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変わらない日常に、変わってしまった温度
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放課後の生徒会室は、秋の夕光に照らされていた。窓のカーテン越しに差し込む光が、机の上の紙資料やファイルの端に長く柔らかな影を落としている。
文化祭の準備が本格化し、いつもより少しだけ雑多になった室内では、紙の擦れる音やペンの走る音が断続的に響いていた。だが、その音の間を満たしているはずの“会話”が、今日は異様なほど少なかった。
凪は、書類の山を黙々と整理していた。指先は正確で、紙の端を揃える動作にも無駄がない。けれど、その動きにはどこか機械的な硬さがあった。整えた紙束を軽くトントンと机に揃えたあと、一拍置いてから、彼はやっと顔を上げる。
だがその“顔を上げる”というごく自然な動作にも、かすかな遅れがあった。
ほんの一瞬、ためらいがあった。
目の前にいる人間――結翔――を見るという行為に、明確な意識が割かれていた。
それでも凪は、整った横顔を保ったまま、表情ひとつ崩さずに言う。
「これ、三年生の確認通ったみたい。あとはステージ側に伝えておけばいい」
声に抑揚はなかった。低く、落ち着いているようでいて、どこか張り詰めている。彼の声は静かすぎて、生徒会室の壁にすら跳ね返ってこないようだった。
「了解」
返ってきたのは、短いひとことだけだった。
その声の主――結翔は、斜め向かいの席に座っていた。背筋を伸ばし、足をきちんと揃えたまま、手元の書類を見つめている。いや、見つめている“ふり”をしていた。
彼の指先はページをめくっていたが、その動きには感情がなかった。紙をめくる速度は一定すぎて、内容を読んでいるようには見えなかった。集中しているように見せかけて、心がそこにはないのが分かる。そんな仕草だった。
凪の声に、ほんのわずかにまつげが震える。だが結翔は顔を上げなかった。
生徒会室には、文化祭の資料があちこちに置かれ、以前よりも雑然としている。にもかかわらず、ふたりのあいだには不自然なまでに何もなかった。机と資料、ふたりの沈黙。それが支配していた。
かつてなら、書類のミスに苦笑が返ったり、誰かのアイデアに便乗して笑いがこぼれたりしていた。
けれどいま、その空間には冗談がなかった。
呼吸のテンポも、視線の交差も、ひとつ残らず“間”を失っていた。
それに気づいていたのは、ふたりだけではなかった。
室内の隅で予備の備品を仕分けしていたまゆが、ちらりとふたりを見た。
頬に手を当てながら、目だけがふたりの様子を追う。
(あのふたり……どうしたの)
声には出さなかったが、まゆの表情がすべてを物語っていた。
凪は、何度目かの書類整理の手を止め、ふと外に視線をやった。夕方の光がカーテン越しにやわらかく揺れている。まぶしくもないその光は、彼の頬の陰影を優しくなぞっていた。
だが、彼の目にはその景色は映っていなかった。映っていたのは、むしろ斜め向かいに座る、何も言わない結翔の姿だった。
それでも凪は、何も言わなかった。
表情は相変わらず、涼やかで整っていた。
スッとした目元も、凛とした鼻筋も、何ひとつ乱れがない。
けれど――その整った顔には、ただの一度も“笑み”が浮かばなかった。
そして結翔。
彼は時折、書類から目を上げるようにして凪を見た。
目を合わせようとして、けれどその直前で視線を逸らす。
それを何度も、繰り返した。
その動作のたびに、まゆは無言で唇を噛んだ。
(おかしいよ、ふたりとも。こんなの、いつものふたりじゃない)
静かすぎる生徒会室。
言葉があるのに、意味をなさない会話。
目線がすれ違うたび、確実に“何か”が変わってしまったのだと、そこにいる誰もが気づいていた。
変わらないのは、机の上の書類だけだった。
文化祭のために作られたその資料だけが、まるでふたりの代わりに役割を果たしているように、丁寧に並べられていた。
そして、生徒会室の空気は、なおも変わらず、張り詰めていた。
まるでふたりの心の奥に、まだ言葉にできない「何か」がこびりついたまま、そこから剥がれずに残っているように。
それはすでに、恋の駆け引きでも、優位性の探り合いでもなかった。
ただ、届かなかった想いの後に残された、静かな余熱だった。
文化祭の準備が本格化し、いつもより少しだけ雑多になった室内では、紙の擦れる音やペンの走る音が断続的に響いていた。だが、その音の間を満たしているはずの“会話”が、今日は異様なほど少なかった。
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だがその“顔を上げる”というごく自然な動作にも、かすかな遅れがあった。
ほんの一瞬、ためらいがあった。
目の前にいる人間――結翔――を見るという行為に、明確な意識が割かれていた。
それでも凪は、整った横顔を保ったまま、表情ひとつ崩さずに言う。
「これ、三年生の確認通ったみたい。あとはステージ側に伝えておけばいい」
声に抑揚はなかった。低く、落ち着いているようでいて、どこか張り詰めている。彼の声は静かすぎて、生徒会室の壁にすら跳ね返ってこないようだった。
「了解」
返ってきたのは、短いひとことだけだった。
その声の主――結翔は、斜め向かいの席に座っていた。背筋を伸ばし、足をきちんと揃えたまま、手元の書類を見つめている。いや、見つめている“ふり”をしていた。
彼の指先はページをめくっていたが、その動きには感情がなかった。紙をめくる速度は一定すぎて、内容を読んでいるようには見えなかった。集中しているように見せかけて、心がそこにはないのが分かる。そんな仕草だった。
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けれどいま、その空間には冗談がなかった。
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それに気づいていたのは、ふたりだけではなかった。
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頬に手を当てながら、目だけがふたりの様子を追う。
(あのふたり……どうしたの)
声には出さなかったが、まゆの表情がすべてを物語っていた。
凪は、何度目かの書類整理の手を止め、ふと外に視線をやった。夕方の光がカーテン越しにやわらかく揺れている。まぶしくもないその光は、彼の頬の陰影を優しくなぞっていた。
だが、彼の目にはその景色は映っていなかった。映っていたのは、むしろ斜め向かいに座る、何も言わない結翔の姿だった。
それでも凪は、何も言わなかった。
表情は相変わらず、涼やかで整っていた。
スッとした目元も、凛とした鼻筋も、何ひとつ乱れがない。
けれど――その整った顔には、ただの一度も“笑み”が浮かばなかった。
そして結翔。
彼は時折、書類から目を上げるようにして凪を見た。
目を合わせようとして、けれどその直前で視線を逸らす。
それを何度も、繰り返した。
その動作のたびに、まゆは無言で唇を噛んだ。
(おかしいよ、ふたりとも。こんなの、いつものふたりじゃない)
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言葉があるのに、意味をなさない会話。
目線がすれ違うたび、確実に“何か”が変わってしまったのだと、そこにいる誰もが気づいていた。
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そして、生徒会室の空気は、なおも変わらず、張り詰めていた。
まるでふたりの心の奥に、まだ言葉にできない「何か」がこびりついたまま、そこから剥がれずに残っているように。
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ただ、届かなかった想いの後に残された、静かな余熱だった。
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