神の業(わざ)を背負うもの

ノイカ・G

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第3章 帰らぬ善者が残したものは

4話 惑うもの 朝比奈 護

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「さっきの子は!?」

 護がまず気にしたのは、先を流れていた少年のことだった。拡張探知アンペクスドで少年の位置を探る。すぐ後ろに丸まっている人らしき姿を捉え護が振り返ると、そこにいたのは間違いなくあの少年だった。
 肩の動きで彼が呼吸をしていることを確認し安堵するが、同時に自分がいる場所に驚き何度も周囲を見回す。今彼が踏んでいる石畳も、不気味に佇む杖やそれを固定している鎖も、広げた魔力の膜がその姿を捉えていたのだ。

 鉱石の類は発光結晶ルエグナなど特別な例を除いて魔力抵抗を持たず、拡張探知アンペクスドでその姿を確認することはできない。

「魔法で作られたものなのか……」

 少年の前で片膝を突きながら、護はピカピカに磨かれた足下の石を指でなぞる。濃い灰色でムラなく綺麗に塗りつぶされているそれは傷ひとつなく、鏡ほどではないが護の姿や空に浮かぶ雲を歪むことなく映している。

「うん……」

 目を細めながら、少年はゆっくりと体を起こす。肌に触れる冷たい石の感触に驚きハッとすると、すぐに護のことにも気付き体を引きずりながら距離を置く。しかし、彼の警戒心はすぐに別のものへの興味へと切り替わる。

 伸びた枝や葉に遮られることなく頭上に広がる青い空、地面に敷き詰められた綺麗な石畳、木々の配置も明らかに先ほどまでいた場所とは違う。周囲を見渡した少年はそのことに気付き何故か嬉しそうな顔を見せていた。

「大丈夫かい? 何処か痛いところとかないかい?」
「えっ……大丈夫……です」

 再び警戒し始める少年。俯く彼との間に距離を感じた護の脳裏に、妻から言われたことが浮かび上がる。


『まずは自分から自己紹介よ。相手との距離を縮めるためにね』


 自分から名乗る習慣のなかった護は、耳にタコができるほど言われてきた。わかってるわかってると心の中で囁きながら優しい笑みを浮かべる。

「私は朝比奈 護アサヒナ マモルといいます。もしよければ君の名前を教えてもらってもいいかな?」
黒木クロキ……灯真トウマ……」
「灯真君だね。よろし——」

 護の顔が急に引き締まり、それまで少年を見ていた目が彼の後ろにある茂みの方を向く。
 数秒置きに広げていた拡張探知アンペクスドの膜に何かが触れた。周囲に生える植物ではない。明らかに意志を持って動いている何かが。

(こっちを見てるな……人?……小さいな……)

 護の膜が捉えたのは5人の人影。周りの木の高さから考えると、身長は120センチほどだろうか。散開し、護たちの様子を伺っているのがわかる。警戒はしているが敵意はない。護の勘はそう告げている。

(苦手な展開だ……)

 見知らぬ場所に正体不明の相手……どう動くべきか判断に迷っていた護だったが、突然魔力の膜で捉えていた相手の姿が僅かに歪んで見えた。護はそれを緊張から来るものだと考えた。

 拡張探知アンペクスドで確認した像をはっきり見るには、使用者の力量が関わってくる。集中力が鈍れば同じような見え方をすることを護は知っていた。

 しかし、最初はほんの少し手ブレした写真のようだった相手の姿は急激に歪みを増し、それが相手の行動によるものだと察した時にはもう遅かった。
 5つあったはずの人の姿が完全に消えた。それだけではない。周辺の植物や足元の石畳、灯真の姿も、拡張探知アンペクスドで確認できなくなったのだ。正確にいえば、そこに何かが存在するだろうということはわかる。しかし、地上から激しく波打つ海の中を見ているかのようで、目視でも確認できている灯真はまだしも、茂みの中は人なのか動物なのか植物なのか全く区別がつかない。

 先に動くべきだった……そう後悔しながら、護は茂みに向かって走り出す。相手を目視で確認できれば制圧できる。倒すのではなく、捕まえて情報を吐かせればいい。昔の彼であれば、真っ先にそうしたはずだった。妻の勧めで調査機関ヴェストガインの仕事に就き、こういった場面に遭遇しない、戦わない生活に身を置いたことが仇となった。

ピシャーン!

