しつこい公爵が、わたしを逃がしてくれない

千堂みくま

文字の大きさ
35 / 38

35 仮面の紳士

しおりを挟む
 遠くでウミネコが鳴いている。そのミャア、ミャア、という声で目が覚めた。

 ウミネコ?
 どうしてそんな鳥の鳴き声が聞こえるのだろう。わたしは海から離れた首都にいたはずなのに。

 重たい体を必死に動かし、周囲の様子を確かめる。棒切れのような頼りない柱と、天井に張られたボロボロの布。
 テントの中だろうか。日の光が当たった布がクリーム色に光っている。

「ここ、どこよ……えっ?」

 手元からジャラッと変な音が響いた。視線を下げると、腕と足に鎖のついた鉄の輪が付けられている。服装もひどい。下着のようなペラペラした薄っぺらい服だし、へそも脚も出てしまっている。なんでこんな奴隷のような格好をしているんだろう。

「お目覚めですか?」

 入り口の布が捲くられ、ノイドール伯爵が現れた。わたしは下に敷かれていた布で体を隠し、伯爵を睨みつける。

「ここはどこですか!? あなたがやっている事は犯罪ですよ!」

 問い詰めるように声を上げても、伯爵は全く動じる様子もない。それがなんだ、とでも言うかのように落ち着いている。

「本当はあなたを殺すつもりだったのですがね。もっと面白いことを思いついたので……。ノア嬢を奴隷として売り飛ばしてしまえば、フォックス公爵は死に物狂いで探し回るでしょう。あの生意気な小僧が慌てふためく顔はさぞかし見ものでしょうなあ。そう思いませんか?」

 この下衆が―――。
 沸騰しそうなほど頭が熱くて、言葉が出てこない。

「あなたの首に付けられている魔道具ね、私も調べたんですよ。どうやら追跡魔術が掛けられているようですが、一定の距離に限定されています。ここはウォルス王国から船で一日かかる絶海の孤島です。もうあなたを見つける事は出来ないでしょう。魔道具は外せなかったけれど構いません。その魔石のおかげで、あなたは高く売れるかもしれないですしね」

 ニタニタと笑いながら楽しそうに言う。彼の頭の中では、悔しそうなジオルドの顔が見えているのだろう。
 わたしは歯を食いしばって伯爵を睨み続けた。

「最後にもう一度聞きます。私に協力する気はありませんか? 協力すると約束すれば助けてあげますが」 

 いっそ憐れむような表情で伯爵はわたしに告げた。慈愛に満ちた声で、今ならお前の罪を許してやろうとでも言うかのように。

「協力しません」

 視線に力を込める。
 負けてたまるか。自分の欲望のために、平気でひとを見殺しにするような下衆に負けてたまるか!

 伯爵はゆっくりと立ち上がり、入り口の布を捲って誰かを呼んだ。捲られた布から男が二人入ってきて、わたしを無理やり立ち上がらせる。

「本当に残念です。お元気で、ノア嬢」

 背後から伯爵の淡々とした声が聞こえた。二人の男に引きずられながら海辺の砂の上を歩いて行くと、前方に巨大な岩山が見えてきた。岩の下は細い洞窟になっているようだ。

 男たちはわたしを洞窟の中に入れ、ごつごつした岩の上を歩かせる。何も履いていない足の裏がちくちくと痛むが、それを上回る怒りで全身が燃えるように熱かった。

 煮えたぎる心の奥底から、呪詛が泡みたいにぼこぼこと浮き上がってくる。

 ノイドール伯爵め、地獄に落ちろ。あんな人でなしがマーガレットの伯父だなんて何かの間違いじゃないの。
 ジオルドは何をしてるんだろう。執念深いあなたなら、わたしを見つけることぐらい簡単でしょう?
 さっさと探しに来てよ!


