雪原脳花

帽子屋

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第一楽章

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 国境を越えたシャルヴァーの研究所ではバレットが運び込まれたエリックとフレッドを確認してスミスに報告しているところだった。
「【E】はセンターへの搬送中に機能が完全停止する可能性があります。さらに事態は悪く、おそらく【E】はアポトーシス機能に異常が発生している。このままではSAIが情報を保持出来ず、脳死と同時に情報が消滅する可能性があります」
「どういうことだ」
「通常、宿主が死んでもSAIは最終形態としてアポトーシスを繰り返し、脳内に蓄え保持したデータメモリとともにある程度の時間生きながらえる事が出来ます。しかし、今回【E】はその機能が働かない可能性が考えられます。つまり、宿主の死とともにSAIも死に保持するメモリも消滅するということです」
「なんだと? 大佐はお怒りだ。この上SAIと情報まで失っては……方法はないのか」


 俺たちの任務の至上命題は


「培養ポッドに直接SAIを入れ、SAIに記憶野を保護させながらデータを外部記憶に移行。データ移行後は脳から遊離させます。今、宿主から脳を取り出さなければ、宿主の死とともにSAIも情報も失われます」


 情報が全てで
 

「かまわん。引きずり出せ。このAZを失っても代わりは来る。SAIと情報だけは取り出せ」
 生命維持を行っていた医療スタッフは命令が下ると束の間ぼんやりと目を開いたエリックの頭部にまるで道を塞いで横たわる倒木を処理するように医療用のこぎりをあてた。目を閉じることすら出来ず頭蓋を開かれた【E】からは叫び声も上がらなかった。


 最悪の場合、脳を持ち帰る


 生きたまま頭蓋を開かれた【E】から脳がずるりと引き出された。培養ポッドに沈められた脳の表面に、雪の結晶が描く雪花のような光がに鈍く浮かんだ。その光を隣に寝かされていたフレッドは目を閉じることなくずっと凝視していた。
「どうした」
「【F】が見ています」
「気にするな。見ているかどうかもわからん。後で問題があれば記憶を消せばいい。簡単な作業だ」
 手を止めたスタッフはバレットに「そうですね」と言って笑った。


 それが至上命令オーダー




 今回の件はベンヌ会長別宅に招かれた数名の著名人を狙った爆破テロということで表の世界には決着がついた。ヤーコンクスとしても裏口のやり取りをおおっぴらに表の世界に公表するわけにもいかず、またそれを良しとしない特権階級たちによって巧妙に処理されそれほど取りざたはされなかったが、裏世界に波及したニュースはよほどにぎやかなものだった。何せ裏世界の権力者数名が一夜にしていなくなったわけだから蜂の巣をつついた騒ぎだった。裏社会の権力闘争、ヤーコンクスの新たなバランス争い、ベンヌの新会長の派閥争い、名だたる世界の悪人たちを一掃するための正義の戦だとか、表裏世界の戦争の幕開けなどと噂が噂を呼び、しばらく話題に事欠かないほど裏世界でもそこへ通じる諜報機関の世界でも話は溢れかえったがそのどこにも、電子タブロイドの片隅にさえ闇の王の名も姿も出てくることはなかった。その場に来ていたことさえも最初からなかったことのように消えてしまっていた。そしてジムとブライアンには、待機と言う名の暇が言い渡されていた。ジムはバーで安酒を注文すると煙草を吸いながら、ぼんやりとそこにあるテレビに流れるニュースを見て過ごしていた。


 センターの研究員がバレットを呼び出したときにはすでにバイタルは完全なフラットの状態だった。一度止まったフレッドの心臓は、ウィリアムズが必死の蘇生を試みたものの二度と動くことはなかった。
「死んだのなら仕方が無い。宿主ではなく、SAIが生きていればいい。【E】から遊離させる【5】の新しい宿主の返品リストも来ている。【F】はSAI【6】の回収後、解剖に回せ。貴重なサンプルだ」
 バレットの頬をウィリアムズが激しく平手打ちしバレットは床に転がった。


 エリックから取り出された脳髄は培養液の中からこちらをうかがっているようだった。正確に言えば脳髄と共生しているSAI【5】が人間たちの様子を見ているようだった。時折、雪の結晶を思わせるフラクタルな模様を青く光らせ浮かび上がらせていた。
「SAIそのものは目視できないが、活動が活発化すると発光する特性がある。こうして連鎖状のコロニーを形成しているときは見えるんだ」
 バレットの補佐として昇格を言い渡され同僚に差をつけたと上機嫌だった研究員が、廊下で出会った新人の研究員にSAIを紹介していた。
 新しく配属されたらしい白衣を着た美人は芸術作品として作られたアンドロイドにも似て中性的で長く伸びた髪が美しく好みだと思った。何かと自然だの共存だの人間性だのとうるさく昇進の邪魔だった同僚のウィリアムズなんかより部下につけるならよほどいい。バレットを殴って降格させられたウィリアムズを蔑んで使ってやるのもいいが。
「きれい。雪の結晶みたい」
 研究員のどす黒い感情などお構いなしに、新人はSAIの発光を眺めていた。
「意外だな。ここへ来るなら君、相当優秀なんだろう。そんな君でも物質の反応に過ぎない現象を自然の現象になぞらえたり、美しいだなんて形容したりするんだな」
「人間だったらおかしくない反応でしょう」
 美しく笑う顔に引き込まれて、男はおもねるように言葉を重ねた。
「そうだね。我々は自我や美意識をもつ人間だからね。SAIこれとは違う。SAIに意識はないんだ。あくまで脳の補助AIだから。こいつだって優秀なAIだが宿主の脳が死ねばそれでおしまい。次の宿主が来たらそいつとまた共生を始めAZとして成長する」
「SAIは意識をもたない?」
「変化、成長はしても進化はしない。SAIは生命ではなくただのAIだよ。プログラムの集合でその入れ物に無機物の代わりに有機物を使っているに過ぎない。その辺にあるコンピューターと理論上は代わりがないよ。脳と言うハードウェアに入れ、ネットの海に泳がす代わりに、人の世に放っているだけ」
「いつだってその時代の常識を凌駕して生き延びてきたのが生命なんだけどね」
「なに?」
「なんでもない」
 男の問いには答えず「またね」と言って培養ポッドに手を触れると新人は先に出口に向かって歩き始めた。二人がドアを出ると部屋の照明は消えSAIのフラクタルな発光が闇の中に浮かんだ。
「どこへ行くんだい? 良かったら僕と食事でも……」
「外へ。聴こえたの。呼ばれているのが」
 新人は待っていたエレベーターに乗り込む。
「外? ちょ、待って。僕、外に行くなら上着を……そういえば君、名前は? 僕はさっき言ったかもしれないけど……」
「名前はまだないの」
 そういって新人は笑い、エレベーターのドアは閉ざされた。




「おいで双子たち。契約の履行だ。迎えに来たよ」

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