雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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「でもたった一人。その火からSAIをこの世に生み出した人間がいた。そして、その創造には宿主となるAZが必要だった」
 ウィステリアは最上階のケーキを自分の皿に取り、頼んでもいないジムの分も取り分け、ジムが視線を寄せたナイフをその横に並べた。
 「SAIがナノマシンてことは知ってる? それぐらいは、あの薄っぺらいカードのバレットから聞いているかな。簡単に言えばSAIは人工のウィルス。彼は新たなウィルスを創りその宿主である新たな人間を創った。そしてそのコードを人類が新たなステージへと向かう知恵の実りんごとして世界に贈ったんだよ。し、か、も。ご丁寧にその知恵を理解しやすく食べやすくするために焼きりんごにして。わかる?彼はたった一人で人類を甘いお菓子の虜にしちゃった。瞬く間に広まったろ? ああああ!! 何で、僕じゃなかったんだろう?! 育児休業してたから?」
 ウィステリアは皿に載せたタルト・タタンを銀のフォークで突き刺した。
「SAIと、そしてそのSAIのためのAZを創り出した技術がGATERSの始まりで、世界の新たなゲートは博士の副産物として開かれたんだ」
 焦げたりんごはデカイ口に消えた。
 世界を変えたGATERSを生み出しだのは、SAIとその宿主AZを創るための技術?それを可能にしたのが、天から降ったか地から湧いたかの出所不明な論文とそれを唯一理解したたった一人の人間? 不思議な部屋で聞くにしたって、御伽噺フェアリーテイルにもほどがあるんじゃないか。
 にわかには信じ難い話だと思うのに「何のために創り出した」ジムは自分でも気付かないうちに声を出していた。
「さあね。創りたかったから、じゃない? きっと退屈ヒマしてたんだよ。だってあの時『なかなか優秀じゃないか。予想より僅かだが早く基礎理論これが出て来たおかげで、もうしばらく退屈しなさそうだ。さて、君は何が聞きたい?』そう僕に言って彼独特の笑みを浮かべながら煙草に火をつけたもの」
 ウィステリアは誰かの声を真似たあと、フォークとナイフを皿に置き自分の口の両端を人差し指でぐいと持ち上げて独特な曲線を描いて笑って見せた。
「誰なんだ。そんな天才なら、さぞかし有名人だろう?」
「ただの天才じゃない。人とは一線を画する者の名が必ずしも知れ渡っているとは限らないだろ? 君らしくもない。光は光の中に、闇は闇の中に。紛れてしまえば、姿は見えない。見えないってことは何をしようが誰も気付かない。世界が彼を認識していないようにね」
 荒唐無稽な御伽噺の主人公は存在すら認識出来ない人間、人間(?)とは、やはりこの大口ならではのほら話か。だがこの変人が俺をここまでからかう理由も見当たらない。
「うーーーーーん。このお茶会での互いの歩み寄りによって、君とは少し距離を縮められたと思ったけれど、やっぱりその顔からはわからない。信用出来ない、とか思ってるわけ?」
 俺は1オングストローム(0.1nm)も歩み寄ってない。
 そしてお前を信用していないのは確かだ。
jabberwockyナンセンスな話じゃないんだから。どうして新興のこの会社、NeoGeneネオジーンが、短期間で大きくなれたと思う? あのレスターが、博士の研究施設(おもちゃ工場)として強力なスポンサーを募り莫大な資金を導入したからだよ。ヤーコンクスのベンヌ、知ってるよね? あそこに対抗する組織が必要だったのもあるだろうし、何より世界のトップに君臨したい国のために。何もこの不思議な世界に開いている穴は一つとは限らない。世界はね、意外に穴だらけだよ?」
「あんたは何でそんなことを知っている?そして何で俺にこんな話をするんだ」
「僕は博士がSAIを創る前から一緒だった。ずっと見てたんだ。何で話をするかって? ちょっとぉ、人の話聞いてる? 探してほしいって言ったでしょ。もうここにはいない、どこにもいなくなってしまった人を」
「どうして死んだんだ」
「それ、食べないの?」
 ウィステリアはジムの前に置かれたタルト・タタンを指差した。
「遠慮する」
「じゃ、僕が食べよう。美味しいのにねぇ。はい、あーん」

