33 / 36
静かな生徒会室、ふたりの“作業”という仮面
しおりを挟む
放課後の生徒会室は、夕暮れの色に満ちていた。
カーテンの隙間から差し込む淡い橙の光が、室内の机や椅子、貼り出された企画ポスターの端を静かに照らしている。窓の外からは、遠くで吹奏楽部が調律を始める音が、かすかに響いていた。
室内には、ふたりだけ。
他の生徒会メンバー――まゆも御堂筋も堺筋も、それぞれの役割を終えて下校し、残されたのは結翔と凪。
長テーブルを挟み、向かい合う形で座るふたりの間には、文化祭の企画書と修正資料、そして修正済みのタイムスケジュールが並べられていた。
「ここの文言、もう少し柔らかくしてもいいかも」
凪が静かに言う。
その声は、まるでページをめくる音のように静かだった。
表情に変化はなく、まつげの影が頬に長く落ちている。
資料に向ける目は涼しげだが、どこか動きが遅い。
視線の移動に迷いがあり、言葉のあとにわずかに間が空いた。
結翔はその指摘を受け取り、資料の一文に目を落とす。
「じゃあ、“体験できます”じゃなくて“楽しめます”に直すか」
彼もまた、ごく自然な口調で返した。
筆記具を取り、さらりとペンを走らせる。
だが、その書き込みが終わるまでの手の動きには、無言の逡巡が滲んでいた。
丁寧すぎる筆圧、いつもよりわずかに深く押し込まれた文字。
紙の端をなぞる指が、次のページに移る前に数秒だけ止まる。
ふたりのやり取りは、見た目には平穏だった。
言葉は整っていて、役割をまっとうしている。
けれど、それはあまりにも“必要最低限”だった。
まるで、言葉を選ぶことそのものが、何かを避ける行為になっていた。
凪の横顔はいつも通りに整っている。
均整のとれた顔立ちに曇りはなく、唇の輪郭も微動だにしない。
だが、そこには“静けさ”以上の沈黙があった。
時折、まばたきの間隔が妙に長くなる。
まつげが目元に影を落とし、そのたびに視線の焦点が曖昧になる。
紙面に視線を落としながらも、思考は別の場所を彷徨っているのが分かる。
手元の紙束を整えるとき、ペンを置く音がやけに静かだった。
結翔はというと、いつもより少しだけ前傾姿勢だった。
背筋を伸ばすことは忘れていなかったが、肩が僅かに前に出ていた。
その姿勢は、まるで何かを“話すかどうか”を何度も反芻しているようだった。
資料に向ける視線は鋭く、だが読み進めている様子はなかった。
むしろ、内容に目を通すよりも、資料という“盾”の奥にある凪の気配に集中しているように見えた。
指先が紙の端をなぞる。その動きがやけに遅く、律動が狂っている。
「ステージ企画の枠、あと一つ空いてたけど、結局どうする?」
凪が尋ねた。視線はまだ資料に向いたまま。
「希望出してたところ、辞退したんだって。だから、空白のままでも問題ない」
結翔の答えは明確だった。だが、どこか感情が置いていかれている。
凪は頷いた。
だがその頷きも、どこかに“考える隙間”を残していた。
返事のつもりで動いた首が、すぐには止まらず、なだらかに揺れ続ける。
そんな仕草のひとつひとつが、どこかぎこちない。
慣れた関係のはずなのに、ほんのわずかなズレが、空気の中に沁み込んでいく。
ふたりの声が交差しない時間が増えていく。
会話が続かないわけではない。
むしろ、やり取りは成立している。
だが、“会話のキャッチボール”ではなかった。
ただ、投げられたボールを黙って拾って返すだけ。
そこに“意志”も“感情”も乗っていないように見える。
部屋の隅で、時計の針が音を立てて進む。
文化祭まであと三日。
なのに、準備の音よりも、この静寂の方が圧倒的に重かった。
机の上に広がるのは、企画書の束と、語られなかった想い。
作業をしているふりをして、実際には何も処理できていない心。
ふたりの姿は、まるで“作業”という名の仮面を被ったまま、互いの顔を直視できないでいるようだった。
言葉が、かつてのように武器だった時代は、もう終わっていた。
だけど、次にそれが“本音”として発せられるには、まだほんの少しだけ、勇気が足りなかった。
光が少しだけ傾き、凪の頬に新しい影が落ちる。
その影が、やがて結翔の指先に重なる。
誰も見ていない生徒会室で、ふたりの距離は静かに揺れていた。
カーテンの隙間から差し込む淡い橙の光が、室内の机や椅子、貼り出された企画ポスターの端を静かに照らしている。窓の外からは、遠くで吹奏楽部が調律を始める音が、かすかに響いていた。
室内には、ふたりだけ。
他の生徒会メンバー――まゆも御堂筋も堺筋も、それぞれの役割を終えて下校し、残されたのは結翔と凪。
