それは、ホントに不可抗力で。

樹沙都

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§ 墨に近づけば黒くなる。

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「ちょっと! やだ! なにやって……」
「さて、もういいだろ? 俺、出かけてくるわ」
「えっ? でも」

 肝心な話はこれからなのにこいつ、逃げる気だ。あとはそっちで適当にやってくれと、顔に書いてある。でも、いまいなくなられたら、私の策略が。

「会社で片付けたい仕事があるんだよ。夕方には戻ってくるから、メシよろしく。冷蔵庫に隠し持ってるうまそうなもの食わせてくれるんだろ?」
「……!……」

 仕事が素早過ぎる。良い夫を気取ってコーヒーを入れているだけかと思ったら、冷蔵庫までチェック済みか。それにしても。
 秘蔵の珍味までをも狙うとは、まったくもって不届き千万。鮨の仇は珍味で返す、か。食い物の恨みは、やはり怖ろしい。

 血が上った私の頭をぐしゃっと撫でた尊は、至近距離でニヤリといつもの黒い笑みを浮かべると、立ち上がった。
 じゃあまた会社でね、と、佳恵に軽く言葉を投げ、玄関に向かって歩く尊をぼーっと目で追っていた私は、はたと気づく。

「あっ! 待ってよ! その服!」

 振り返った尊の目が『え? ダメ?』と問う。『当たり前だ着替えろ!』と、睨みつけると『やっぱりか』と小さく息を吐き、クローゼットのある趣味部屋へすごすごと入っていった。

 まったく。油断も隙もあったもんじゃない。と、呆れていると横槍が入る。

「いまじゃそうやって呆れた顔してるけど、誰があんたに常識をたたき込んだと思ってるのよ?」

 耳が痛い。佳恵さんがいなければ、私もあのスタイルで、平然と外を歩いていましたっけね。

「それにしても、驚いたあ。まさか小林さんにあんな一面があったとはね。もっとクールなひとだと思ってたわ」

 顔を近づけた佳恵がコソコソと言う。

「……珍しいモノが見られて良かったんじゃない?」

 私だってまさか、人前でキスされるとは思ってもみませんでしたよ。

「まったく、あんたは……」

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