雪原脳花

帽子屋

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間奏曲

lamentazione(27)

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 サンドイッチ片手に備えつきのサーバーからコーヒーを注ぐ中年の生物教師は、入口からまっすぐに歩いてきた赤毛の見慣れない小柄な若い女に声を掛けられ、その手を止めた。乾いたサンドイッチを咀嚼しながら、そう言えば今学期が始まるとき着任したスタッフの1人だったなと思い当たった。だが何の担当教科だったか、それとも事務のスタッフだったか思い出せない。
「すみません。グレン・ケイヴィスの担任の方ですね?ガイダンスカウンセラーのキャンベルです」
 ああ、進路相談員かと男はちらりと彼女を品定めし、数ヶ月前に挨拶した姿をぼんやりと思い出した。こんな若い女だったかと声には出さずに口の中のパンと一緒に飲み込むと、止めていた動作を再開し自分のマグにたっぷりとコーヒーを注いだ。この底辺校に進路相談員、ましてやガイダンスカウンセラーなどと呼べるようなポジションはいままで存在しなかった。現にこの目の前に立つ女の前任者は、カウンセラーどころか相談員とも呼べるような女性でもなく、ワンストップ・センターの受付がひがな一日座っているようなものだった。
 波風立たせることなくとりあえず定年まで教職を全うできればよし、まあ最終的に教頭にでもなれれば御の字かと考えていた男の人生に不穏な風を吹き込みはじめたゲーターズの登場は、波風どころかたちどころにそれは暴風へと急速に変化していった。
 この底辺校にガイダンスカウンセラー、担当教科に専門家の導入。5年に1度の教員免許の更新は3年に1度へ変更され、その更新で求められるレベルも毎回引き上げられている。全てはゲーターズの為に取り計られているようなものだ。生まれながらにして優秀な資質、素質を持つ子供たちを教育する非ゲーターズの大人は、彼らの才能を潰すような人間であってはならない。特にこの学校の地区のように都市開発に伴い、古い土地が排除され新興エリアが建設されはじめた場所は、ゲーターズに最も縁遠かった人間たちと、ゲーターズ推進派の人間たちが入り乱れ、双方を受け入れる学校はカオスと化しているといっても良かった。
 男はゲーターズが生まれる前の、ぼんやりとしていれば一日が過ぎるような平穏な日々をこぼれそうなマグに溜息交じりに投影した。絶対に、この若いガイダンスカウンセラーにはこちらの気持ちなどわかりはしないだろうと、鼻白みながらもこぼさないようにと注意を払いながら「あなたも飲みます?」とサーバーを差し出した。男の反応を待っていた彼女は小さく首を横に振った。
『不味いコーヒーは飲めませんって顔だな』男はますます白けたがそんなことはおくびにも出さず、軽く頷きながら無言でサーバーを戻すと奥のソファにカウンセラーを促し向かった。
「で、なにか?確かに僕は担任だけど」
 ソファに腰を落とすと、横に立ったままのカウンセラーに上目遣いで尋ねる。座れば?と、目線だけで勧めてはみたが、コーヒーと同様に彼女は「すぐに用は済みますので」と断わってきた。生物教師はやはり軽く頷きながら、彼女の顔から胸、それからスカートからのぞく膝まで視線を下げ、最終的にコーヒーに映った自分の顔に目を落とした。お高く止まっている若いカウンセラーがいったいなんの用だか。欲求に任せたありもしない夜の誘いをぼんやりと想像しながら、男はコーヒーをすすった。
「御用は?」
「彼に、グレン・ケイヴィスに進路相談に来るよう伝えて頂けますか。あなたのクラスでは彼だけが来ていません」
「進路?グレン・ケイヴィス?あー…彼は数年ぶりに学校に戻ってきて2ヶ月も経っていない」
 なんだそんなことか、男は気のない声を返した。声音と同じく、顔もはっきりと思い出せないような気にも留めていない生徒のことなどこれっぽっちも興味がなかった。よほど、このストッキングに隠された膝頭の奥が気になる。
「ええ。ですが、進路相談の時期です。大学進学を考えるなら遅すぎるくらいです」
 大学進学だと?このお嬢さんはなにを言っているんだ。男はコーヒーどころか、飲み込んだサンドイッチまでふきだしそうになった。
「大学?!」
「何かおかしいですか?」
「あなたは彼の経歴、過去の情報をまだ見ていないのかな?彼はもう何年も学校に通っていないし、通っていたときもまともに喋れなかったと。喋れないどころか落ち着いて授業を受けることも出来ず、オルタナティブクラスへのコース変更を親に幾度も打診したが、一度も返事が返ってこないまま学校に来なくなった。大学なんて有り得ないでしょう?」
「ええ、実際に彼を知る古い方にもそう聞きました。ですが、この1ヶ月あまりの彼はその頃の彼とは別人のようだとも聞きました」
 確かに授業中、席にはじっと座っていられるようだし、無駄口を叩いたり授業妨害しないだけでも他の連中よりマシかもしれないが、かといって熱心に授業に参加しているわけでもない。テストの点も平均的といったところだ。つまり、大学に進学できるようなレベルでは到底ない。いてもいなくても同じような空気のような存在が、グレン・ケイヴィスの印象だった。だからクラスの人間だと言われても顔がはっきりと思い出せないのはしょうがない。そもそも、名前をフルネームで聞いたのも、校長から彼をクラスに入れることにしたと聞いたあの時以来の気がする。すっかり存在を忘れていたことを気取られないうちに、男は話を切り上げることにした。
「そうかもしれませんがね。まあ、伝えておきますよ」
「では、今日の午後4時に」
 さてグレン・ケイヴィスがどんな顔の生徒だったかと、男は踵を返した細身の後ろ姿を舐めるように眺めながら見送った。
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