長テーブルを挟み、向かい合う形で座るふたりの間には、文化祭の企画書と修正資料、そして修正済みのタイムスケジュールが並べられていた。
「ここの文言、もう少し柔らかくしてもいいかも」
凪が静かに言う。
その声は、まるでページをめくる音のように静かだった。
表情に変化はなく、まつげの影が頬に長く落ちている。
資料に向ける目は涼しげだが、どこか動きが遅い。
視線の移動に迷いがあり、言葉のあとにわずかに間が空いた。
結翔はその指摘を受け取り、資料の一文に目を落とす。
「じゃあ、“体験できます”じゃなくて“楽しめます”に直すか」
彼もまた、ごく自然な口調で返した。
筆記具を取り、さらりとペンを走らせる。
だが、その書き込みが終わるまでの手の動きには、無言の逡巡が滲んでいた。
丁寧すぎる筆圧、いつもよりわずかに深く押し込まれた文字。
紙の端をなぞる指が、次のページに移る前に数秒だけ止まる。
ふたりのやり取りは、見た目には平穏だった。
言葉は整っていて、役割をまっとうしている。
けれど、それはあまりにも“必要最低限”だった。
まるで、言葉を選ぶことそのものが、何かを避ける行為になっていた。
凪の横顔はいつも通りに整っている。
均整のとれた顔立ちに曇りはなく、唇の輪郭も微動だにしない。
だが、そこには“静けさ”以上の沈黙があった。
時折、まばたきの間隔が妙に長くなる。
まつげが目元に影を落とし、そのたびに視線の焦点が曖昧になる。
紙面に視線を落としながらも、思考は別の場所を彷徨っているのが分かる。
手元の紙束を整えるとき、ペンを置く音がやけに静かだった。
結翔はというと、いつもより少しだけ前傾姿勢だった。
背筋を伸ばすことは忘れていなかったが、肩が僅かに前に出ていた。
その姿勢は、まるで何かを“話すかどうか”を何度も反芻しているようだった。
資料に向ける視線は鋭く、だが読み進めている様子はなかった。
むしろ、内容に目を通すよりも、資料という“盾”の奥にある凪の気配に集中しているように見えた。
指先が紙の端をなぞる。その動きがやけに遅く、律動が狂っている。
「ステージ企画の枠、あと一つ空いてたけど、結局どうする?」
凪が尋ねた。視線はまだ資料に向いたまま。
「希望出してたところ、辞退したんだって。だから、空白のままでも問題ない」
結翔の答えは明確だった。だが、どこか感情が置いていかれている。
凪は頷いた。
だがその頷きも、どこかに“考える隙間”を残していた。
返事のつもりで動いた首が、すぐには止まらず、なだらかに揺れ続ける。
そんな仕草のひとつひとつが、どこかぎこちない。
慣れた関係のはずなのに、ほんのわずかなズレが、空気の中に沁み込んでいく。
ふたりの声が交差しない時間が増えていく。
会話が続かないわけではない。
むしろ、やり取りは成立している。
だが、“会話のキャッチボール”ではなかった。
ただ、投げられたボールを黙って拾って返すだけ。
そこに“意志”も“感情”も乗っていないように見える。
部屋の隅で、時計の針が音を立てて進む。
文化祭まであと三日。
なのに、準備の音よりも、この静寂の方が圧倒的に重かった。
机の上に広がるのは、企画書の束と、語られなかった想い。
作業をしているふりをして、実際には何も処理できていない心。
ふたりの姿は、まるで“作業”という名の仮面を被ったまま、互いの顔を直視できないでいるようだった。
言葉が、かつてのように武器だった時代は、もう終わっていた。
だけど、次にそれが“本音”として発せられるには、まだほんの少しだけ、勇気が足りなかった。
光が少しだけ傾き、凪の頬に新しい影が落ちる。
その影が、やがて結翔の指先に重なる。
誰も見ていない生徒会室で、ふたりの距離は静かに揺れていた。
1
あなたにおすすめの小説
伝説のS級おじさん、俺の「匂い」がないと発狂して国を滅ぼすらしいい
マンスーン
BL
ギルドの事務職員・三上薫は、ある日、ギルドロビーで発作を起こしかけていた英雄ガルド・ベルンシュタインから抱きしめられ、首筋を猛烈に吸引。「見つけた……俺の酸素……!」と叫び、離れなくなってしまう。
最強おじさん(変態)×ギルドの事務職員(平凡)
世界観が現代日本、異世界ごちゃ混ぜ設定になっております。
異世界から戻ったら再会した幼馴染から溺愛される話〜君の想いが届くまで〜
一優璃 /Ninomae Yuuri
BL
異世界での記憶を胸に、元の世界へ戻った真白。
けれど、彼を待っていたのは
あの日とはまるで違う姿の幼馴染・朔(さく)だった。
「よかった。真白……ずっと待ってた」
――なんで僕をいじめていた奴が、こんなに泣いているんだ?