 ……銀のナイフはそこだ。
 
 目の前には焼きリンゴが刺さったフォークも差し出されている。
 
 料理してやれ。
 
 ジムの中で何かが語りかけてきた瞬間、変人はさも美味そうにパクリと菓子を食べた。
「食べず嫌いはいけないなぁ。いつかちゃんと君に餌付けしないとね。餌付けに成功しておかないと自分が食べられちゃうかもしれないもんね。あいつらみたいにさ。頭のデキは不味そうな連中だったけど、美味しかったのかなぁ」
 くるくるとフォークを回す変人はとても楽しそうにウフフと笑った。
 ジムはもう、煙草のことしか考えないことにした。煙草への飢餓感を持つことが、唯一気を確かに、ここからの帰還経路の道しるべであるかのように。
 今ならキノコの上のイモムシが抱えている水煙草でも構わない。
 誰でもいい。
 俺に煙草を寄越せ。
「ねぇ、君はぞっとした経験、ある? 背筋が凍るってやつ。そういう時って背後や周囲に何も居て欲しくないはずじゃない? 恐いから。そう思うのにやたらに気配を感じたりしない?」
「……」
「君には難しい話かなぁ。僕はね、あるんだ。ぞっとしたことが」
 ウィステリアはフォークをおもちゃにしながらジムを見つめていたが、ふふっと笑うと話を続けた。
「運び込まれた死体はどれもこれも損壊が激しくてぐちゃぐちゃだったよ。と言っても、爆殺で粉砕されてるわけでもなければ爆傷もなくて。だからまあ、検死する前に腕とか足とか首とか、大きなパーツはデータ照合しながらパズルが出来た。そんな何十人もの人間のパーツが運び込まれてさ。でも、僕がぞっとしたのはそんな肉塊を見た時じゃない。そのとき僕は探してたんだよね。人間ものが運び込まれる前の連絡で事故があったと聞いて。その日、その場に居たはずの人間を。パーツの中に彼の一部が混ざってないかせっせと人体パズルを組み立てた。そしてたった一つだけ、一人分の、組み立てる必要のない死体を見つけた時。他のと違って、引き裂かれず、叩き潰されず、食い荒らされた後もなく、ただ頭を銃でぐしゃぐしゃにされただけの普通に死んでいる遺体を見た時だよ。ぞっとしたのは」
 ウィステリアはそこで言葉を切ると静かにジムを見た。見つめられたジムは、初めて正面に座る男の顔をまじまじと眺めた。自分が映る瞳は深い森の緑と明るい新緑が混じるようなめずらしい色合いに見え、それが光の加減かどうかはわからなかった。痩身に酔狂な格好すがた、緩いウェーブのかかった金髪にチェシャネコさながらの口。年齢としは自分と然程変わらない、と言っても、ジムは自分の正確な年齢を知らなかったが、ように思う。
 違和感を感じる、そうジムは思った。不思議な部屋に招き入れ、人の脳を勝手にぶん回して現実世界から強引に変人世界へ放り込み、一人で好き勝手に騒いだかと思えば打って変わって静かな森の中へ引き込もうとする。そんな変人ペースに飲まれているために感じる違和感かとも思ったが、ジムは納得していなかった。
「人類の英知の結晶のような脳は見るも無残に銃で粉砕されてたってわけ。なんとも拍子抜けで皮肉な結果でしょ。人間よりもよっぽど神に近い男を殺したのが、得体の知れない何かでも、魔法の弾丸でもなく、ただの鉛の弾丸たまだなんて」
「得たいの知れない何か?」
 ジムは頭の奥で、記憶が展開され始めるのを感じた。
「そう。あの時何が起きたのか、それはいまだにわかってない。事件発生時の生存者0、第1突入部隊生存者0、第2部隊が中に入った時、そこにはもう人間だったパーツと、一揃いの死体が一つしか残って無かった。あれだけの惨状が起きたのに、誰も何も状況を把握出来ず、目撃者もいなければ監視カメラの映像も音声も何もかもが空っぽブランク。付近の調査捜索も勿論行われたけど、それらしいものは何も引っ掛からなかった。もともと人里離れた地域だったしね。だから事件の報告者は科学的調査結果を記載した上で、原因の特定、結論には誰も至る事ができず、憶測と推論の中、ビーストだの、得体の知れない何かスナークが暴れたようだとか悪魔や怪物の仕業にしか思えないとか、そんなことばかりの報告書を出してきてた」
「あんたはどう思ってるんだ」
「僕? 僕も得体の知れない何かスナーク……そうだなぁ、怒り狂った何かバンダースナッチとか、見てはいけない何かブージャムがいたと思ってる」
「意外だな」
「そお? そう思うんならもっと意外そうな顔してごらんよ。ほらほら」
「触るな」
「いったーい!! ひどいなぁ、もう!!」
 ジムは顔に向かった伸びてきたウィステリアの手を軽くはたいて叩き落とした。
「根拠は? あんたが、根拠もなしにドラゴンだなんだと言うようには思えない」
 涙目で手の甲をさすっていたウィステリアはまた瞬時に表情を変えた。
「誉めてるね? 僕のこと」
「誉めてない」
 ジムはロンをうまく扱うブライアンの忠告を思い出していた。こういう時は相手が望む言葉を口に出せば言いだけだと。己の納得などどこかに置いておいて、ただ単語を音にして声に出せばいいだけだと。
 ……。
 任務しごとでもないのに、やってられるか。

 ブライアンの忠告より己の納得を優先したことに、ジムはこの後しばらく後悔した。チェシャネコの茶化した話に適当な相槌か気のない返事で相手をしていたジムだったが、ピタリとそのデカイ口が閉じられようやく本題に戻るのかと思いきや「それにしても、ドラゴンなんて、ジム、君は随分ロマンチストだね? ほんと、可愛いねえ」とにんまりと笑い目を細めて言い放った台詞に、ジムは後悔のとどめを刺された。
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