雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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 チェシャネコさながらのデカイ口に、ケーキスタンドの下段に乗っていたサンドイッチは、あらかた吸い込まれた。
「お気に召さない? 美味しいよ? 勿論、薬物なんて入ってない。何なら取り替えようか?」
 ジムは湯気の立つカップにも手をつけず、ただそこに座っていた。
「考えてごらん? 君を殺したり、眠らせて解剖に回したりするのに僕が貴重な時間を割いて、わざわざここに招く必要がある? たとえそうしたかったとしても、このタイミングじゃないだろ? だって、僕は君にお願いがあるんだから」
 知らん。殺される予定も、解剖の予定も、お願いも、初耳だ。
「食べ方を知らないって逃げはナシ。君はナイフもフォークも使えるし、マナーも仕込まれている。粗野粗暴で作法も知らない人間は、パーティに潜入出来はいれない」
スコーンに手を伸ばして変人ウィステリアは続ける。
「確かに黙っていれば、その精悍な顔が崩れなくていいけどさ……彫像かっつーの。彫像? ちょっと待って。僕は彫像相手にこんな……」
 刹那、ウィステリアは首を落としたが、何事も無かったように帰って来た。
「君のチームはあいつが目を掛けているだけあって、美形揃いだよねえ。ハニトラ専門もびっくりじゃない? 一見ワイルドなブライアンは、柔らかな物腰と包容力があり、そのギャップで落とす。ロンは、捨てられた子猫からやんちゃな猫まで使い分けるテクニックで落とす。ホリーはもう……語らなくてもいいよね。あのツンデレがたまらなく萌えるだろう? 落ちる。間違いなく、落ちる。そうだろう?」
「……」
「そして極めつけはあの双子だ。ステンドグラスをはめ込んだ瞳の天使なんて趣味としかいいようがない。君たちのこと、ハニーチームって呼んでいい? そしたら君は、ハニー隊長キャプテンハニー
 お断りだ。
「呼ぶよ?」
 ウィステリアは顔を斜めにして、ずいと無言のジムに迫る。
 あんたがホリーに殺されたいのなら止めはしない。すでにホリーのタスクリストに名前は連ねているだろうが。
 しばらくジムを見つめていたウィステリアは元の場所に落ち着くと紅茶をカップに注いだ。
「だんまりを決め込むのは勝手だけど、その無言で君は君自身で君が考える向こう側の世界との壁を築いている。君の今までを考えれば世界を隔てたのは、選択する側の人間だと考えるのは自然かもだけど、君も分厚い壁を作っているよ。自分から吼えなけりゃ、いつまでたっても君は、彼らのおもちゃ、パピートイさ」
 迷い込んだ変人の茶会。目の前にはこれでもかとクロテッドクリームをスコーンにぬりたくる化け猫。足元には先程散らばって行った白や茶色のモフモフ。流れる音楽は鳥か妖精の歌声かと思えばパヴァロッティだ。
 ファンタジーと現実が入り乱れた不思議な空間でジムは覚悟を決めて足元のモフモフを指差した。
「そうだな。ナイフほどじゃないがフォークも得意だ。肉を突いたり、皮を引き裂いたり、組織を抉ったりする。まさかこのサンドイッチ、中身はラパンこいつら(うさぎ)じゃないよな?」
「違うよ。電源コードを噛んで焦げたら考えてもいいけど」
「お願い、とは何だ。あんたが、俺の質問に答えてくれるんじゃないのか」
「質問には答えるよ。僕のお願いは人を探してほしい」
「人探しなら、特殊しろ情報作戦本部にでも頼めばいい。あいつらご自慢のマシン、監視システムを使えばいいだろう」
「生きている人間ならね」
「……」
「僕が探し出して欲しい人はもう死んでいるんだ。幽霊犬の君なら死人の臭いを追って黄泉の国でも地獄でも探しに行けるかと思って」
 ソーサー片手にミルクをたっぷり入れた紅茶を飲み「天国には絶対に逝ってないと思うんだけどな」そう言って変人はにっこり笑った。
「さあ君の番だ。ジム、君の質問は?」
「俺があんたのお願いを聞くとでも?」
「聞くさ。何故なら、君自身が、彼を探したくなるからだよ」
 紅茶の濃度を調整する為に、ウィステリアがジャグの湯を注ごうと蓋を開けたティーポットからクオリティシーズンの茶葉が香る。
「ほら、どうぞ。君の質問を早く聞かせてよ」
 こいつは、俺が何を尋ねるかを知っているだろうに。
「AZは、SAIは、いったい何なんだ。誰が作った? あんたか?」
「前者については後ほど。後者については、残念! 本当に残念! 創造主が僕だったらどんなに良かったか!! そう思うだろ?」
 “星は光りぬ” を歌うカヴァラドッシさながらの悲痛な顔でウィステリアは声を上げた。
「ね?!」
「違うんだな」
「慰めてよ」
「断る」
 ジムは招かれて初めてカップを持ち、冷めた紅茶を飲んだ。
「温かい紅茶に変えるよ?」
「これでいい。変えてもらっても慰めるわけじゃない」
「酷いヤツ」
 本当に泣きそうな顔をしながらも、ウィステリアはジムに新しい紅茶を用意した。
「あんたじゃなきゃ、誰が作ったんだ」
「もう傷をえぐるの?!」
「質問に答えるといったのは、あんただろう」
 ジムが冷たいカップをソーサーに戻しながらそう言えば、高そうなタキシードの袖で鼻をすする男は「知らない」と言った。ようにジムには聞こえた。

 ……。
 知らない、と言ったか? 

「あは。さすがの君でもちょっと動揺したかな? 顔からは全くわかんないけどね!」
 死んでもカヴァラドッシにはなれそうもない目の前の男の中で何が起きたか、ジムには知る由もないし、知りたくもなかったが、悲しみの淵から蘇った変人の顔は笑顔に戻っていた。
 どうしたらそんなに表情が挙動不審になる……知りたくもないな。
「でも嘘じゃない。SAIの基礎理論を書いた人間はわからないんだ。ある日その論文は突如として現れ、そして忽然と消えた。当時それを見た研究者たちは、その論文を “プロメーテウスの火”なんて呼んでね。笑っちゃうよね。学術論文に神話のコードネームをつけたがるなんて、全く学者なんてみんな夢見がち。でも残念ながらそいつらはその火を継ぐことはできず夢と潰えちゃったわけ。これまた傑作で、そいつら何て言ってたと思う? 『あれを書いたのは人間ではなく人知を超えた何かかもしれない』だって! 仮にも科学者って名乗ってる奴らがだよ? ちょっとここ、笑うところなんだけど? 何? 紅茶のお代わり?」
 違う。
 次に何かを寄越すなら、灰皿を寄越せ。
 何ならその手に持ったポットでもいい。寄越せ。
 俺がニコチンとタールの抽出液をお前のカップに注いでやろう。
 ジムの考えなど明後日の方向でウィステリアは「まだ入っているじゃない。せめて飲んでからお代わりって言ってよね。あ。言ってないか。もー表情から読み取れないんだから、せめて声を出してくれる? 不貞腐れた子供だってもう少しね……」勝手に喋り続けていた。
 ジムはこの変人が誰かの前でこの調子で延々と喋り続け、もしかすると歌でも歌って “時間の無駄” の呪いを受けているのではないかと思い始めていた。この不思議な空間では脳を現実から引き剥がす遠心力が変人を中心に働いているに違いないと。
 だがそいつに言ってやりたい。その呪い、色々間違っているぞ。
 無限ループの茶会を呪いにしたと言うなら、変人こいつには祝福になっている。
 むしろ、今、その呪いを受けているのは俺だ。
 それとも何か。誰だか知らんが俺に呪いをかけようってのか?
 俺は生きて還る。
「煙草」
「何?」
「煙草を吸わせてくれ。
「断る」
 初めて見る生真面目を貼り付けたような顔で、変人はつい先程ジムが言った台詞を言い切った。しかしどうやら、その顔は数秒ともたないようで、次の瞬間にはチェシャネコに変わると「傑作、だよね? 笑うところだよ?」と、心なしか勝ち誇った様子で笑った。
 
 ……殺す。
 
 ジムはそれとわからないようテーブルの上の磨き上げられた高価な銀のナイフに目を走らせた。

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