失われた時間。
言葉にできなかった想い。
不器用にすれ違ってきたふたりの心が、再び重なり始める。
「真白が生きてるなら、それだけでいい」
異世界で強くなった真白と、不器用に愛を抱えた朔の物語。
※第二章…異世界での成長編
※第三章…真白と朔、再会と恋の物語
転生したようだけど?流れに身を任せていたら悪役令息?として断罪されていた――分からないまま生きる。
星乃シキ
BL
発作の後に目覚めたら、公爵家嫡男の身体だった。
前世の記憶だけを抱えたまま生きるレイは、ある夜、男の聖女への嫌がらせの罪で断罪される。
だが図書室の記録が冤罪を覆す。
そしてレイは知る。
聖女ディーンの本当の名はアキラ。
同じ日本から来た存在だった。
帰りたい聖女と、この身体で生きるレイ。
秘密を共有した二人は、友達になる。
人との関わりを避けてきたレイの人間関係が、少しずつ動き始める。
悪役令息ですが破滅回避で主人公を無視したら、高潔な態度だと勘違いされて聖人認定。なぜか溺愛ルートに入りました
水凪しおん
BL
BL小説『銀の瞳の聖者』の悪役令息ルシアンに転生してしまった俺。
原作通りなら、主人公ノエルをいじめ抜き、最後は断罪されて野垂れ死ぬ運命だ。
「そんなの絶対にお断りだ! 俺は平和に長生きしたい!」
破滅フラグを回避するため、俺は決意した。
主人公ノエルを徹底的に避け、関わらず、空気のように生きることを。
しかし、俺の「無視」や「無関心」は、なぜかノエルにポジティブに変換されていく。
「他の人のように欲望の目で見ないなんて、なんて高潔な方なんだ……!」
いじめっ子を視線だけで追い払えば「影から守ってくれた」、雨の日に「臭いから近寄るな」と上着を投げつければ「不器用な優しさ」!?
全力で嫌われようとすればするほど、主人公からの好感度が爆上がりして、聖人認定されてしまう勘違いラブコメディ!
小心者の悪役令息×健気なポジティブ主人公の、すれ違い溺愛ファンタジー、ここに開幕!
劣等アルファは最強王子から逃げられない
東
BL
リュシアン・ティレルはアルファだが、オメガのフェロモンに気持ち悪くなる欠陥品のアルファ。そのことを周囲に隠しながら生活しているため、異母弟のオメガであるライモントに手ひどい態度をとってしまい、世間からの評判は悪い。
ある日、気分の悪さに逃げ込んだ先で、ひとりの王子につかまる・・・という話です。
逃げた弟のかわりに溺愛アルファに差し出されました。初夜で抱かれたら身代わりがばれてしまいます💦
雪代鞠絵/15分で萌えるBL小説
BL
逃げた弟の身代わりとなり、
隣国の国王である溺愛アルファに嫁いだオメガ。
しかし実は、我儘で結婚から逃げ出した双子の弟の身代わりなのです…
オメガだからと王宮で冷遇されていたので、身代わり結婚にも拒否権が
なかたのでした。
本当の花嫁じゃない。
だから何としても初夜は回避しなければと思うのですが、
だんだん王様に惹かれてしまい、苦しくなる…という
お話です。よろしくお願いします<(_ _)>
転生エルフの天才エンジニア、静かに暮らしたいのに騎士団長に捕まる〜俺の鉄壁理論は彼の溺愛パッチでバグだらけです〜
たら昆布
BL
転生したらエルフだった社畜エンジニアがのんびり森で暮らす話
騎士団長とのじれったい不器用BL
【完結 一気読み推奨】片想いの相手が「そろそろ恋愛したい」と言ったので、用済みの俺はニートになることにしました。
はぴねこ
BL
高校生の頃、片想いの親友に告白した。
彼はノンケだったから玉砕して友人関係も終わるものだと思っていた。
もしかすると気持ち悪いと軽蔑される覚悟までしていたのに、彼は「今は恋愛をしている時間がないんだ」と自分の夢を語ってくれた。
彼は会社を興した祖父のことをとても尊敬していて、自分も起業したいと熱く語ってくれた。
そして、俺の手を握って「できれば親友のお前には俺の右腕になってほしい」と言われた。
同性愛者の俺のことを気持ち悪いと遠ざけることもせずに、親友のままでいてくれた彼に俺は感謝して、同じ大学に進学して、大学の頃に彼と一緒にゲームを作成する会社を起業した。
あれから二十年間、本当に二人三脚で駆け抜けてきた。
そして、昨年売り出したVRMMOが世界的に大ヒットし、ゲーム大賞を取ったことを祝うパーティーで親友が語った言葉に俺の覚悟も決まった。
「俺もそろそろ恋愛したい」
親友のその言葉に、俺は、長年の片想いを終わらせる覚悟をした。
不憫な拗らせアラフォーが”愛”へと踏み出すお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる