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49 冷たい川
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それからのレクオンは、傍目にはなんの変化もないように見えた。しかしいつも彼と過ごすシーナは、夫との間に冷たい川が流れているかのように感じることがあった。
声をかければ普通に受け答えするし、不器用に笑うこともある。でも寝室へ入っても、レクオンはシーナに触れようとしない。子供の話をしたときにシーナが泣いたせいなのか、完全に諦めてしまったようだ。あるいは今までも、夫婦であるという義務感からシーナに触れていたのか。
シーナにしてもレクオンに対して「子供が欲しい」なんて言えるわけがなかったので、最近では年若い夫婦というより、何年も連れ添った老夫婦のような趣がある。
マリベルは二人が本当の夫婦になっていないと気づいているようだが、なにを言うこともなく見守っているだけだ。マリベルは知っていたのだろう。国王とレクオンに、ひとつも共通点がないことを。それによって、レクオンが家族というものを恐れていることも。
「ご機嫌よう、シーナ様」
「ご……ご機嫌、よう……シーナ様」
「来てくれてありがとう、二人とも」
二回目のバザーが来週にせまり、クレアとブリジットが荷の整理に来てくれた。本当は使用人の誰かに手伝ってもらおうかと思ったのだが、二人は「これも貴族の義務です」と請け負ってくれたのだ。
荷の整理をしながら、怪訝に思っていたことをふと口にする。
「本当に小麦が手に入りにくくなってきたわ。お菓子を作って子供たちに配ろうと思っていたけど、予想よりも数が減るかもしれない……」
「小麦はほとんど貴族が独占してますからね……。ダゥゼン公爵なんか、小麦農家に対して他の貴族に売るなと脅してるらしいですよ」
「農家ごと独占してるの? 他の領地にまで干渉できるのかしら」
「ダゥゼン公爵に従ってる貴族が、うちの領地には小麦がたくさんありますなんて報告して、何とか取り入ろうと必死なんですって。私の父みたいに、うまく誤魔化してる貴族もいますけどね」
「え……クレアの、お父さまが……? どうやって……?」
「あんまり小麦がとれてないように、帳簿の数字をいじってるのよ。領民から来た小麦はお城のなかに隠しておいて、あとで領民にこっそり配るの。税金も同じようにして、貧しくてあまり集まらないみたいに報告してます。少しでも戦争を遅らせようと必死なんです」
「そう……」
クレアの報告をきき、胸が苦しくなった。レクオンという筆頭を失っても、クレアの父は諦めていないのだ。戦争が始まれば大勢の人間が死ぬのだから当然である。ただ、誤魔化しても時間稼ぎにしかならないだろう。
(本当はレクオン様に王宮へ戻ってほしい。でもあんな話を聞いたあとじゃ、頑張ってくださいなんて……言えないわ)
生まれたときから不遇を耐え抜いてきたレクオンに、もっと頑張れだなんて言えない。擦り切れるほど頑張ったレクオンに、もういちど地獄へ戻れだなんて……。
シーナの暗い顔を見てなにを思ったのか、二人が慌てたようにいう。
「あのですね、父はなにもレクオン殿下を責めてるわけじゃないんです。殿下がずっと努力してきたのを知っているくせに、王太子にしなかった陛下が悪いと怒っていて……。レクオン殿下は自分から公爵になったけど、殿下は聡いから陛下の気持ちを読んでしまったんだろうと言ってました」
「え?」
「あの……私の、父も……。陛下はいい加減、ダゥゼン公爵のいいなりになるのを、やめるべきだと……食事のたびに愚痴ってます」
「そうなの……」
「小麦は手に入りにくいですけど、雑穀はたくさんありますからね。卵を入れたりして、栄養のあるお粥を配給するのはどうでしょう?」
「それはいい考えだわ。とにかくたくさんの人に配りたいものね」
「私の領地にも、あの……鶏が、たくさんいるから……。今度は、卵を持ってきます……」
「ありがとう、助かるわ」
二回目のバザーもやはり混雑し、あっという間に品物はなくなった。売り上げで雑穀を買い、卵をいれた粥を作ると、配給に並ぶ人々で長い列ができた。
大人たちも痩せているし、子供の細くなった腕が痛々しい。このままでは餓死する人も出るかもしれない。
列の最後にはやはりあの老人がいて、シーナは彼の願いを聞くのがつらかった。どうかお願いしますと頼まれても、言葉を濁すことしかできない。王都に住むひとたちは、レクオンの苦しみなんて知るわけがないのだ。
でも飢えに苦しむ彼らを見捨てることもできず、シーナは板ばさみになりつつあった。
声をかければ普通に受け答えするし、不器用に笑うこともある。でも寝室へ入っても、レクオンはシーナに触れようとしない。子供の話をしたときにシーナが泣いたせいなのか、完全に諦めてしまったようだ。あるいは今までも、夫婦であるという義務感からシーナに触れていたのか。
シーナにしてもレクオンに対して「子供が欲しい」なんて言えるわけがなかったので、最近では年若い夫婦というより、何年も連れ添った老夫婦のような趣がある。
マリベルは二人が本当の夫婦になっていないと気づいているようだが、なにを言うこともなく見守っているだけだ。マリベルは知っていたのだろう。国王とレクオンに、ひとつも共通点がないことを。それによって、レクオンが家族というものを恐れていることも。
「ご機嫌よう、シーナ様」
「ご……ご機嫌、よう……シーナ様」
「来てくれてありがとう、二人とも」
二回目のバザーが来週にせまり、クレアとブリジットが荷の整理に来てくれた。本当は使用人の誰かに手伝ってもらおうかと思ったのだが、二人は「これも貴族の義務です」と請け負ってくれたのだ。
荷の整理をしながら、怪訝に思っていたことをふと口にする。
「本当に小麦が手に入りにくくなってきたわ。お菓子を作って子供たちに配ろうと思っていたけど、予想よりも数が減るかもしれない……」
「小麦はほとんど貴族が独占してますからね……。ダゥゼン公爵なんか、小麦農家に対して他の貴族に売るなと脅してるらしいですよ」
「農家ごと独占してるの? 他の領地にまで干渉できるのかしら」
「ダゥゼン公爵に従ってる貴族が、うちの領地には小麦がたくさんありますなんて報告して、何とか取り入ろうと必死なんですって。私の父みたいに、うまく誤魔化してる貴族もいますけどね」
「え……クレアの、お父さまが……? どうやって……?」
「あんまり小麦がとれてないように、帳簿の数字をいじってるのよ。領民から来た小麦はお城のなかに隠しておいて、あとで領民にこっそり配るの。税金も同じようにして、貧しくてあまり集まらないみたいに報告してます。少しでも戦争を遅らせようと必死なんです」
「そう……」
クレアの報告をきき、胸が苦しくなった。レクオンという筆頭を失っても、クレアの父は諦めていないのだ。戦争が始まれば大勢の人間が死ぬのだから当然である。ただ、誤魔化しても時間稼ぎにしかならないだろう。
(本当はレクオン様に王宮へ戻ってほしい。でもあんな話を聞いたあとじゃ、頑張ってくださいなんて……言えないわ)
生まれたときから不遇を耐え抜いてきたレクオンに、もっと頑張れだなんて言えない。擦り切れるほど頑張ったレクオンに、もういちど地獄へ戻れだなんて……。
シーナの暗い顔を見てなにを思ったのか、二人が慌てたようにいう。
「あのですね、父はなにもレクオン殿下を責めてるわけじゃないんです。殿下がずっと努力してきたのを知っているくせに、王太子にしなかった陛下が悪いと怒っていて……。レクオン殿下は自分から公爵になったけど、殿下は聡いから陛下の気持ちを読んでしまったんだろうと言ってました」
「え?」
「あの……私の、父も……。陛下はいい加減、ダゥゼン公爵のいいなりになるのを、やめるべきだと……食事のたびに愚痴ってます」
「そうなの……」
「小麦は手に入りにくいですけど、雑穀はたくさんありますからね。卵を入れたりして、栄養のあるお粥を配給するのはどうでしょう?」
「それはいい考えだわ。とにかくたくさんの人に配りたいものね」
「私の領地にも、あの……鶏が、たくさんいるから……。今度は、卵を持ってきます……」
「ありがとう、助かるわ」
二回目のバザーもやはり混雑し、あっという間に品物はなくなった。売り上げで雑穀を買い、卵をいれた粥を作ると、配給に並ぶ人々で長い列ができた。
大人たちも痩せているし、子供の細くなった腕が痛々しい。このままでは餓死する人も出るかもしれない。
列の最後にはやはりあの老人がいて、シーナは彼の願いを聞くのがつらかった。どうかお願いしますと頼まれても、言葉を濁すことしかできない。王都に住むひとたちは、レクオンの苦しみなんて知るわけがないのだ。
でも飢えに苦しむ彼らを見捨てることもできず、シーナは板ばさみになりつつあった。
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