 耳の奥まで響く甲高い音が鳴り響くと共に、護の足元から全身を痺れさせる何かが通った。

(何が……起こった……)

 彼の姿を目で追っていた灯真は見ていた。護の足下から発生した雷が、護の体を貫通して空に伸びたのを。
 
 体に力が入らず、護は前のめりに地面に倒れ込む。意識はあるものの、手足は小刻みに震えるだけで動かない。魔力の操作もうまくいかず、拡張探知アンペクスドで相手の動きを探ることができない。

 護の動きが止まったことを確認すると、ガサガサと茂みの中から音が聞こえる。灯真は必死の思いで立ち上がり、辿々しい足運びで護とは逆方向に走り出す。この場から離れたい。灯真の頭の中にはそれしかなかった。自分が何を恐れているのかも理解できないまま、護から離れ石畳の外へ、森の中へという思いだけで体を動かしていた。

「うわっ!」

 何かに躓き、灯真は顔から硬い石畳に叩きつけられる。右足に感じる正体不明の冷たい感触。一番痛みが強い鼻を手で押さえながら、灯真は恐る恐る自分の右足に触れたモノの正体を確認する。そこにあったのは、敷かれた石と同じ色と光沢を放つ蔓であった。石畳から生えているように見えるそれは、彼の右足にグルグルと巻き付いている。必死に足を引き抜こうと灯真が踠いていると、新たな蔓が石畳から生えて彼の両手を絡めとる。締め付ける力は決して強くはない。だが、生き物のように動いていた蔓は、灯真の手に巻きつくと石のように固まって動かなくなった。

エヴォムォーシナ動くな!」

 そういって茂みの中から現れたのは、灯真と対して変わらない背丈の少女。さらに周囲から4人の少年が姿を見せる。見慣れない緑色の服は、森の中で隠れるためのものなのだろうか。ところどころ茶色い線の模様が入っており、タートルネックのような長い襟元で口と鼻を覆い隠している。
 彼らは短い槍のようなものを灯真と護に向け一定の距離を保ったままじっとしている。だが、護は彼らから敵意は感じず、どちらかといえば灯真のように怯えているような印象を受けた。

アトナールお前たち インナォウ デオーディ何をしたァ? インナァグ何が セポルプェド目的で ロドォン ディセウァロドを使ったク!?」

(ヴィルデム語……?)

 護は彼らの言ったことを全て理解できたわけではない。だが、いくつかの単語が魔法使いだけに伝わる『ヴィルデム語』と酷似していた。

「……ティワ……」

 待ってくれ……そう言いたいのだが、魔法使いである護でも「待つ」という単語の「ティワ」を頭の中から絞り出すのがやっとであった。単語から文法まで熟知しているのは、言い伝えを解読する研究機関アルヘスクの職員くらいなもの。尤も彼らの喋った言葉がヴィルデム語とも限らないので、それは賭けに近いものだった。

レティス姉さん……クティオールこいつら ニユノォド オーディァどうするク?」
インナォウ何を デオーディリゥテ コアナ何をしてたのかン ミルフノク ニアナラ確かめないと ……」

 
 少女が1人、身動きの取れない護に近づく。口元は服に覆われて見えないが、杏色の短い髪と琥珀色の大きな目をした少女だった。彼女のことをレティス姉さんと呼んでいた少年が後ろから駆け寄り持っていた槍の先を護の喉元に近づける。
 
(敵じゃないとわかって欲しいけど……どう伝えれば……)

 活性ヴァナティシオを用いても、未だ護は体の自由を取り戻せない。喉に触れる冷たい金属の刃。頭を動かして刃を喉から離そうにも、横を向く護の後頭部には少年の脚が当たっている。逃げようとしたら一瞬で喉を裂く。そう思い知らせるように。

 少女が護の目の前に立つと、右の人差し指を護の額に向けた。すると、彼女が手首につけているブレスレットの石が青く光を放ち、指先から一本の糸が護の額に向かって伸びる。

『レルト オウラム ヤウォ。ロドォン ディぺオン ノセラ』
(教えてもらうわよ。ロドを開いた理由を)

 少女の口から出た言葉で護が知っていたのは『ロド』という単語だけ。しかし、護の頭は少女の言った言葉の意味を全て理解していた。護はそのおかしな状況に困惑する。

『ガウグネラァグ ダントレドヌス アゥト ヤス ウレストンァルカ』
(言葉がわからないとは言わせないから)

(どうなってるんだ?)

