36 / 91
素顔の執事──『クロード、崩される』
しおりを挟む
──最も手強いのは、悪意のない悪戯である。
ティタ嬢が真紅のドレスを揺らしながら、私にゆっくりと近づいてきた。先ほどまで見せていた高慢で冷ややかな態度はなりを潜め、代わりに現れたのは好奇心と微かな挑発を含んだ笑みだった。
「あなた、公爵家の元執事長だったんですってね?うちで働かせてあげてもいいわよ」
その声には甘美な響きがあり、私を試しているのか、それともからかっているのか判断しかねた。だが、私は礼儀正しく、執事としての節度を保ちながら答える。
「ありがたいお言葉ですが、ご遠慮させていただきます。私には、すでにお仕えしている主がおりますので」
断りの言葉を口にした瞬間、ティタ嬢の瞳が微かに細められ、唇の端に不敵な笑みが刻まれた。
「ふうん……私の誘いを断るの? なかなか勇気があるじゃない」
その一言、その声音に、私は不思議な既視感を覚えた。
どこか遠い記憶の奥底で、この挑戦的でどこか鋭い声を聞いたことがある気がする。私は無意識のうちに眉を寄せ、静かに問いかけた。
「失礼ですが……以前どこかでお会いしたことがございますか?」
その瞬間、ティタ嬢が突然高らかに笑い始めた。その笑い声は銀鈴のように響き、しかし同時に不吉な予感をも連れてくる。
「ふふ、あはは! まあ、随分と陳腐な台詞を使うのね、クロード」
ティタ嬢は私の名前を意図的にゆっくりと口にした。それはまるで私を試すような、あるいは罠を仕掛けるかのような、危険な響きを孕んでいる。
突然ティタ嬢は、私の顔をまじまじと見つめたかと思うと、少し首を傾げながらにじり寄ってきた。
私はわずかに身を引いたが、彼女の手の動きは躊躇がなく、まるで自分のものであるかのように、私の眼鏡をすっと外した。
「……僭越ながら、何をなさるおつもりで──」
言い終わる前に、彼女の指先が私の前髪に触れた。整えていた髪が、無造作に揺れ、額にかかる。彼女の指はそのまま耳元まで滑り、ゆっくりと撫でて戻ってくる。
「やっぱり思った通り。こうすると、あなた、急に違う人みたいになるのね」
私は咳払いを一つして、微かに後退しながら制した。
「ティタ嬢、それは困ります。私の容貌がどうであれ、執事として──」
「執事としてなんて言葉、あなたの魅力を曇らせてるだけよ」
彼女はくすりと笑って、指で乱れた前髪をさらに撫でた。紅く塗られた爪が、まるで宝石の縁取りのように私の視界を飾った。
「こっちの方が、よっぽど格好いいわよ。眼鏡の影に隠れてたなんてもったいないわね」
その時、後方から少年執事が目を輝かせて進み出てきた。
「わかります!前髪がちょっと落ちてて、メガネもしてないから、なんか……めっちゃ色気出てるんですけど!?」
「……お二人とも、冗談はそれくらいにしていただけると助かるのですが」
「いやいや!こっちの方が絶対良いですって!普段は“お堅い執事”って感じなのに、今は、“危険な男”って感じですよ、マジで!完璧です、クロード先輩!」
彼の無邪気な追従に私は内心溜息をつくしかなかったが、ティタ嬢は愉快そうに唇を歪め、少年執事に向かって小さく頷いた。
「でしょう? クロード、あなた執事の仮面を外したら、いい男の顔をしているのね。もっと早く気付けばよかったわ」
彼女の言葉は私の耳元で囁かれた。呼吸すら感じられるほど近くで、その瞳には妖しい光が揺れている。
「私、あなたのすっとぼけた態度、嫌いじゃないわよ?」
彼女は私の目を真っ直ぐに見据えると、指先を私の胸のあたりへと伸ばした。その細い指先はまるで羽根のように軽く、胸元を静かになぞっていく。
「アトラの夫なのに、会ったことがあるかなんて……そんなこと言っていいのかしら?」
私は静かに息を吐いた。このような挑発に動じるほど、私は若くも無邪気でもない。しかし、それでも彼女の意図がまったく読めないことに僅かな不安が芽生える。
「何か勘違いをされているようですが、言葉以上の意味はありませんよ。それに、私の妻への愛は決して揺らぎませんので、ご心配には及びません」
精一杯の冷静を装って返答すると、ティタ嬢は口元を緩めて微笑んだ。
「いいのよ。愛なんてつまらないもの、私には興味ないわ。ただ、あなたがどんな顔をするか見たかっただけ」
彼女はそう言い残すと、再びゆっくりと離れていった。その後ろ姿を見送りながら、私は心の奥底に得体の知れないざわめきを感じていた。
──いったい彼女は、私の記憶の何なのだろう。
私は目を細め、その背中をじっと見つめ続けた。彼女が残した微かな香りがまだ空気に漂い、私はそれを静かに振り払うかのように小さく首を振った。
何か良くない事が始まろうとしている。
そう確信した時、私は再び執事としての仮面を深く被り直し、静かに背筋を正したのだった。
ティタ嬢が真紅のドレスを揺らしながら、私にゆっくりと近づいてきた。先ほどまで見せていた高慢で冷ややかな態度はなりを潜め、代わりに現れたのは好奇心と微かな挑発を含んだ笑みだった。
「あなた、公爵家の元執事長だったんですってね?うちで働かせてあげてもいいわよ」
その声には甘美な響きがあり、私を試しているのか、それともからかっているのか判断しかねた。だが、私は礼儀正しく、執事としての節度を保ちながら答える。
「ありがたいお言葉ですが、ご遠慮させていただきます。私には、すでにお仕えしている主がおりますので」
断りの言葉を口にした瞬間、ティタ嬢の瞳が微かに細められ、唇の端に不敵な笑みが刻まれた。
「ふうん……私の誘いを断るの? なかなか勇気があるじゃない」
その一言、その声音に、私は不思議な既視感を覚えた。
どこか遠い記憶の奥底で、この挑戦的でどこか鋭い声を聞いたことがある気がする。私は無意識のうちに眉を寄せ、静かに問いかけた。
「失礼ですが……以前どこかでお会いしたことがございますか?」
その瞬間、ティタ嬢が突然高らかに笑い始めた。その笑い声は銀鈴のように響き、しかし同時に不吉な予感をも連れてくる。
「ふふ、あはは! まあ、随分と陳腐な台詞を使うのね、クロード」
ティタ嬢は私の名前を意図的にゆっくりと口にした。それはまるで私を試すような、あるいは罠を仕掛けるかのような、危険な響きを孕んでいる。
突然ティタ嬢は、私の顔をまじまじと見つめたかと思うと、少し首を傾げながらにじり寄ってきた。
私はわずかに身を引いたが、彼女の手の動きは躊躇がなく、まるで自分のものであるかのように、私の眼鏡をすっと外した。
「……僭越ながら、何をなさるおつもりで──」
言い終わる前に、彼女の指先が私の前髪に触れた。整えていた髪が、無造作に揺れ、額にかかる。彼女の指はそのまま耳元まで滑り、ゆっくりと撫でて戻ってくる。
「やっぱり思った通り。こうすると、あなた、急に違う人みたいになるのね」
私は咳払いを一つして、微かに後退しながら制した。
「ティタ嬢、それは困ります。私の容貌がどうであれ、執事として──」
「執事としてなんて言葉、あなたの魅力を曇らせてるだけよ」
彼女はくすりと笑って、指で乱れた前髪をさらに撫でた。紅く塗られた爪が、まるで宝石の縁取りのように私の視界を飾った。
「こっちの方が、よっぽど格好いいわよ。眼鏡の影に隠れてたなんてもったいないわね」
その時、後方から少年執事が目を輝かせて進み出てきた。
「わかります!前髪がちょっと落ちてて、メガネもしてないから、なんか……めっちゃ色気出てるんですけど!?」
「……お二人とも、冗談はそれくらいにしていただけると助かるのですが」
「いやいや!こっちの方が絶対良いですって!普段は“お堅い執事”って感じなのに、今は、“危険な男”って感じですよ、マジで!完璧です、クロード先輩!」
彼の無邪気な追従に私は内心溜息をつくしかなかったが、ティタ嬢は愉快そうに唇を歪め、少年執事に向かって小さく頷いた。
「でしょう? クロード、あなた執事の仮面を外したら、いい男の顔をしているのね。もっと早く気付けばよかったわ」
彼女の言葉は私の耳元で囁かれた。呼吸すら感じられるほど近くで、その瞳には妖しい光が揺れている。
「私、あなたのすっとぼけた態度、嫌いじゃないわよ?」
彼女は私の目を真っ直ぐに見据えると、指先を私の胸のあたりへと伸ばした。その細い指先はまるで羽根のように軽く、胸元を静かになぞっていく。
「アトラの夫なのに、会ったことがあるかなんて……そんなこと言っていいのかしら?」
私は静かに息を吐いた。このような挑発に動じるほど、私は若くも無邪気でもない。しかし、それでも彼女の意図がまったく読めないことに僅かな不安が芽生える。
「何か勘違いをされているようですが、言葉以上の意味はありませんよ。それに、私の妻への愛は決して揺らぎませんので、ご心配には及びません」
精一杯の冷静を装って返答すると、ティタ嬢は口元を緩めて微笑んだ。
「いいのよ。愛なんてつまらないもの、私には興味ないわ。ただ、あなたがどんな顔をするか見たかっただけ」
彼女はそう言い残すと、再びゆっくりと離れていった。その後ろ姿を見送りながら、私は心の奥底に得体の知れないざわめきを感じていた。
──いったい彼女は、私の記憶の何なのだろう。
私は目を細め、その背中をじっと見つめ続けた。彼女が残した微かな香りがまだ空気に漂い、私はそれを静かに振り払うかのように小さく首を振った。
何か良くない事が始まろうとしている。
そう確信した時、私は再び執事としての仮面を深く被り直し、静かに背筋を正したのだった。
10
あなたにおすすめの小説
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
まだ20歳の未亡人なので、この後は好きに生きてもいいですか?
せいめ
恋愛
政略結婚で愛することもなかった旦那様が魔物討伐中の事故で亡くなったのが1年前。
喪が明け、子供がいない私はこの家を出て行くことに決めました。
そんな時でした。高額報酬の良い仕事があると声を掛けて頂いたのです。
その仕事内容とは高貴な身分の方の閨指導のようでした。非常に悩みましたが、家を出るのにお金が必要な私は、その仕事を受けることに決めたのです。
閨指導って、そんなに何度も会う必要ないですよね?しかも、指導が必要には見えませんでしたが…。
でも、高額な報酬なので文句は言いませんわ。
家を出る資金を得た私は、今度こそ自由に好きなことをして生きていきたいと考えて旅立つことに決めました。
その後、新しい生活を楽しんでいる私の所に現れたのは……。
まずは亡くなったはずの旦那様との話から。
ご都合主義です。
設定は緩いです。
誤字脱字申し訳ありません。
主人公の名前を途中から間違えていました。
アメリアです。すみません。
貴妃エレーナ
無味無臭(不定期更新)
恋愛
「君は、私のことを恨んでいるか?」
後宮で暮らして数十年の月日が流れたある日のこと。国王ローレンスから突然そう聞かれた貴妃エレーナは戸惑ったように答えた。
「急に、どうされたのですか?」
「…分かるだろう、はぐらかさないでくれ。」
「恨んでなどいませんよ。あれは遠い昔のことですから。」
そう言われて、私は今まで蓋をしていた記憶を辿った。
どうやら彼は、若かりし頃に私とあの人の仲を引き裂いてしまったことを今も悔やんでいるらしい。
けれど、もう安心してほしい。
私は既に、今世ではあの人と縁がなかったんだと諦めている。
だから…
「陛下…!大変です、内乱が…」
え…?
ーーーーーーーーーーーーー
ここは、どこ?
さっきまで内乱が…
「エレーナ?」
陛下…?
でも若いわ。
バッと自分の顔を触る。
するとそこにはハリもあってモチモチとした、まるで若い頃の私の肌があった。
懐かしい空間と若い肌…まさか私、昔の時代に戻ったの?!
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる