなのか、過去に何かあったからなのか……。いずれにせよ、レクオンの事情を知らないことには先へ進めない。

 シーナは先日のバザーで老人に会ったことを話し、彼らの要望を伝えた。でもレクオンはある程度予想していたのか、特に変化を見せない。シーナは焦りを感じ、さらに話を続けた。

「レクオン様になにか事情があるのは分かってます。でもあの人たちのことも見捨てられないんです……。王都の人たちは、どうしてレクオン様に王太子になって欲しいんでしょうか?」

「俺がダゥゼン公爵の勢力を抑えていたから……かな。王宮にいる貴族たちも、全員がダゥゼン公爵に付いてるわけじゃないんだ。だいたい二つに分かれてる」

「ダゥゼン公爵の派閥と、レクオン様の派閥ですか?」

「……ああ。以前まではそうだった。でも俺が王宮を抜けてバランスが崩れたんだろう。その直後に税金が上がったから、王都の民は俺が王宮にいないと悪いことが起こると思ったんだな」

「だって実際にレクオン様がダゥゼン公爵を抑えてたから、悪いことが起きなかったんでしょう? 戦争のことだって――」

「誰に聞いた?」

 レクオンが怒ったような口調でいうので、シーナはびくりと肩を上げた。怖い。でも負けてなるものか。

「く、クレアです。ディルトース家の……。彼女の父は大臣だそうで、王宮のなかのことも詳しくて……」

「ああ、そうか……。友人ができたことで情報を得やすくなったんだな」

 レクオンはぽつりと呟き、それきり黙り込んでしまった。シーナはすがり付くように手を首までのばし、ルターナの指輪を握りしめる。
 お姉さま、どうかわたしに力を貸してください……!

「どうして戦争のことを教えてくれなかったんですか? もし戦争になったら、レクオン様も出征してしまうかも知れないんでしょう。今からでも止める方法はないんですか?」

「俺に止める力なんて無いさ……。俺は王宮から逃げた王子だから」

「そんな事ありません! だって今までは、レクオン様がダゥゼン公爵を止めてたんでしょう? レクオン様が王宮へ戻れば――んんっ!?」

「もうよせ。俺はそんな素晴らしい人間じゃない」

 レクオンは話しているシーナの口を手で覆い、強引に黙らせてしまった。ガーネットの瞳は炎のように揺らめき、普段は抑えている感情がちらちらと覗く。怒り、憎悪、絶望――レクオンの手から、シーナがよく知る暗いものが流れ込んでくる。
 シーナの口元から手を離した彼は、妻の緑灰の瞳をじいっと見つめながら尋ねた。

「なぁシーナ……。どうして俺がルターナを婚約者に選んだか知ってるか?」

「……え? お姉さまに一目ぼれしたからでしょう? 義父からなんども誕生祭のことを聞かされて――」

「違うんだ。俺はただ、独占したかっただけだ」

 まるでひとり言のようにつぶやくと、レクオンは椅子に置いてあったショールを手に取った。それをシーナの肩にふわりと掛ける。

「おいで。きみが知りたいことを教えてやろう」
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