雪原脳花

帽子屋

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間奏曲

lamentazione(20)

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 温かい子供の小さな手に顎を掬われて、もう頭を振り乱すことはしていなかったものの、アンにはカイと呼ばれた男の子の笑顔も問いかけも、呆然と眺めることしかできなかった。恐怖すら感じないほど思考の一切は停止し、頭の中に霧が立ちこめたようにぼんやりと、二つの幼い声のやりとりを遠くに聴く。
「僕たちに役割があるように彼には彼の役割があります」
『……やく、わり』
「あるかな?あんな出来損ないに?スランガーと同じかそれ以下かもしれないのに?」
「スランガーとは違い、彼には正式な名前がありますから」
『な……まえ』
「ふうん。じゃ、このおねえさんにも名前や役がある?」
「さて、どうでしょう?」
「おねえさん、名前、教えて」
『なまえ……』
「……もう役目を、終えたのかもしれませんよ」
「ほら、早く名前を言って。言わないと……もうおしまい、食べられちゃうよ?」
『わ、たしの、なまえは……』
 どこまでもあどけない笑顔を浮かべる巻き毛の天使は、“ななしはだあれ?” “ほら、モンスターがやってきた” “ななしを食べにやってきた” “あなたの名前はなあに?” そう楽しそうに歌を口ずさみながら呆けたアンに問いかける。スニーカーの上からは、やれやれといった小さな溜息がもれたが、その足は、人形を地面に叩き付けたあと微動だにしなくなった目の前の女の子へと真っ直ぐに向かいはじめた。
 白髪にしては光沢のある銀髪の少年は、ベルと呼ばれた女の子よりほんの少しだけ背が高く見える。彼女の前に立つと少年は肩膝を折り、動かなくなった人形を一瞥した。
「ベル、ちゃんと仕留められてます。えらかったですね、さあ帰りましょう」
 ベルの頭を柔らかく撫でると、人形の首をにぎったままの手にそっと自分の手を重ね、固く握りこまれていたその指をほどき、ゆっくりと手を引いて立ち上がらせる。開いた手の下にあった人形の首は、握りつぶされたように変形していた。
「異常はありませんか? 怪我をするようなきみではありませんが、なにせ女の子なのですから気を付けないと」
 銀髪の少年は優しく声をかけながら、頭から、顔、首、手足、胴と背中を確認すると「問題ありませんね」と言って、ベルを抱きしめあやすように背中をさする。そしておもむろに左手を左耳にあてがうと、小さく宙に向かって呟き始めた。
「僕です。今、ベルと合流しました。最後のラットも滞りなく。ええ、グレッグから聞いた通りです。君たちでは遅かったでしょう。なにより彼ら、大人たちの理解と判断は遅すぎるのです。僕たちには聴こえますから、それだけで十分でしょう。すぐにこちらへ来ていただけますか。撤収時間を予定よりオーバーしています」
 その姿かたち、子供らしい高い音調とは裏腹の抑揚のない、ともすれば慇懃に過ぎる不釣合いな口調で「当然でしょう。それでは」と、ひとつ区切りをつけようとしたところで、少年は初めて振り返りちらりとアンを見た。
「ああ、そうでした。子猿が一匹ここに。大変怯えていますよ、彼らの考慮及び対処不足で可哀想に。もう動けないでしょうから、あとはご随意に」
 アンは白昼夢を見ているような現実感の乏しい中で、既に放棄していた思考、身体感覚の全てが自分を見るその視線によって凍り始めた気がした。清浄な水によって作り出された氷瀑の、透明な至純の青い瞳は冷然たる輝きを放っているようにも見え、冷たく鋭い氷の中へアンは自身が閉ざされる最後の瞬間、「なんて綺麗なの」と置かれている状況とは程遠い、嘆美の声をもらし、意識を手放した。かすれたような微かな呟きに、その両の眼は流麗に弧を描き「小猿にしては上出来ですね」およそ子供には似つかわしくないぞっとするほどの妖美な微笑みを浮かべた。
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