君と暮らす事になる365日

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「ヨリちゃん今日は仕事はや上がりだったの? それとも金曜日が普通じゃなかっただけ?」

まさか晴美が、そんな普通の事を問いかけて来るとは。依里は一瞬思考が止まった後、彼をまじまじと見つめた。
晴美は普通のふにゃふにゃした顔をしている。この男は普段から、きりりと引き締まった顔なんて絶対にしないのだ。
仕事の時は、真剣だからもっとしまった顔をしているはずだが。

「何でお前がそんな事聞くんだ?」

「ヨリちゃんとご飯囲みたいんだもの。それには仕事の上がる時間を、ちゃんと聞いた方がいいでしょ? 違うの? ヨリちゃんはおれと食べたくないとか、一人がいいとかあるの?」

「お前が普通の人間みたいな事を、聞くものだから」

「一人ご飯がさみしいんだもの」

そっちかよ、とは思った物の、まあわかる理屈ではある。特に寒いときは、一人わびしく食事をするのは味気ないし寂しい。
晴美は寂しがりのけが強いので、そこは顕著なのだろう。
そして相手は、昔の黒歴史さえ知っていて、安全だとわかっている幼馴染なのだ。
会話していて楽しいのだろう。

「今日は、いつもより早かった。新しい人が入ってきたんだけれど、この人がまた有能で、定時ぎりぎりに渡された仕事を、手伝ってくれたんだ」

「なんで定時ぎりぎりに、絶対残業になる時間に、仕事渡すの? ヨリちゃんの会社って残業おすすめしてるの?」

「普通残業は勧めないだろ、残業手当の都合があるんだから」

「ふうん、じゃあ渡すひとの非常識なんだね」

まあ非常識だろう。嘘をついてまで早く上がろうとして、自分の仕事を押し付けて来ていたのだから。
井上の真意はわからない物の、子供のお迎えだのと嘘をつき、人に厄介な仕事をたくさん押し付けて優雅に帰る、なんてのは人間的にどうかしているわけだ。

「色々あったんだよ」

晴美に内情を語るのも問題があるかもしれないので、依里はあいまいに誤魔化した。

「それで、手伝ってくれた人のおかげで、早く上がれたって事は、いつもは金曜日くらい遅いの?」

「遅い」

「わかった。それに合わせてご飯作って待ってるね、やっぱりおれの方が仕事上がるの早いんだ」

「お前は閉店作業とか手伝わないのか?」

「手伝おうとしたら、新人教育だから手を出すなって言われてさ。交代で見るから、おれもそのうち、見守る側になると思うよ」

「新人教育ってどこでも大変だな」

「でも、料理人の新人は、覚える事すごくたくさんあるから、仕方ないかもしれない。調理器具の扱い方とか、学校で習っていても、本番でその通りに行くかって言われたら、違うしね」

そこで晴美は一拍置いてこう言った。

「失敗続きで夜逃げする子もいるし」

「夜逃げするのか」

「やっぱり、出来る自信があった子ほど、打ちのめされる時ってのがあるんだよね」

「……お前はあったのか、そんな時期」

「ないよ! だっておれ、新人の時、これはいいぞっって思って、たくさん失敗させてもらって、怒鳴られまくって、学習する方を選んだんだもの」

こいつ変な事やらかす数に、定評あったもんな。
依里はそれ以上何も言わなかった。
しかし晴美は、彼女を手伝った人の事が気になるらしい。

「その人は男の人、女の人?」

「男」

「甘いもの好きそう?」

「それはわからない」

「じゃあ聞いてきて」

「なんで?」

「お礼がしたい。ヨリちゃん早く返してくれてありがとうって」

依里はとりあえず、その脇腹を叩く事にした。

「お前の所有物じゃないだろ、私は」

「うん! ヨリちゃんはヨリちゃんのものだもの!」

分かってんのと言動が一致してないぞ、とまでは、さすがに突っ込まなかった依里だった。


朝早く、というか明け方に何やらごそごそという音が聞こえて、依里は意識を覚醒させた。
また晴美、何してんだと思いつつも、料理人の朝が早いのは仕方がないと思うのは、気のせいではあるまい。
というか、生粋の料理人である晴美に、それを止めろというのは、情熱を捨てろというのも過言ではないため、依里は朝早いから怒ったりはしない。
だが何してんの、と思うのは当然だろう。
がらりと台所に続く扉を開けると、そこでは晴美が何やらごそごそと、作業をしていた。
たんたんたんたん、とリズミカルな包丁の音、それからダイニングテーブルに広げられた大量のビニル袋、それから……
何してんの、仕込み?
ここ家だけど、仕込みがいるのか?
結構真面目に考えた依里であるが、晴美は一切合切の音が聞こえていないように、作業に没頭している。
それは楽しそうな生き生きした顔で……ふわりと香ったのは、実に懐かしい匂いだった。