 洞窟の奥にまるく白い光が見える。どうやら外に繋がっているようだ。歩くたびに光は大きくなり、やがて洞窟の向こう側に出た。

 岩に囲まれた天然の要塞のような場所だった。
 こんな隠れ里のような所で奴隷を売りさばいていたなんて。
 ウォルス国内では人身売買が禁止されているから、こんな岩山の中でこそこそ取り引きしているんだろうか。
 
 中央は広場のように木の椅子やテーブルが置かれ、奴隷を買う人々が今か今かと競売が開かれるのを待っていた。彼らはみな顔を仮面で隠している。飛び交う言語の中には聞き取れないものもあり、様々な国から人が集まっているのだと分かった。

 広場にはひとが一人乗れるような大きさの台が置かれている。あの台に奴隷を乗せて客に披露するのだろう。台の後方には大き目のテントが用意され、中ではわたしと同じように奴隷として売られる人々が暗い顔で地面に座っていた。

 二人の男がわたしをテントの中に押し込み、無言で立ち去って行く。何人かがわたしをちらりと見たが、すぐに興味を失ったように俯いて地面を見ているのだった。

 やがて布の向こうから「お待たせしました」と誰かの声が響き、辺りが急に騒がしくなった。テントの中から一人の少年が連れ出されると、さらに声は高まった。とうとう取り引きが始まったのだ。

 誰かが数字を叫ぶと、他の誰かが少し増やした数字を叫ぶ。何度かそれが繰り返され、少年の値段が決まった様子だった。

 一人、また一人とテントの人間が減っていく。わたしは伯爵への怒りだけを頼りに一人で立っていた。この怒りがなくなったら、怖くて耐えられないと自分でも分かっていたのだ。

 いつ呼ばれるのかと待ち構えているのに、なかなか順番が回ってこない。わたしの順番はいつ来るのだろう。値段が決まってしまったら、本当に誰かに買われていくんだろうか。

 とうとうテントの中はわたし一人になってしまった。今なら逃げられるだろうか? でも見張りの男たちをどうにかするなんて、わたしに出来るだろうか。

 まごついている内に布が捲られ、入ってきた男二人がわたしを外へ連れ出した。テントから出された瞬間、ほお、という誰かのため息が聞こえる。値踏みされるような視線が気持ち悪い。

「さあ、最後の商品です。こちらの商品は見た目が美しいだけでなく、薬師として優れた才能を持っております。首に付けられた魔石の価値は、鑑定した結果なんと三千万! 金額は四千万から開始させて頂きます」

 司会の男が言うと、椅子に座った客から「四千五百万」だの「五千万」だの、次々と数字が飛び出てくる。わたしは呆然と数字が増えるのを聞いていた。

 この人たちはわたしのことを人間だなんて思っていない。彼らのわたしに対する眼差しは生き物に向けるものではなかった。
どれだけ使えるのか、いつまでもつのか。誰かがそんな話をしているのが聞こえてくる。

 ぐっと唇を噛みしめて会場のケダモノたちを睨みつけた。あんたらなんか、全員地獄に落ちてしまえ。

「一億ニ千万! もう一声!」

 司会の男が楽しそうに言う。こいつも殴ってやりたい。

「一億五千万」

 シンとした会場に、低い声が響いた。妙に気になる声だった。
 わたし、今の声を知っているような気がする。

「一億六千万!」

 どこかのおじさんが焦ったように手を挙げて叫ぶ。するとまた、どこからか低く通る声が聞こえてきた。

「ニ億ニ千万」

「にっ……二億、三千万……」

「三億」

 おじさんはがくりと顔を下げた。わたしは会場の奥で手を挙げている男を見つめる。仮面をしているけど、あのがっしりした体とプラチナブロンドは―――。

「ジオルド様……?」

 ぼそっと呟いた声は、司会の男が「では三億で落札です」と叫んだせいで、かき消されてしまった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!

たまこ
恋愛
 エミリーの大好きな夫、アランは王宮騎士団の副団長。ある日、栄転の為に辺境へ異動することになり、エミリーはてっきり夫婦で引っ越すものだと思い込み、いそいそと荷造りを始める。  だが、アランの部下に「副団長は単身赴任すると言っていた」と聞き、エミリーは呆然としてしまう。アランが大好きで離れたくないエミリーが取った行動とは。

英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない

百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。 幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。 ※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

