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恋愛って、そう簡単じゃない
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サンドイッチの最後の一切れを口に運びながら、凪は遠くの空に目をやった。春の風はまだほんの少し肌寒く、けれど陽射しは十分に柔らかくて、体の内側からじんわりと温まっていくような心地があった。
ベンチの隣では、結翔が水筒のキャップを開けて紅茶をひと口飲んでいた。彼の仕草はいつも無駄がなく、それでいて不自然さがない。見ていて静かな安心を覚える動きだった。
ふたりの間には言葉がなかった。
けれど、その沈黙は気まずくも、居心地が悪いわけでもない。むしろそれぞれが“隣に誰かがいる”ことを、言葉以上に自然に受け止めていた。
ふと、結翔が空を見上げた。
風に髪が少しだけ流れ、制服の裾が音もなく揺れる。日差しを受けた瞳が淡く光って見えた。
そして、何気ないように口を開く。
「恋愛って、難しいよな」
唐突な言葉だった。
凪は一瞬、言葉の意味を飲み込めずにまばたきをした。サンドイッチの包装紙をたたむ手を止め、思わず横目で結翔の顔を見る。
結翔の視線は空のままだった。特に誰かを意識しているわけではなく、ただ独り言のように。
「…いきなり何?」
凪は苦笑しながら返す。声が少しだけ高くなっていた。緊張ではない。ただ、不意を突かれたような、そんな感覚。
結翔は肩をすくめて言った。
「いや、なんか…たとえばさ。誰かに先に言われたら、どう思うのかなって」
「先にって…『好きだ』って?」
「うん、そう」
また、ふたりのあいだに風が通り抜けた。遠くで校庭のボールが転がる音がかすかに聞こえる。体育の授業の声も、今は届いてこなかった。
凪は膝に置いた手を見つめながら、答えを探していた。
結翔の問いは、直接的だった。だが、そこには何かを試すような響きもあって、素直に反応することができなかった。
けれど、自分の中の何かが、逃げることを拒んでいた。
「……俺は」
少し間をおいて、凪は静かに言った。
「勝ちたくなるかも」
言ってから、自分でもその言葉の意味を考える。
恋愛に勝ち負けなんて、本来はない。
けれど、自分から先に気持ちを伝えたら、負けた気がする。相手の方が冷静で、自分より上手に心を隠していたような気がして。
だから、そう思ってしまうのは、きっと臆病さの裏返しだった。
結翔は凪の横顔をちらと見て、それから小さく笑った。
「はは、やっぱり」
凪もつられて笑う。けれど、笑った瞬間、ふたりの間にそれまでとは違う空気が流れたのを、どちらもはっきりと感じた。
ほんのわずかな変化。けれど、それは確実に何かを揺らした。
風が止んだわけではないのに、空気が動かなくなったような感覚。
視線を合わせることができなくなる、そんな妙な間が生まれる。
凪は笑ったまま、視線を遠くへそらした。
「……冗談だよ、たぶん」
誰に向けた言葉でもなかった。ただ、自分の発言を軽くするための、逃げのようなひとこと。
けれど、結翔はそれに乗らなかった。
「いや。俺も、似たようなもんだと思う」
静かな声だった。
重くはない。でも、軽くもない。
ふたりの笑いは、そこから続かなかった。
春の空は、何事もなかったように広がっている。けれど、その下で交わされたたったひとつの言葉が、ふたりの間の何かを、ほんの少しだけずらした。
“恋”という言葉が、初めてふたりの会話に現れた瞬間。
けれど、それを正面から捉える勇気は、まだなかった。
恋という言葉に形を与えてしまえば、いまの関係性は変わってしまう。
だから、ふたりはそれを“競争”にすり替えた。
誰が先に言うか。
誰が先に気づかれるか。
誰が先に認めてしまうか。
それらはすべて、“勝ち負け”の形に置き換えられる。
そうしておけば、まだ曖昧でいられる。
“恋”ではないふりをしていられる。
凪はそっと目を閉じた。風が頬を撫でていく。
その風は、誰のものでもなかった。けれど、ふたりのあいだを、何かを確かめるように流れていった。
ベンチに座る距離は変わらないまま、心の距離がほんの一歩、近づいていた。気づいていないふりをしながら。
言葉にしない本音が、笑いの裏にかすかに滲んでいた。
そして、それをお互いに“わかっていないふり”をしていた。
その瞬間が、いちばん苦しくて、いちばん甘かった。
ベンチの隣では、結翔が水筒のキャップを開けて紅茶をひと口飲んでいた。彼の仕草はいつも無駄がなく、それでいて不自然さがない。見ていて静かな安心を覚える動きだった。
ふたりの間には言葉がなかった。
けれど、その沈黙は気まずくも、居心地が悪いわけでもない。むしろそれぞれが“隣に誰かがいる”ことを、言葉以上に自然に受け止めていた。
ふと、結翔が空を見上げた。
風に髪が少しだけ流れ、制服の裾が音もなく揺れる。日差しを受けた瞳が淡く光って見えた。
そして、何気ないように口を開く。
「恋愛って、難しいよな」
唐突な言葉だった。
凪は一瞬、言葉の意味を飲み込めずにまばたきをした。サンドイッチの包装紙をたたむ手を止め、思わず横目で結翔の顔を見る。
結翔の視線は空のままだった。特に誰かを意識しているわけではなく、ただ独り言のように。
「…いきなり何?」
凪は苦笑しながら返す。声が少しだけ高くなっていた。緊張ではない。ただ、不意を突かれたような、そんな感覚。
結翔は肩をすくめて言った。
「いや、なんか…たとえばさ。誰かに先に言われたら、どう思うのかなって」
「先にって…『好きだ』って?」
「うん、そう」
また、ふたりのあいだに風が通り抜けた。遠くで校庭のボールが転がる音がかすかに聞こえる。体育の授業の声も、今は届いてこなかった。
凪は膝に置いた手を見つめながら、答えを探していた。
結翔の問いは、直接的だった。だが、そこには何かを試すような響きもあって、素直に反応することができなかった。
けれど、自分の中の何かが、逃げることを拒んでいた。
「……俺は」
少し間をおいて、凪は静かに言った。
「勝ちたくなるかも」
言ってから、自分でもその言葉の意味を考える。
恋愛に勝ち負けなんて、本来はない。
けれど、自分から先に気持ちを伝えたら、負けた気がする。相手の方が冷静で、自分より上手に心を隠していたような気がして。
だから、そう思ってしまうのは、きっと臆病さの裏返しだった。
結翔は凪の横顔をちらと見て、それから小さく笑った。
「はは、やっぱり」
凪もつられて笑う。けれど、笑った瞬間、ふたりの間にそれまでとは違う空気が流れたのを、どちらもはっきりと感じた。
ほんのわずかな変化。けれど、それは確実に何かを揺らした。
風が止んだわけではないのに、空気が動かなくなったような感覚。
視線を合わせることができなくなる、そんな妙な間が生まれる。
凪は笑ったまま、視線を遠くへそらした。
「……冗談だよ、たぶん」
誰に向けた言葉でもなかった。ただ、自分の発言を軽くするための、逃げのようなひとこと。
けれど、結翔はそれに乗らなかった。
「いや。俺も、似たようなもんだと思う」
静かな声だった。
重くはない。でも、軽くもない。
ふたりの笑いは、そこから続かなかった。
春の空は、何事もなかったように広がっている。けれど、その下で交わされたたったひとつの言葉が、ふたりの間の何かを、ほんの少しだけずらした。
“恋”という言葉が、初めてふたりの会話に現れた瞬間。
けれど、それを正面から捉える勇気は、まだなかった。
恋という言葉に形を与えてしまえば、いまの関係性は変わってしまう。
だから、ふたりはそれを“競争”にすり替えた。
誰が先に言うか。
誰が先に気づかれるか。
誰が先に認めてしまうか。
それらはすべて、“勝ち負け”の形に置き換えられる。
そうしておけば、まだ曖昧でいられる。
“恋”ではないふりをしていられる。
凪はそっと目を閉じた。風が頬を撫でていく。
その風は、誰のものでもなかった。けれど、ふたりのあいだを、何かを確かめるように流れていった。
ベンチに座る距離は変わらないまま、心の距離がほんの一歩、近づいていた。気づいていないふりをしながら。
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その瞬間が、いちばん苦しくて、いちばん甘かった。
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