「ばあちゃんの煮物の匂いがする……」

依里がぼそりと言った時だ。
その声でやっと気が付いたのか、晴美がこちらを見たのだ。
手を止めて、ふわっと笑ったわけである。

「おはよう、でもまだ早いよ、寝てなよ。おれはしたい事してるだけだから」

「……したい事って何してんの」

「常備菜つくりとね、冷凍庫充実」

「それで朝っぱらから大量の煮物してんのかお前」

「ばあちゃん直伝のかやくごはんにもなる煮物だよ! ヨリちゃんはこれに、紅ショウガが入ったおにぎり、いくらでも食べたよね、野良仕事の後」

「……あれこうやって煮てたのか」

依里はそう言いながら、手際よく鍋をかき回す作業に移った晴美を見る。それから鍋の中身を見ると、懐かしい見慣れた具材がたっぷりである。

「おやつとか夜食に、かやくごはんのおにぎりがあると、とっても嬉しいでしょ? おれら三兄弟は、家に帰ってくると、しょっちゅう山盛りのお皿に乗ってて」

「……しってる、というかお前の家で勉強する時、おやつこれだったじゃないか。私はいつも、こんなおいしいもの、どうしてうちでは食べられないんだろうって思ってた」

「それはねえ、ばあちゃんが嫁入りする前に、ひいばあちゃんに叩き込まれた味だからだよ。おれんち、ばあちゃん結構遠くから見合いで嫁入りしたんだもの」

「……聞いた事ない」

「まあ、ヨリちゃんは家族みたいなものだったけど、家族じゃなかったから、うちの裏事情は聞かなかったかもね、おれは家事手伝いの最中にいつも聞いてたけど」

「他人の家事情に口挟むわけないだろ、お前なあ」

「まあまあ、おかげでヨリちゃんはいつでも美味しいかやくおにぎりが食べられるようになったんだから、いいでしょ? いま混ぜ込んで握るからね」

「仕事は?」

「これは仕事前の軽い肩慣らしだよ」

依里はしばし沈黙した。この量の常備菜の仕込みが、肩慣らしなわけがあるか、と思ったわけだが、晴美は違うのだろう。そう言えばこいつは、蔵を食い潰しかねない食欲旺盛な、男三人が育った家の子供だった。
大量に作るのは、もしかしたら慣れっこなのかもしれない……

「ヨリちゃんはもう少し寝てていいよ、ごはんの支度はしておくからさ」

「お前は今日は何時に家を出るんだ」

「七時半に、仕事先に行ってれば間違いないかな!」

「寝不足で倒れるなよ?」

「大丈夫! 仕事先で仮眠とってるから!」

「なんだそれ……」

そんな仕事の仕方ありなのか? と真面目に考えた依里であるが、ホテル従事者は仕事先で仮眠をとるわけだ。それと似たような物だろう、と納得する事にしたのだった。

「……じゃあ、あんまり騒がしくしないでくれよ」

「うん!」

これ以上会話していても、あまり生産性はないな、と判断した依里は、寝直す事にした。まだ眠たい。電車も一つ遅くてよくなった、それならまだ寝たい。
昨日のごたごたのせいで、彼女の体は思ったよりも疲れているのだった。
依里が欠伸交じりに部屋に戻って布団に入り直すと、布団は温かさを残しており、それに一気に睡魔が襲ってきたため、依里は問題なく眠る事が出来た。
そして次に意識がはっきりした時は、嫌いな目覚ましの音が聞こえてきたためだ。
いつもながら気に入らない音だ、だから目覚まししてるんだが、なんて思いながら、顔を洗い目を覚まし、ぐしゃぐしゃになった髪の毛をドライヤーまで使用して見られる物にすると、依里は寝間着のまま台所に入った。
冷蔵庫にはメモ書きがあり、朝ごはんが大体支度されている事、レンジで温めればすぐであること、鍋の中に味噌汁があるから、それも温めちゃっていい事が、簡潔な文章で書かれていた。
こう言うのは出来るのに、連絡事項をまとめるのは下手なのだ。
そんな感想を抱きながら、コンロに火を点け、冷蔵庫の中のタッパーを一つ手に取ると、海苔巻きのおにぎりが二つに、煮物が少し、それから漬物ももれなく入っていた。
漬物まで温めていいのか、と突っ込みたくなったものの、コンビニ弁当を温めたら、がっちりお漬物も温まってるよな、と依里は思い出した。
そのため遠慮なく温めて、おにぎりを口にすると、中に入っていたのは、香ばしく焼いてある鮭だった。
塩気は程よく、だがそっと添えられるような醤油の風味が溜まらない。
この、依里の好みを的確につかんだ味付けは、実家でも食べられないものだった。
彼女がそれらを平らげ、温まったわかめの味噌汁を、無精してマグカップに注ぎ入れて飲んでいると、彼女は更にメモ書きが、ダイニングのメモに書かれている事に気付いた。

「……弁当は冷蔵庫、食べる時にチン希望……お前甲斐甲斐しすぎないか」

依里はもう一度冷蔵庫を開けた。そこには彼女が先ほど手を付けたタッパーよりも大きめのものが入れられており、中身はあえて見ない事にした。晴美の弁当なのだから、間違いがないと判断した結果だった。
食事を済ませて、お茶を飲み、今日のニュースをスマホでざっと確認した依里は、今度こそ仕事に行くために着替えはじめた。ヒヤリとする空気は、家の中でも十分感じられる物で、しかしこのために暖房器具をつけるのは、なんだか負けたような気がする彼女だった。

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