36 / 38
36 教えてあげます
しおりを挟む
また男二人がわたしを台から降ろし、テントの中へ連れ戻した。中には誰もいない。テントの外に置かれた机の前で、奴隷を買い取った人たちが金銭のやり取りをしている。
仮面をつけた背の高い男が現れ、机の前で待ち構えていた奴隷商人に小切手を渡しているのが見えた。小切手にははっきりと三億の数字が書き込まれている。
男は小さな鍵でわたしの手枷と足枷を外した。何か言おうとしたのか一瞬口を開き、しかしまた閉じてしまう。
どうして何も言ってくれないの?
三億も払わせちゃったから、怒ってるの?
彼の名前を呼ぼうとした途端、広場に「全員、動くな!」という大きな声が響いた。同時に、誰かの悲鳴とたくさんの人が逃げ惑うガタガタという音。
驚いて身をすくませていると、目の前の男がわたしの肩に上着をかけ、ゆっくりと抱き上げた。わたしは彼の首に腕を回してしがみ付く。この人の傍にいれば安全なはずだから。
「取り引きをしている間に、ディアンがこの島を包囲したんだ。これで奴隷商たちは逃げられない」
耳に馴染んだ声が、説明するようにわたしの耳元でささやいた。
やがて乱闘のような音が落ち着き、ざわざわとした人の声だけがテントの向こうから聞こえてくる。
彼はわたしを抱き上げたままテントから出た。少し離れたところから広場の様子を眺めると、王宮騎士団が取り引きに参加していた客と奴隷商を縛り上げている。広場の端では奴隷として売られた人たちが保護されていた。
洞窟の入り口から、騎士を引き連れたとび色の髪の青年が現れた。彼はわたし達を見て手を振っている。
「やあ、無事だったんだね。間に合って良かった。伯父の様子がおかしいと、マーガレットが連絡してくれたんだよ。妙な荷物を運んでいるようだと聞いたが、まさか荷物の中身がノア嬢だったとはね……。伯爵を見張っていた甲斐があった」
ディアンジェス様の後ろでは、ノイドール伯爵が拘束されていた。膝をつく伯爵を王子は冷徹に見下ろしている。
「わが国では人身売買は禁止されているはずだが、一向に被害が減らないのでおかしいと思っていた。ノイドール伯爵が仲介していたんだね」
「…………」
「この島を調べたら、輸入されているはずの魔術薬の原料まで見つかったよ。この無人島を使って積み荷のすり替えをしていたのか。道理で見つからないはずだ」
「私は魔術薬など認めない。あんなものは、人殺しの道具だ!」
「申し開きは地下牢で聞こう。魔術師長、頼む」
王子の命を受けた人物が前に進み出てきた。黒いローブを全身にまとった初老の男性だ。耳にも指にも魔道具らしき飾りをジャラジャラと付け、魔術師が使う長い杖を持っている。
「転移先は王宮でよろしいか、殿下」
「ああ」
騎士たちが、縛り上げた奴隷商と参加していた客、そして保護した人たちを一箇所に集めた。魔術師長の長い詠唱が始まり、彼が言葉を紡ぐたびに杖の先端に嵌められた大きな魔石がじわじわと白く光っていく。
「座標、39.34、153.66―――転移開始」
魔術師長が杖をトン!と地面に突くと、集められた人々の足元に巨大な魔術陣が現れた。魔術文字が強烈な光を放ち、眩しさに思わず目を閉じる。
キンッと音がして急に静かになった。恐々と目を開けてみれば、あんなに大勢集まっていた人々が消えている。
神業のような魔術を目にしてぽかんとしていると、魔術師長はわたしを見てニヤッと笑った。いや、わたしと言うより、首のチョーカーを見て笑ったみたいだった。
もしかしてこれ、魔術師長が作ったんですか。よくもこんな厄介なモノを作ってくれましたね。
わたしは彼に文句を言いたい気分になった。
ディアンジェス様の指示で、広場に残った取り引きの証拠や使われた道具が次々と運び出されていく。
わたしを抱き上げている男もゆっくりと洞窟に向かって歩き出した。さっきからどうして黙り込んでいるのだろう。仮面だってつけたままだし。
「どうして仮面を取らないんですか、ジオルド様」
わたしが言うと、彼は一瞬だけ体を強張らせた。何だかもじもじしていて埒が明かない。ジオルドらしくない。じれったくなって、彼の顔から無理やり仮面を剥ぎ取った。美しい顔はムスッとしている。
「助けに来てくださって、ありがとうございました」
「……ああ」
「やっぱり怒ってるんですか?」
「怒ってる? いや、怒ってるのはお前の方だろう」
そう言えば怒っていたかも。でも何だかんだで、どうでもよくなってしまった。
洞窟の出口が近付いてくる。空の青と海の青が綺麗だ。
「あなたは何を考えているのか分からないですね。わたしを好き勝手に振り回したり、急に優しくしてみたり……。そろそろ教えてもらえませんか?」
「―――何を?」
「わたしのこと、好きなんですか?」
ジオルドは歩いていた足をぴたりと止めた。ざざあと波の音がして、乾いた潮風がわたし達の髪の毛を揺らしている。
たっぷり迷ったあと、彼は低い声で言った。
「……分からん」
「わ、分からんん!?」
あなたね、そこは「そうだ」と言うべきところでしょう!