 聞いたことがない単語や文法なのに、頭の中ではその意味が理解できている。そうなった理由は一つしか浮かばない。彼女の指から出ている糸だ。

「私たちは、ロドを使おうとしていた男を見つけて巻き込まれただけなんです」

 護は一か八かで少女の質問に日本語で答えた。向こうの言っていることがわかるなら、もしかしたら自分が言っている言葉も向こうにわかってもらえるのではないかと考えたのだ。

『巻き込まれた……と言うことは、貴方はラウテの……向こう側の人間!?』

*護の頭の中で意味は通じているので、ここからは少女との会話は日本語訳でお送りいたします

 向こう側の人間……彼女のその言葉で護は確信した。ここが関守家が代々守ってきたもの、『ロド』によってつながっているとされる別世界『ヴィルデム』であるということに。

 その伝承が本当なのかは誰にもわからなかった。絶対に開いてはいけないと伝えられ、試した者はもちろんいない。詳細がわからないため、協会ネフロラでも各機関の支部長と古来よりそれを守る一族以外に知られないよう極秘にしているほどだ。

(島津さんはどうやって……)

 言い伝えでは遥か昔に封印し使えないようにしたとされ、その使用方法も不明のまま。島津がどうやってその封印を解いたのか。そして、なぜ使い方を知っていたのか。わからないことだらけで護の頭の中にさまざまな情報がグルグル回る。悶々としている彼を見てる少女も周りで警戒する少年たちも反応に困っていた。

『この場所を侵略にきたわけではないようね』
「侵略も何も、ここが何処かすらわかりません」
『そう……詳しく話が聞きたいけど日が暮れるまで時間がないし、一緒に来てもらえる?』
「構いません……ただ……」
『ただ?』

 護の喉に槍を置いていた少年が、その持っていた槍の先を空に向けると深いため息を吐いた。

レティス姉さん……ノークアムゥこの人レティスォウ姉さんの ラーズィエド魔法で エヴォム ルケイドトンォ動けないよイェド……』
『あっ……』

 少女はすぐに左手の指をパチンと鳴らす。すると、それまで動かせなかった護の体の自由が戻った。立ち上がり、手足を曲げたりして体に異常がないかを護が確かめていると、少年も槍を持っていない右手の指をパチンと鳴らす。

「わっ!」

 灯真の手足に巻きついていた蔓が地面の石畳に吸い込まれるように消えていく。蔓がその姿を消した後、石畳は何もなかったかのように真っ平に戻っていた。灯真は恐る恐る蔓が吸い込まれていった場所を指で突くが、それはただの硬い石。蔓が手足に巻きついた時の不思議な柔らかさはどこにもなかった。


*****


 その頃、神奈川県にある神楽塚という場所に大量の警察官が集まっていた。ロータリーを中心に黄色い規制線のテープが張られ、地面に広がる血溜まりを鑑識班が写真に収めていた。

「どんなことしたらこんなに血が流れんだよ……」

 神奈川県警の刑事、三科 尚頼ミシナ タカヨリは血溜まりの広さから被害者がすでに瀕死であるとすぐにわかった。500mlのペットボトルに入れた水を全て撒いても、こんなに広がることはない。
 犯人の目撃情報はなし。あったのは、この場所から光の柱が現れたという妙な情報だけ。ただ、血溜まりは妙な切れ方をしていた。ロータリーの中央側が道路と並行な弧を描くように切り取られていたのだ。道路にシート状の何かが敷かれていて、被害者に怪我を負わせた後でそれを取り除いたのではないかと考えられた。塗装の際に貼っていたマスキングテープを剥がすように。だが、この場所で工事などが行われていたという情報はなかった。

「救急隊の話では、腹部に鉄パイプみたいなものを突き刺した跡があったそうで」
「だとしたら、太い動脈をやられちまったんだな……すぐに殺人事件に切り替わるぞ」
「三科! すぐに病院に行け!」

 同僚と話していた三科に、先輩の刑事がひどく慌てた様子で声をかけてきた。

「身元確認なら他の連中が」
「病院に確認にいったやつから連絡があった。被害者は……お前の嫁さんだ」

 それを聞いた同僚の顔から血の気が引いていく。吸おうとして手に取ったタバコの箱を地面に落とすと、三科は規制線の外に止めてあった車に急いだ。先輩刑事から事情を知らされた警官たちが、集まっていた野次馬をどかし車の動線の確保を急ぐ。

(そんな馬鹿なことがあるか……あってたまるか……)

 先輩の言葉が嘘であると願いながら、三科は震える手で鍵を回しエンジンをかける。しかし、『殺人事件に切り替わる』という自分の予想が、頭の中で最悪の結末を浮かび上がらせていた。
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