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§ 悪魔降臨
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オフィス街のランチタイムは、どの店でも座席の争奪戦になる。喫茶と看板を掲げながらも、ランチを提供しているこの店も例外なくほぼ満席で、窓際にひとつ、小さなテーブル席を残すのみだった。
隣のテーブルでは、四人の中年サラリーマンが、ランチプレートをガツガツ掻き込んでいる。その奥は、見覚えのある顔を含んだ女の子五人組。木村ゆかりさんと白石美香さんだ。
店を変えようにもどこも似たり寄ったりの混み具合だし、時間も限られている。仕方なく彼女たちに背を向けて座ってコーヒーを注文。タブレットを起動し、読みかけの本を開いた。
「木村さんと白石さんは、憧れの松本さんと同じチームになったんでしょ? いいなぁ」
「松本さんとお話しできた?」
「松本さんって、クールでカッコいいよね。仕事でご一緒できるなんて羨ましい」
「独身だって聞いたことあるけど、彼女はいないのかな?」
「あれだけ素敵なんだもの。いないわけないわよね?」
「木村さんもこの際だから、頑張っちゃえば?」
「やだよ。そんな、無理だって」
またしても、松本さん、松本さん、松本さん。そんなにいいのか? 松本さんは!
松本さんの四文字を連呼する、彼女たちの甲高い声が、木霊の如く頭に響く。
あの男はたしかに、きれいな顔をしている。背も高く、細身だけれど引き締まったあの身体もまあまあいい。しかし、初見の女を自宅へ引っ張り込んであれこれしちゃうような男がクールで格好いいだなんて。あの子たちは、あの男の本質をわかっていない。
プロジェクト終了まで数ヶ月。私は、毎日あいつの顔を見せられた挙げ句、バレないよう気を遣う苦行を強いられるのだ。その上『松本さん贔屓』のこの子たちとも円満にお付き合いしなければならないとは。先が思いやられる。
タブレットを睨み物思いに耽っていると、突然「わぁ!」と、複数の叫び声が聞こえた。
誰かが、空いている椅子の背に手をかけ、座り込んだ。他が満席だからとはいえ、先客に対して相席の可否くらい問いましょうよ。不快感も露わに視線を向けると、それはなんと、松本亮だった。
「偶然だね」
「そうですね」
無駄な愛想を振りまく気はない。機械的に返事をし、視線をタブレットへ戻した。
「瑞稀」
「……え?」
鋭い眼光に、思わず息を呑む。
悪魔が、降臨した。
怒っている。この人、めっちゃくちゃに、怒っている。
飄々としたその表情の裏で、怒りの炎が噴火直前の火山みたいに蜷局を巻いている。と、冷静に観察できている私の心臓も大したものだと、自画自賛してみたところで。
いまはそれどころではなく、もっと、重要な問題がある。
なんでバレているの?
一緒に仕事をするのだから、フルネームくらい知っているのは当然だとしても。完璧に変装しているこの私が、あの私と同一人物だと気づくなんて、ありえない。そもそも、私は、あの夜、フルネームを名乗った覚えが無い。絶対に無いとは言い切れないけれど、無いはずだ。
まさか、小夜が変装をバラした? ——いくら酔った小夜でもそこまで口は軽くない、と思いたい。
本当は気づいたわけじゃない? ——確信もなく名前を呼ばないでしょう。
シラを切り通せば終わる? ——とてもじゃないが、終わる相手とは思えない。
「おまえはなぜ電話に出ないんだ?」
こりゃダメだ。やっぱり、バレている。
「えっと……時間が無くて。その……申し訳ありません」
この人からの電話もショートメッセージも、無視した私が悪いのだから、断罪されて当然だ。それでも後ろめたさで、声が震える。情けなくも、これが私の、精一杯。
「心配したんだよ」
「は? 心配? なんで?」
思いも寄らない言葉に驚き、うっかり素で訊きかえしてしまった。
「電話には出ない。メッセージの返事もない。これで心配するなというほうが無理だろう?」
「はぁ……」
怒っているわけではなさそう、と、ほっと胸を撫で下ろす。それにしてもこの人は、かなりの自信家だ。自分が連絡すれば必ず返事があるもの、との思考に、脱力する。
優しい声音と微笑みに緊張が緩んだのも束の間、鋭い殺気のようなものを背中に感じた。
松本亮のあまりの自然な態度にすっかり忘れていたが、ここは、オフィス近くの喫茶店。ただでさえ目も耳もそこら中にゴロゴロある。奥の席には、木村さんと白石さんまでいるのだから、素っ恍けるにも限界がある。
このまま話を続けていてはマズい、と、慌てて言葉を返した。
「申し訳ありませんが、そのお話しは、ここではちょっと……」
左右を気にした振りをする。その意味に気づいたのであろう彼は、さりげなく奥の方へ視線を向け、苦笑した。
「わかった。夜にでも話をしよう」
隣のテーブルでは、四人の中年サラリーマンが、ランチプレートをガツガツ掻き込んでいる。その奥は、見覚えのある顔を含んだ女の子五人組。木村ゆかりさんと白石美香さんだ。
店を変えようにもどこも似たり寄ったりの混み具合だし、時間も限られている。仕方なく彼女たちに背を向けて座ってコーヒーを注文。タブレットを起動し、読みかけの本を開いた。
「木村さんと白石さんは、憧れの松本さんと同じチームになったんでしょ? いいなぁ」
「松本さんとお話しできた?」
「松本さんって、クールでカッコいいよね。仕事でご一緒できるなんて羨ましい」
「独身だって聞いたことあるけど、彼女はいないのかな?」
「あれだけ素敵なんだもの。いないわけないわよね?」
「木村さんもこの際だから、頑張っちゃえば?」
「やだよ。そんな、無理だって」
またしても、松本さん、松本さん、松本さん。そんなにいいのか? 松本さんは!