拝啓、愛しの侯爵様~行き遅れ令嬢ですが、運命の人は案外近くにいたようです~

藤原ライラ
恋愛
心を奪われた手紙の先には、運命の人が待っていた――  子爵令嬢のキャロラインは、両親を早くに亡くし、年の離れた弟の面倒を見ているうちにすっかり婚期を逃しつつあった。夜会でも誰からも相手にされない彼女は、新しい出会いを求めて文通を始めることに。届いた美しい字で洗練された内容の手紙に、相手はきっとうんと年上の素敵なおじ様のはずだとキャロラインは予想する。  彼とのやり取りにときめく毎日だがそれに難癖をつける者がいた。幼馴染で侯爵家の嫡男、クリストファーである。 「理想の相手なんかに巡り合えるわけないだろう。現実を見た方がいい」  四つ年下の彼はいつも辛辣で彼女には冷たい。  そんな時キャロラインは、夜会で想像した文通相手とそっくりな人物に出会ってしまう……。  文通相手の正体は一体誰なのか。そしてキャロラインの恋の行方は!? じれじれ両片思いです。 ※他サイトでも掲載しています。 イラスト:ひろ様(https://xfolio.jp/portfolio/hiro_foxtail)

勘違いで嫁ぎましたが、相手が理想の筋肉でした!

エス
恋愛
「男性の魅力は筋肉ですわっ!!」 華奢な男がもてはやされるこの国で、そう豪語する侯爵令嬢テレーゼ。 縁談はことごとく破談し、兄アルベルトも王太子ユリウスも頭を抱えていた。 そんな折、騎士団長ヴォルフがユリウスの元に「若い女性を紹介してほしい」と相談に現れる。 よく見ればこの男──家柄よし、部下からの信頼厚し、そして何より、圧巻の筋肉!! 「この男しかいない!」とユリウスは即断し、テレーゼとの結婚話を進める。 ところがテレーゼが嫁いだ先で、当のヴォルフは、 「俺は……メイドを紹介してほしかったんだが!?」 と何やら焦っていて。 ……まあ細かいことはいいでしょう。 なにせ、その腕、その太もも、その背中。 最高の筋肉ですもの! この結婚、全力で続行させていただきますわ!! 女性不慣れな不器用騎士団長 × 筋肉フェチ令嬢。 誤解から始まる、すれ違いだらけの新婚生活、いざスタート! ※他サイトに投稿したものを、改稿しています。

実家を追い出され、薬草売りをして糊口をしのいでいた私は、薬草摘みが趣味の公爵様に見初められ、毎日二人でハーブティーを楽しんでいます

さら
恋愛
実家を追い出され、わずかな薬草を売って糊口をしのいでいた私。 生きるだけで精一杯だったはずが――ある日、薬草摘みが趣味という変わり者の公爵様に出会ってしまいました。 「君の草は、人を救う力を持っている」 そう言って見初められた私は、公爵様の屋敷で毎日一緒に薬草を摘み、ハーブティーを淹れる日々を送ることに。 不思議と気持ちが通じ合い、いつしか心も温められていく……。 華やかな社交界も、危険な戦いもないけれど、 薬草の香りに包まれて、ゆるやかに育まれるふたりの時間。 町の人々や子どもたちとの出会いを重ね、気づけば「薬草師リオナ」の名は、遠い土地へと広がっていき――。

ヤンデレ旦那さまに溺愛されてるけど思い出せない

斧名田マニマニ
恋愛
待って待って、どういうこと。 襲い掛かってきた超絶美形が、これから僕たち新婚初夜だよとかいうけれど、全く覚えてない……! この人本当に旦那さま? って疑ってたら、なんか病みはじめちゃった……!

完結*三年も付き合った恋人に、家柄を理由に騙されて捨てられたのに、名家の婚約者のいる御曹司から溺愛されました。

恩田璃星
恋愛
清永凛(きよなが りん)は平日はごく普通のOL、土日のいずれかは交通整理の副業に励む働き者。 副業先の上司である夏目仁希(なつめ にき)から、会う度に嫌味を言われたって気にしたことなどなかった。 なぜなら、凛には付き合って三年になる恋人がいるからだ。 しかし、そろそろプロポーズされるかも?と期待していたある日、彼から一方的に別れを告げられてしまいー!? それを機に、凛の運命は思いも寄らない方向に引っ張られていく。 果たして凛は、両親のように、愛の溢れる家庭を築けるのか!? *この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。 *不定期更新になることがあります。

処理中です...