もう何をどう説明すればいいのか分からず、ただ口をぱくぱくさせてしまう。
唖然とするわたしの前で、ジオルドは眉をへにゃりと下げた。初めてみる情けない顔だった。
「俺には、ひとを好きになるという気持ちがよく分からない。だからお前が教えてくれ。俺の隣で、ずっと」
それはとても分かりにくいプロポーズだった。だけどジオルドにとっては最初で最後の、一大決心をして告げた言葉だったのだろう。大きな体は少し震えていた。
わたしは顔を寄せて、彼の唇にキスをした。柔らかくて、ちょっと冷たい。
「仕方ないですね。一生かかっても、わたしが教えてあげます」
唇の先を触れ合わせたまま言うと、ジオルドはわたしの体をぎゅうっと抱きしめ、深い口付けをしてくる。何もかも吸い取られるようでクラクラした。
何度も口付けられてすっかり力が抜けた頃、ようやくジオルドは船まで連れて行ってくれた。
競売の証拠も全て船に積み込まれ、わたし達は無人島を後にしたのだった。
仮面をつけた背の高い男が現れ、机の前で待ち構えていた奴隷商人に小切手を渡しているのが見えた。小切手にははっきりと三億の数字が書き込まれている。
男は小さな鍵でわたしの手枷と足枷を外した。何か言おうとしたのか一瞬口を開き、しかしまた閉じてしまう。
どうして何も言ってくれないの?
三億も払わせちゃったから、怒ってるの?
彼の名前を呼ぼうとした途端、広場に「全員、動くな!」という大きな声が響いた。同時に、誰かの悲鳴とたくさんの人が逃げ惑うガタガタという音。
驚いて身をすくませていると、目の前の男がわたしの肩に上着をかけ、ゆっくりと抱き上げた。わたしは彼の首に腕を回してしがみ付く。この人の傍にいれば安全なはずだから。
「取り引きをしている間に、ディアンがこの島を包囲したんだ。これで奴隷商たちは逃げられない」
耳に馴染んだ声が、説明するようにわたしの耳元でささやいた。
やがて乱闘のような音が落ち着き、ざわざわとした人の声だけがテントの向こうから聞こえてくる。
彼はわたしを抱き上げたままテントから出た。少し離れたところから広場の様子を眺めると、王宮騎士団が取り引きに参加していた客と奴隷商を縛り上げている。広場の端では奴隷として売られた人たちが保護されていた。
洞窟の入り口から、騎士を引き連れたとび色の髪の青年が現れた。彼はわたし達を見て手を振っている。
「やあ、無事だったんだね。間に合って良かった。伯父の様子がおかしいと、マーガレットが連絡してくれたんだよ。妙な荷物を運んでいるようだと聞いたが、まさか荷物の中身がノア嬢だったとはね……。伯爵を見張っていた甲斐があった」
ディアンジェス様の後ろでは、ノイドール伯爵が拘束されていた。膝をつく伯爵を王子は冷徹に見下ろしている。
「わが国では人身売買は禁止されているはずだが、一向に被害が減らないのでおかしいと思っていた。ノイドール伯爵が仲介していたんだね」
「…………」
「この島を調べたら、輸入されているはずの魔術薬の原料まで見つかったよ。この無人島を使って積み荷のすり替えをしていたのか。道理で見つからないはずだ」
「私は魔術薬など認めない。あんなものは、人殺しの道具だ!」
「申し開きは地下牢で聞こう。魔術師長、頼む」
王子の命を受けた人物が前に進み出てきた。黒いローブを全身にまとった初老の男性だ。耳にも指にも魔道具らしき飾りをジャラジャラと付け、魔術師が使う長い杖を持っている。
「転移先は王宮でよろしいか、殿下」
「ああ」
騎士たちが、縛り上げた奴隷商と参加していた客、そして保護した人たちを一箇所に集めた。魔術師長の長い詠唱が始まり、彼が言葉を紡ぐたびに杖の先端に嵌められた大きな魔石がじわじわと白く光っていく。
「座標、39.34、153.66―――転移開始」
魔術師長が杖をトン!と地面に突くと、集められた人々の足元に巨大な魔術陣が現れた。魔術文字が強烈な光を放ち、眩しさに思わず目を閉じる。
キンッと音がして急に静かになった。恐々と目を開けてみれば、あんなに大勢集まっていた人々が消えている。
神業のような魔術を目にしてぽかんとしていると、魔術師長はわたしを見てニヤッと笑った。いや、わたしと言うより、首のチョーカーを見て笑ったみたいだった。
もしかしてこれ、魔術師長が作ったんですか。よくもこんな厄介なモノを作ってくれましたね。
わたしは彼に文句を言いたい気分になった。
ディアンジェス様の指示で、広場に残った取り引きの証拠や使われた道具が次々と運び出されていく。
わたしを抱き上げている男もゆっくりと洞窟に向かって歩き出した。さっきからどうして黙り込んでいるのだろう。仮面だってつけたままだし。
「どうして仮面を取らないんですか、ジオルド様」
わたしが言うと、彼は一瞬だけ体を強張らせた。何だかもじもじしていて埒が明かない。ジオルドらしくない。じれったくなって、彼の顔から無理やり仮面を剥ぎ取った。美しい顔はムスッとしている。
「助けに来てくださって、ありがとうございました」
「……ああ」
「やっぱり怒ってるんですか?」
「怒ってる? いや、怒ってるのはお前の方だろう」
そう言えば怒っていたかも。でも何だかんだで、どうでもよくなってしまった。
洞窟の出口が近付いてくる。空の青と海の青が綺麗だ。
「あなたは何を考えているのか分からないですね。わたしを好き勝手に振り回したり、急に優しくしてみたり……。そろそろ教えてもらえませんか?」
「―――何を?」
「わたしのこと、好きなんですか?」
ジオルドは歩いていた足をぴたりと止めた。ざざあと波の音がして、乾いた潮風がわたし達の髪の毛を揺らしている。
たっぷり迷ったあと、彼は低い声で言った。
「……分からん」
「わ、分からんん!?」
あなたね、そこは「そうだ」と言うべきところでしょう!
もう何をどう説明すればいいのか分からず、ただ口をぱくぱくさせてしまう。
唖然とするわたしの前で、ジオルドは眉をへにゃりと下げた。初めてみる情けない顔だった。
「俺には、ひとを好きになるという気持ちがよく分からない。だからお前が教えてくれ。俺の隣で、ずっと」
それはとても分かりにくいプロポーズだった。だけどジオルドにとっては最初で最後の、一大決心をして告げた言葉だったのだろう。大きな体は少し震えていた。
わたしは顔を寄せて、彼の唇にキスをした。柔らかくて、ちょっと冷たい。
「仕方ないですね。一生かかっても、わたしが教えてあげます」
唇の先を触れ合わせたまま言うと、ジオルドはわたしの体をぎゅうっと抱きしめ、深い口付けをしてくる。何もかも吸い取られるようでクラクラした。
何度も口付けられてすっかり力が抜けた頃、ようやくジオルドは船まで連れて行ってくれた。
競売の証拠も全て船に積み込まれ、わたし達は無人島を後にしたのだった。
21
あなたにおすすめの小説
英雄の可愛い幼馴染は、彼の真っ黒な本性を知らない
百門一新
恋愛
男の子の恰好で走り回る元気な平民の少女、ティーゼには、見目麗しい完璧な幼馴染がいる。彼は幼少の頃、ティーゼが女の子だと知らず、怪我をしてしまった事で責任を感じている優しすぎる少し年上の幼馴染だ――と、ティーゼ自身はずっと思っていた。
幼馴染が半魔族の王を倒して、英雄として戻って来た。彼が旅に出て戻って来た目的も知らぬまま、ティーゼは心配症な幼馴染離れをしようと考えていたのだが、……ついでとばかりに引き受けた仕事の先で、彼女は、恋に悩む優しい魔王と、ちっとも優しくないその宰相に巻き込まれました。
※「小説家になろう」「ベリーズカフェ」「ノベマ!」「カクヨム」にも掲載しています。
じゃない方の私が何故かヤンデレ騎士団長に囚われたのですが
カレイ
恋愛
天使な妹。それに纏わりつく金魚のフンがこの私。
両親も妹にしか関心がなく兄からも無視される毎日だけれど、私は別に自分を慕ってくれる妹がいればそれで良かった。
でもある時、私に嫉妬する兄や婚約者に嵌められて、婚約破棄された上、実家を追い出されてしまう。しかしそのことを聞きつけた騎士団長が何故か私の前に現れた。
「ずっと好きでした、もう我慢しません!あぁ、貴方の匂いだけで私は……」
そうして、何故か最強騎士団長に囚われました。
王太子妃専属侍女の結婚事情
蒼あかり
恋愛
伯爵家の令嬢シンシアは、ラドフォード王国 王太子妃の専属侍女だ。
未だ婚約者のいない彼女のために、王太子と王太子妃の命で見合いをすることに。
相手は王太子の側近セドリック。
ところが、幼い見た目とは裏腹に令嬢らしからぬはっきりとした物言いのキツイ性格のシンシアは、それが元でお見合いをこじらせてしまうことに。
そんな二人の行く末は......。
☆恋愛色は薄めです。
☆完結、予約投稿済み。
新年一作目は頑張ってハッピーエンドにしてみました。
ふたりの喧嘩のような言い合いを楽しんでいただければと思います。
そこまで激しくはないですが、そういうのが苦手な方はご遠慮ください。
よろしくお願いいたします。
【完結】騎士団長の旦那様は小さくて年下な私がお好みではないようです
大森 樹
恋愛
貧乏令嬢のヴィヴィアンヌと公爵家の嫡男で騎士団長のランドルフは、お互いの親の思惑によって結婚が決まった。
「俺は子どもみたいな女は好きではない」
ヴィヴィアンヌは十八歳で、ランドルフは三十歳。
ヴィヴィアンヌは背が低く、ランドルフは背が高い。
ヴィヴィアンヌは貧乏で、ランドルフは金持ち。
何もかもが違う二人。彼の好みの女性とは真逆のヴィヴィアンヌだったが、お金の恩があるためなんとか彼の妻になろうと奮闘する。そんな中ランドルフはぶっきらぼうで冷たいが、とろこどころに優しさを見せてきて……!?
貧乏令嬢×不器用な騎士の年の差ラブストーリーです。必ずハッピーエンドにします。
女避けの為の婚約なので卒業したら穏やかに婚約破棄される予定です
くじら
恋愛
「俺の…婚約者のフリをしてくれないか」
身分や肩書きだけで何人もの男性に声を掛ける留学生から逃れる為、彼は私に恋人のふりをしてほしいと言う。
期間は卒業まで。
彼のことが気になっていたので快諾したものの、別れの時は近づいて…。
前世で私を嫌っていた番の彼が何故か迫って来ます!
ハルン
恋愛
私には前世の記憶がある。
前世では犬の獣人だった私。
私の番は幼馴染の人間だった。自身の番が愛おしくて仕方なかった。しかし、人間の彼には獣人の番への感情が理解出来ず嫌われていた。それでも諦めずに彼に好きだと告げる日々。
そんな時、とある出来事で命を落とした私。
彼に会えなくなるのは悲しいがこれでもう彼に迷惑をかけなくて済む…。そう思いながら私の人生は幕を閉じた……筈だった。
冷酷騎士団長に『出来損ない』と捨てられましたが、どうやら私の力が覚醒したらしく、ヤンデレ化した彼に執着されています
放浪人
恋愛
平凡な毎日を送っていたはずの私、橘 莉奈(たちばな りな)は、突然、眩い光に包まれ異世界『エルドラ』に召喚されてしまう。 伝説の『聖女』として迎えられたのも束の間、魔力測定で「魔力ゼロ」と判定され、『出来損ない』の烙印を押されてしまった。
希望を失った私を引き取ったのは、氷のように冷たい瞳を持つ、この国の騎士団長カイン・アシュフォード。 「お前はここで、俺の命令だけを聞いていればいい」 物置のような部屋に押し込められ、彼から向けられるのは侮蔑の視線と冷たい言葉だけ。
元の世界に帰ることもできず、絶望的な日々が続くと思っていた。
──しかし、ある出来事をきっかけに、私の中に眠っていた〝本当の力〟が目覚め始める。 その瞬間から、私を見るカインの目が変わり始めた。
「リリア、お前は俺だけのものだ」 「どこへも行かせない。永遠に、俺のそばにいろ」
かつての冷酷さはどこへやら、彼は私に異常なまでの執着を見せ、甘く、そして狂気的な愛情で私を束縛しようとしてくる。 これは本当に愛情なの? それともただの執着?
優しい第二王子エリアスは私に手を差し伸べてくれるけれど、カインの嫉妬の炎は燃え盛るばかり。 逃げ場のない城の中、歪んだ愛の檻に、私は囚われていく──。
混血の私が純血主義の竜人王子の番なわけない
三国つかさ
恋愛
竜人たちが通う学園で、竜人の王子であるレクスをひと目見た瞬間から恋に落ちてしまった混血の少女エステル。好き過ぎて狂ってしまいそうだけど、分不相応なので必死に隠すことにした。一方のレクスは涼しい顔をしているが、純血なので実は番に対する感情は混血のエステルより何倍も深いのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる