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傲慢なる継承──『ある父親と、その娘』
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──沈黙とは、新たな嵐の前触れに過ぎない。
侯爵夫人が優雅に部屋を去り、彼女の足音が遠ざかると共に、部屋には一瞬の静寂が訪れた。まるで時が止まったかのような静寂だったが、それを破ったのは、唐突な女性の声だった。
「なんだ、やっぱり負けたんじゃない」
私は驚いて振り返る。
サロンの入り口近くに、壁にもたれかかりながら鮮やかな赤毛を揺らす若い女性がいた。華やかで美しく、彼女のその真紅のドレスは、私が宝石店で目にした人物であることを直ぐに思い起こさせた。
伯爵が青ざめながら口ごもる。
「ち、違うんだ、これは……ええと……」
伯爵の情けない弁明に、女性は冷ややかな微笑を浮かべる。その唇の端がゆっくりと上がる様は、まるで冷たい刃が静かに光を反射するかのようだった。
「ふぅん? 私が居ない間に勝手に勝負なんてするから、罰が当たったのよ。約束通り、これからは私の夜遊びに文句を言わないでね」
彼女の声には、怒りよりもむしろ軽蔑が込められている。その響きに、伯爵は打ちのめされたように肩を落とした。
「そんな……」
伯爵の呟きは微かに震えていた。その隣でサンゼールが悲痛な表情を浮かべている。普段の落ち着いた佇まいが嘘のように、彼の瞳は僅かに揺れ動き、隠しきれない痛みを宿していた。
私は目の前の展開を静かに見つめながら、心の中で状況を整理する。目の前の女性は侯爵夫人とはまた違った種類の力強さと高慢さを持ち合わせているようだ。その鋭い視線は室内の空気を圧迫し、居合わせた者全員に対して挑発的に迫ってくる。
隣で男爵様が小さく溜息をつき、私に向かって低く囁いた。
「……あの女性はアルフォンス伯爵の娘、ティタ嬢だよ」
男爵様の言葉に、私は目を細めて改めて彼女を観察する。なるほど、確かに伯爵と同じ傲慢な印象をどこかに漂わせているが、その瞳の奥には彼女独自の危うい輝きが見て取れた。
ティタと呼ばれた女性は一瞬私の視線に気付いたようだったが、すぐに興味を失ったかのように目を逸らした。まるで私を含むその場の全てが、自分には取るに足らない存在だと言わんばかりだ。
不意に彼女はサンゼールに鋭い視線を向け、少し意地悪そうに口元を歪めた。
「あなたも何か言ったら?ただ黙っているだけじゃ役に立たないわよ」
サンゼールは、まだ悲しげな視線を彼女に向けたままだった。その視線には、静かな諦めが混じっているようにも見える。普段の彼の誠実さを知る私にとって、それは意外であり、また少し胸が痛む光景だった。
部屋には再び静寂が訪れたが、先ほどとは異なり重く、息苦しい沈黙だった。その沈黙を破ったのはティタ嬢自身で、鮮やかなドレスをひるがえしながら皮肉っぽく呟いた。
「次は、私がいる時に挑戦してほしいものね。そうすれば少しは面白くなるかもしれないわ」
彼女の挑発的な笑みが、再び空気を震わせる。
──なるほど、この家にはまだ、語られていない物語が数多く隠されているようだ。
私は静かに息をつき、目の前で繰り広げられる新たな波乱を予感しながらも、執事としての仮面を保ち続けた。
侯爵夫人が優雅に部屋を去り、彼女の足音が遠ざかると共に、部屋には一瞬の静寂が訪れた。まるで時が止まったかのような静寂だったが、それを破ったのは、唐突な女性の声だった。
「なんだ、やっぱり負けたんじゃない」
私は驚いて振り返る。
サロンの入り口近くに、壁にもたれかかりながら鮮やかな赤毛を揺らす若い女性がいた。華やかで美しく、彼女のその真紅のドレスは、私が宝石店で目にした人物であることを直ぐに思い起こさせた。
伯爵が青ざめながら口ごもる。
「ち、違うんだ、これは……ええと……」
伯爵の情けない弁明に、女性は冷ややかな微笑を浮かべる。その唇の端がゆっくりと上がる様は、まるで冷たい刃が静かに光を反射するかのようだった。
「ふぅん? 私が居ない間に勝手に勝負なんてするから、罰が当たったのよ。約束通り、これからは私の夜遊びに文句を言わないでね」
彼女の声には、怒りよりもむしろ軽蔑が込められている。その響きに、伯爵は打ちのめされたように肩を落とした。
「そんな……」
伯爵の呟きは微かに震えていた。その隣でサンゼールが悲痛な表情を浮かべている。普段の落ち着いた佇まいが嘘のように、彼の瞳は僅かに揺れ動き、隠しきれない痛みを宿していた。
私は目の前の展開を静かに見つめながら、心の中で状況を整理する。目の前の女性は侯爵夫人とはまた違った種類の力強さと高慢さを持ち合わせているようだ。その鋭い視線は室内の空気を圧迫し、居合わせた者全員に対して挑発的に迫ってくる。
隣で男爵様が小さく溜息をつき、私に向かって低く囁いた。
「……あの女性はアルフォンス伯爵の娘、ティタ嬢だよ」
男爵様の言葉に、私は目を細めて改めて彼女を観察する。なるほど、確かに伯爵と同じ傲慢な印象をどこかに漂わせているが、その瞳の奥には彼女独自の危うい輝きが見て取れた。
ティタと呼ばれた女性は一瞬私の視線に気付いたようだったが、すぐに興味を失ったかのように目を逸らした。まるで私を含むその場の全てが、自分には取るに足らない存在だと言わんばかりだ。
不意に彼女はサンゼールに鋭い視線を向け、少し意地悪そうに口元を歪めた。
「あなたも何か言ったら?ただ黙っているだけじゃ役に立たないわよ」
サンゼールは、まだ悲しげな視線を彼女に向けたままだった。その視線には、静かな諦めが混じっているようにも見える。普段の彼の誠実さを知る私にとって、それは意外であり、また少し胸が痛む光景だった。
部屋には再び静寂が訪れたが、先ほどとは異なり重く、息苦しい沈黙だった。その沈黙を破ったのはティタ嬢自身で、鮮やかなドレスをひるがえしながら皮肉っぽく呟いた。
「次は、私がいる時に挑戦してほしいものね。そうすれば少しは面白くなるかもしれないわ」
彼女の挑発的な笑みが、再び空気を震わせる。
──なるほど、この家にはまだ、語られていない物語が数多く隠されているようだ。
私は静かに息をつき、目の前で繰り広げられる新たな波乱を予感しながらも、執事としての仮面を保ち続けた。
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