松本さんの四文字を連呼する、彼女たちの甲高い声が、木霊の如く頭に響く。
あの男はたしかに、きれいな顔をしている。背も高く、細身だけれど引き締まったあの身体もまあまあいい。しかし、初見の女を自宅へ引っ張り込んであれこれしちゃうような男がクールで格好いいだなんて。あの子たちは、あの男の本質をわかっていない。
プロジェクト終了まで数ヶ月。私は、毎日あいつの顔を見せられた挙げ句、バレないよう気を遣う苦行を強いられるのだ。その上『松本さん贔屓』のこの子たちとも円満にお付き合いしなければならないとは。先が思いやられる。
タブレットを睨み物思いに耽っていると、突然「わぁ!」と、複数の叫び声が聞こえた。
誰かが、空いている椅子の背に手をかけ、座り込んだ。他が満席だからとはいえ、先客に対して相席の可否くらい問いましょうよ。不快感も露わに視線を向けると、それはなんと、松本亮だった。
「偶然だね」
「そうですね」
無駄な愛想を振りまく気はない。機械的に返事をし、視線をタブレットへ戻した。
「瑞稀」
「……え?」
鋭い眼光に、思わず息を呑む。
悪魔が、降臨した。
怒っている。この人、めっちゃくちゃに、怒っている。
飄々としたその表情の裏で、怒りの炎が噴火直前の火山みたいに蜷局を巻いている。と、冷静に観察できている私の心臓も大したものだと、自画自賛してみたところで。
いまはそれどころではなく、もっと、重要な問題がある。
なんでバレているの?
一緒に仕事をするのだから、フルネームくらい知っているのは当然だとしても。完璧に変装しているこの私が、あの私と同一人物だと気づくなんて、ありえない。そもそも、私は、あの夜、フルネームを名乗った覚えが無い。絶対に無いとは言い切れないけれど、無いはずだ。
まさか、小夜が変装をバラした? ——いくら酔った小夜でもそこまで口は軽くない、と思いたい。
本当は気づいたわけじゃない? ——確信もなく名前を呼ばないでしょう。
シラを切り通せば終わる? ——とてもじゃないが、終わる相手とは思えない。
「おまえはなぜ電話に出ないんだ?」
こりゃダメだ。やっぱり、バレている。
「えっと……時間が無くて。その……申し訳ありません」
この人からの電話もショートメッセージも、無視した私が悪いのだから、断罪されて当然だ。それでも後ろめたさで、声が震える。情けなくも、これが私の、精一杯。
「心配したんだよ」
「は? 心配? なんで?」
思いも寄らない言葉に驚き、うっかり素で訊きかえしてしまった。
「電話には出ない。メッセージの返事もない。これで心配するなというほうが無理だろう?」
「はぁ……」
怒っているわけではなさそう、と、ほっと胸を撫で下ろす。それにしてもこの人は、かなりの自信家だ。自分が連絡すれば必ず返事があるもの、との思考に、脱力する。
優しい声音と微笑みに緊張が緩んだのも束の間、鋭い殺気のようなものを背中に感じた。
松本亮のあまりの自然な態度にすっかり忘れていたが、ここは、オフィス近くの喫茶店。ただでさえ目も耳もそこら中にゴロゴロある。奥の席には、木村さんと白石さんまでいるのだから、素っ恍けるにも限界がある。
このまま話を続けていてはマズい、と、慌てて言葉を返した。
「申し訳ありませんが、そのお話しは、ここではちょっと……」
左右を気にした振りをする。その意味に気づいたのであろう彼は、さりげなく奥の方へ視線を向け、苦笑した。
「わかった。夜にでも話をしよう」
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