神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第3章 帰らぬ善者が残したものは

5話 嘆くもの(三科 尚頼)・案ずるもの(岩端 桃矢)

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 ストレッチャーの上で横になる女性の手を、傍で佇む男がそっと握る。温かい。今にも握り返してきそうだった。彼女の指を見つめると、だいぶ荒れている。大事な子を育てるために苦手だった家事を頑張った彼女の、努力の証である。

 男は生気を失ったような目をしていた。部屋の外は人の声や機械の音で騒がしいが、彼の耳には届かない。目の前の光景が、その場にいることが夢や幻のようだと、そう思わずにはいられなかった。

「ヨリ!」

 救急外来に大きな声を上げて男が入ってくる。おそらくここまで走ってきたのだろう。激しく息を切らせながら、誰かを探すように首を動かす。

「豊さん、こっちです」
「ああ、タッちゃん。連絡あんがとよ」
「本当はダメなんですが、今のナオさんには豊さんが必要だと思ったので」
「ヨリは?」

 タっちゃんと呼ばれたスーツ姿の男は、悲痛な表情のまま沈黙する。

「タッちゃん?」

 彼を、処置室で妻に寄り添う男の高校時代から親友である稲葉 豊イナバ ユタカを呼んだのは、他でもないこの角刈りの男、嵯峨 達良サガ タツヨシ刑事である。本来なら、事件の被害者のことを親族以外に知らせてはならない。だが、嵯峨は居ても立っても居られなかった。

 男にいくら声をかけても反応は返ってこなかった。仲が良かったはずの嵯峨の声でさえも、彼には届かなかった。そうなっても無理はない。今は奥さんと2人だけにしてやろう。上司から、処置室を出るようにという指示が飛んだ。何かあってもすぐ分かるように、入口には2名の警察官を待機させている。

「奥さんがあんなことになって、現実逃避したい気持ちはわかるんです。でも……」

 嵯峨は小さな声で豊にあることを告げる。それを聞いて、豊の顔がどんどん青ざめていった。

「ナオさんはご両親がもう亡くなっていますし、他にナオさんに声が届きそうなのが豊さんしか浮かばなくて……」

 肩を振わせながら、嵯峨は言葉を続ける。

「このまま休ませてあげた方がいいのかもしれないんですけど……でも俺……」
「……分かった」

 嵯峨に案内され、豊は処置室へと向かう。入口に立つ2人に嵯峨が事情を説明すると、彼らはゆっくりと扉を開けた。中では煌々と輝く照明の下で、横になっている女性の手を握ったまま佇む男の姿があった。

「ヨリ!」

 豊があだ名を叫んでも、男は振り向かない。いつもとは違う彼の背中を見て、豊は険しい表情で彼に近づくと、肩を押さえて無理やり振り返らせる。ようやく見えた男の表情はまるで死人のようであった。

「何やってんだオメェ……こんなところで、止まってんじゃねぇよ!」

 豊は歯を食いしばり彼の頬に平手打ちをする。バチン!っという異音を聞き、部屋の外にいた警察官たちが豊を止めに入ろうとする。しかし、2人は襟元を掴まれ部屋の中には入れなかった。止めたのは後ろにいた嵯峨だった。

 強い痛みを感じた頬を押さえる男の目に微かに光が戻っていく。

「ユタ……」
「いつまでそうしてやがる。現実を見ろ! まだ莉空ちゃんが見つかってないんだろ!?」
「りく……」

 頬に感じる熱が、友人の言葉が、男を現実へと引き戻していく。目の前で横になる女性が、今朝笑顔で見送ってくれた妻がこの世を去ったという情報が、男の頭の中に事実として取り込まれていく。

「……あぁ…あああぁあぁぁぁ……」

 深い深い悲しみが男を襲った。嗚咽を漏らしながら、膝から崩れ落ちる。まだ生きていた時の温もりが残る妻の手を握り締めながら。

 そばに立つ豊は何も言わず、泣き叫ぶ彼を見守る。彼とは2人だけで酒を交わすことも多かった。料理が苦手なのに彼女が弁当を作ってくれたといって嬉しそうに話してくれた。子供が生まれた時は泣いて喜んでいた。彼がどれだけ妻を愛し、家族を大事にしていたかを知る豊は唇を噛み締める。目の前で悲しむ親友にしてやれるのは、未だ行方がわかっていない彼の一人娘のためにも現実を受け入れされることしかない。それがただただ悔しかった。

 初めて聞く仲間の悲痛な叫びに、中へ入ろうとした2人の警察官は帽子を深く被り自分の表情を隠す。
 彼は、三科 尚頼ミシナ タカヨリ刑事は優秀な男だった。仲間たちにも慕われ、彼のようになりたいという者も少なくない。病室から漏れる声に、廊下にいた警察関係者たちは静まり返る。何かに耐えるような目で天井を見上げ歯を食いしばるもの……目を閉じたまま拳を握り締めるもの……彼らの考えていることは同じだった。

——犯人を絶対に捕まえてやる。



 陽が落ち夜が訪れる。空は薄ら雲に覆われて星を見ることはできず、月の光が微かに漏れているだけであった。

 事件現場では照明が設置され、警察官たちが今も現場の確認を行なっていた。事件の情報を聞きつけたマスコミが、規制線のすぐそばでトップニュースとしてこの事件を報道している。

「これじゃあ近づけませんよ……」
森永モリナガ、少し落ち着け」

 遠目から現場とそこに集まるマスコミの群れを確認し、長い黒髪を団子状にまとめているスーツ姿の女性は焦っていた。その横で、顎の無精髭を指で触る男性が彼女を諌める。しかし彼も険しい表情で現場を見つめていた。

「ですが、隊長!?」
「気持ちはわかるが、あれだけ人が集まっていては調査機関ヴェストガイン
も作業ができん。今は待つしか」
「こんな時に限って朝比奈さんは連絡取れないっていうし、もぉぉぉ!」

  法執行機関キュージスト日本支部第2捜査班東日本担当部隊長、岩端 桃矢イワハナ トウヤは隣で頭を掻きむしる部下、森永かなえを見て呆れながらも、彼女同様に今の状況を快く思ってはいなかった。

 世界中で確認された光の柱の発生。その調査が協会ネフロラから命じられたのは突然のことだった。しかも調査機関ヴェストガイン法執行機関キュージスト合同で……との指示。それは危険かつ凶悪な魔法犯罪が発生した時にしか出されることはない。

「ここ以外に被害者が出た現場は?」
「ないですね。どこも人が集まってて作業にならないそうですけど」
「これでは朝比奈が来ても……」
「隊長……」

 突然耳に吹きかかる吐息に桃矢は体を震わせる。声のした方から咄嗟に距離を取ると、そこにいたのは同じ部隊の辻原 武文ツジハラ タケフミ捜査員だった。青縁の丸眼鏡の位置を指で直しながら、彼の三白眼はじっと桃矢のことを見つめている。

「辻原、なんだ急に……」
「いえ……あまり騒がしくするのは良くないと思いまして……」
「何? それ、あたしに言ってんの?」
「へぇ……自覚はあったんだな……」

 蔑むような目を向ける武文に、かなえは今にも襲い掛かりそうな形相で彼を睨みつける。彼らの背後に竜と虎を思い浮かべた桃矢だったが、何も言わず2人の後頭部を引っ叩く。

「痛っ!」
「なぜ私まで……」
「現場を前にして睨み合いしてる時点でどっちも悪い」

 叩かれたところを押さえながら、2人は目を逸らす。かなえは能力もあり積極的だが経験不足が否めず、武文は経験豊富だが心配性で石橋を叩いて渡るタイプ。相性が悪いらしく現場ではこれが日常茶飯事である。別の班にして離せばいいという意見もあるが、 2人を組ませて互いの短所を補えれば……そう桃矢が進言したことで2人まとめて彼の直下に配属されたのである。

「そんなことより、調査機関ヴェストガインからの応援はまだか? 遅れる時は必ず連絡が来るはずだが」
「それなんですが……」

 言いづらそうにしている武文を見て、桃矢は首を傾げる。いつもと違う雰囲気の先輩に、目を逸らしていたかなえも思わず彼の方へと向き直す。

「どうやら非番の第1(捜査班)が、別件で動き出したようで……」
「このタイミングで別の事件か……まさか、第1の方に連れてかれたのか?」
「いいえ……私も知り合いからさっき情報が届いたばかりで確認が済んでいないのです……第1の知り合いともまだ連絡が繋がらなくて……」
「辻原……要するに何なんだ?」
「第1が朝比奈 護アサヒナ マモル 調査機関ヴェストガイン日本支部長を、今回の光の柱発生に伴う事件の容疑者として捜索し始めたと……それに伴って、調査機関ヴェストガイン日本支部は動けない状態と……」
「なんだと……?」

 護のことは桃矢も知っている。同じ現場で仕事をしたこともあり、罪を犯すような男には思えなかった。

「何かの間違いじゃないのか?」
「そう思って情報を集めているんですが、朝比奈支部長が今朝から宮崎の現場の方へ向かったこと以外はわからなくて……」
「隊長、どうします?」
「ここにいても、人が邪魔で調べられん。調査機関ヴェストガインの事務所に行く。連中が来れないなら発光結晶ルエグナを借りる必要もあるだろう」
「「了解」」

 踵を返し、3人はその場を後にする。数多くの事件を経験してきた桃矢だったが、これまで感じたことのない胸騒ぎを覚える。

(内部犯の犯行だとしたら、前代未聞だぞ……)

 その予感が当たらないことを願いながら、桃矢は車に乗り込み目的の場所へと急ぐ。しかし、この時の彼はまだ知らない。この事件の被害者が三科の妻だけではなかったことを。そして、事件が残す大きな傷跡を。


 
******

『ここよ』

 森の中を案内され、護たちがたどり着いたのはツリーハウスが立ち並ぶ集落だった。下には見たことのない植物の畑が並び、数人が根本をチェックしている。

「すごい……ここが貴女たちの?」
『ええ。ここが私たちフォウセの集落よ』
レティス姉さんクォブァウ僕は レタウファンスィン父さんたちに  モルニフウルク伝えてくる!』

 護と灯真をここに連れてきた女性の名はアーネス・リューリン。この地に住まうフォウセという種族で、背丈は小さいがこれでも20歳の成人女性だという。
 アーネスのことを『レティス姉さん』と呼んだ少年……もとい彼女の弟だという15歳の青年は、集落の奥へと走っていった。他の仲間たちもそれに続く。護が言葉を理解できるのは糸で繋がっているアーネスのだけ。彼女の仲間たちの話は、時々分かる単語があるだけで内容を理解できてはいない。何となくだが誰かを呼びに行ったように思えた。

 アーネスと共にやってきた護や灯真を見て、集落の人々は一斉に階段を駆け上がりツリーハウスの中へと隠れていく。

「……皆さんを困らせてしまったみたいだね……申し訳ない」
『謝らなくていいわ、仕方ないのよ。ここにフォウセ以外の種族が来ること、滅多にないんだもの。ひとまず父さんに会ってもらうわ』
「お父さんに……ですか?」
『ええ、詳しい事情を聞くのはそれからにしましょう』

******
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