69 / 104
第3章 帰らぬ善者が残したものは
3話 見つけたもの 朝比奈 護
しおりを挟む
「ところでじいちゃん、朝比奈さんってそんなにすごい人なの?」
ロド・ディルアーグナル……通称『ログナル』からの返事を自宅の軒下で待ちながら、才賀は護のことを訪ねていた。彼の耳にも、護が勤勉で人当たりも良く部下からの信頼も厚いといった良い話は届いている。しかし、これまでの経歴は一切流れて来ない。次代を担う人材として世界四大魔法使いの1人に名前を挙げられ、調査機関日本支部長にも選ばれたのは彼の魔法……残されたモノから持ち主を特定する『エウスプル イーエ』の特異性とそれを使いこなす魔法使いとしての力量によるものというのが一般的な意見だが、生まれも育ちも分からぬ彼が評価されていることを不満に思うものも少なくない。
「そうだなぁ……彼は調査員としても優秀だが、儂はてっきり捜査員になるもんだと思っとった」
湯呑みに入った麦茶をゆっくり喉の奥へ運ぶと、清は熱くなった体の芯に冷たい飲み物が染み渡るのを感じ、満足げな表情で吐息を漏らす。彼の言葉の真意が読み取れず、才賀は首を傾げる。
「捜査員?」
「儂も力だけならまだまだ自信はあるんだがなぁ……喧嘩になったら勝つ自信は全くない」
「喧嘩って……そんなに強い人ならなんで調査機関に……」
「帰ってきたら直接聞いてみるといい。儂から説明するより、そっち方が手っ取り早い」
清は微笑みながら空を見上げる。もうすぐ17時になるが空はまだ青く、温い風が肌を撫でる。部屋の奥から康夫が眉間に皺を寄せて2人を睨みつけているが、清も才賀も気にしている様子はない。たとえ背後から襲われたとしても、どうにでもできる自信が2人にはあった。
「デオが届けばいいんだが……」
*デオ=探知の略。清の世代の魔法使いがよく使う言い方。
「この距離じゃ仕方ないよ、じいちゃん」
護が山を登ってからすでに1時間が経過した。清は魔力の膜を広げて彼を追っていたが、10分もしないうちにその姿は見えなくなった。普通に歩いて登ったのなら目的の場所に辿り着いている頃合いだが、最後に確認できた位置から考えるともっと前に着いていてもおかしくはない。
——ブッブッブッ
規則的なリズムで清の携帯が震え出す。番号を見ると、それは護からの連絡であった。落ち着いた様子で携帯を開くが、才賀には彼から少しだけ焦りのようなものが感じられた。
「おう、儂だ」
「朝比奈です。清さん、一つ確認したいことが……」
「中に入った捜査員は見つかったのかい?」
「ええ。でもそれとは別に、この辺りで迷子になってる子供がいるとか聞いていませんか?」
「いや、特にそんな話は聞いてねぇな」
「……わかりました。またかけ直します」
*****
携帯を閉じると、護は胸ポケットにそれをしまい目の前にいるメガネの男を注視する。コンバットブーツを履き真っ黒いツナギのような衣装に身を包むその男は、少し驚いた様子で護のことを見つめている。
「それで、島津さん……私たちに内緒で何を?」
この男のことを護は知っている。法執行機関日本支部所属、島津 功捜査員。普段は日本の北側を担当している彼がこの場所にいるのも不思議だが、それより彼が対魔法使い戦闘用の制服を着ていることに護は警戒心を強めていた。
山の入り口にあった足跡から護の魔法によって見えた赤い線は、頂上であるこのわずかに開けた場所にいた島津につながっていた。遠目から彼の姿を確認した護だったがすぐには近づかなかった。本当に彼が事件の捜査で来ているのか確認する必要があったからである。
護は気付かれないよう隈なく周囲を調べた。島津の動きを気にしながら怪しい人物が潜伏していないことも、魔法を使われている様子がないことも確認し、調査員として事件性はないと判断。話し合いの材料が揃ったと考え彼の前に姿を見せると、別の問題が待ち構えていた。
「ここで話すわけにはいかないでしょう……ほら」
島津が目線を右に動かすと、そこにいたのは汗を吸って濃い色に変わった灰色のTシャツに、紺色のハーフパンツ姿の少年だった。靴は履いておらず、白かっただろう靴下は土でひどく汚れている。
(10歳くらいか……)
護がそう予想した少年は、長く伸びた茶色い前髪の隙間から護たちを交互に見ながら自分の左腕を力強く掴む。
「ここで話を続けますか?」
「仕方ありませんね……長居すると下に降りる前に暗くなってしまいますし、その子を家に帰してあげないと」
「嫌だ……帰らない……」
少年は護の言葉を拒絶するかの如く、小さく首を横に振る。
「話は下に降りてから聞くから、一緒に——」
「帰るところなんて……ない……」
(困ったな……彼女はこういう時どうしてたっけ……)
自分の息子とはまるで違うタイプのこの少年にどう伝えればわかってもらえるのか、それがわからない護は頭を掻きながら妻がいつもどうやって息子を宥めているか記憶を探り始める。周りの木々と生い茂る葉が空を隠しているからだろう。隙間から見える空はまだ青いというのに彼らの周囲はすでに闇が広がり始めていた。
(しめた!)
それはほんの僅かな時間だった。護の意識が、最も警戒しなければいけなかった捜査員の男から離れ、どこの誰とも分からぬ少年に向いてしまったほんの一瞬。
島津は背中に回した魔力を帯びた右手を、自身の身で隠していた小さな社に向ける、そして、見えないドアノブを回すように動かしていく。左に1回……右に1回……そして最後に手をグッと力強く握りしめる。
護がそれに気付いたのは、島津が目的の動作を終えた直後だった。不穏な気配を感じ少年に向いていた意識を島津に戻したその時、社を中心とした地面に突如としてオーロラのように輝く光の円が発生する。それは瞬時に護や少年の足元を超え、近くに生える木の根元まで広がる。
「なっ!?」
すぐに拡張探知の膜を広げ、護はその現象が魔法によるものであると理解した。その発生源が、島津の後ろにあることも。
「予定と違ってしまったが……まぁいい」
「どういうことだ!?」
「我々のシナリオでは、これを君が起こすことになっているんだよ。朝比奈君。いや……ザダ テルブと呼んであげるべきかな?」
「……その名前をどこで……」
円が輝きを増す中、護の鋭い目が島津に向けられる。それまでとはまるで違う、今にも心臓を抉り取られてしまうと錯覚する突き刺すような視線に島津は息を呑む。しかし、彼はすぐにニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
「その目を使って一体どれだけの命を奪ってきたんだい? いや~、まさか調査機関の現支部長が裏社会で名を馳せた犯罪者だったなんて……知られたら一体どうなるだろうねぇ。君を推薦した人たちも……あ~、君の奥さんや子供もどんなふうに見られるんだろうねぇ」
緩む口元を手で隠しながら島津は言葉を続ける。光る足元に動揺していた少年は、表情を変えない護から発せられる空気に気付き、その小さな体を小刻みに震えさせる。逃げたい……そう思っているはずなのに、少年の足は地面から離れてくれない。どうやっても逃げられない……護を見てそう感じずにはいられなかった。
「……何が目的なんですか?」
「お~、怖い怖い。大丈夫ですよ。君は何もしなくていい。そう、何もね!」
足元の光が急激に強くなり、護も少年も眩しさに目を思わず瞑る。島津はそれを察していたのか、1人だけ上空を見上げていた。
*****
「じいちゃん……何あれ……」
それに最初に気付いたのは、ログナルからの連絡を待っていた才賀だった。目を大きく見開き山の方を向く彼が見たのは、空へと伸びる大きく白い光の柱。下で何かが光っているなどというレベルのものではなく、空の彼方まで伸びているまさに「柱」のようだった。
「あの方角は……アレがあるところじゃねぇか!?」
「でもなんで……あっ、消えちゃった……」
時間にして……わずか5秒。光の柱は跡形もなくその姿を消した。才賀は何度も目を擦って同じ場所を見る。蜃気楼のような、そういった類のものには見えなかった。
「なんだったんだろう……」
「才賀、すぐに登るぞ」
「えええっ!? こんな時間から登ったら危ないって」
「そんなこと言っとる暇はない。急ぐんだ!」
清の胸の内で燻っていた不安がどんどん大きくなっていく。以前これと同じものを感じたとき、彼の大事な人たちが帰らぬ人となった。それを思い出し血相を変えて山を登っていく清の後ろ姿を心配そうに見つめながら、才賀も彼の後を追った。2人が山の中に入っていくのを確認すると、家の中では康夫が気でも狂ったように盛大な笑い声をあげていた。
*****
「なんなんだ……?」
閉じていた目を開くと、護は水中とも空中とも違う奇妙な無重力空間にいた。地面から足が離れたのは感じていたが、水や空気の抵抗は一切感じず、どこかに向かって体が流されていることだけはわかる。あたりは真っ白で、時折銀色に輝く線がさまざまな方向に走っていくのが見える。
「島津さんは!?」
周りを見渡しても島津の姿はない。左目で捉えていたはずの赤い線が今は見えくなっている。代わりに見つけたのは、あのとき同じ場所にいた少年。徐々に離れていく彼は、体を丸めたまま護とは違う方向に流されているようだった。
「このぉ!」
クロールで泳ぐように手足を動かすが、彼に近づく様子はまるでなくどんどん少年は遠ざかっていく。
「俺が行きたいのはそっちじゃない!」
少年を助けるんだ……その思いで必死に体を動かしていると、護の周囲の流れが変わる。方向も、勢いも、何度も急に変化し体が回転する。洗濯機の中に放り込まれたような気分になる護だったが、彼の右目はずっと少年を捉え続けていた。
流れは次第に緩やかになり体を動かす自由を取り戻すと、護は5~6m離れた位置から少年の後ろについていく形で同じ方向に進んでいた。
「一体どうなってるんだ……」
何もわからぬまま少年と共に流されていく護。自分達が流される方向に向かって何度も銀色の線が走る。その回数は徐々に増えていき、しばらくすると彼らの目の前に、あの山の中で出現したオーロラに輝く円が現れた。護たちは、その円に向かって流されている。
「このままだとぶつかる!」
先を行く少年を心配して何とかして彼に近づこうと踠いても、体は思うようには進まない。そうこうしているうちに少年の体はオーロラの円に触れ、中に吸い込まれるように消えていく。
「きえ……た……」
水面の如く少年の入ったところから波打つ円に驚く暇もないまま、護も後に続くようにその中へと吸い込まれていく。思わず眼前で両腕をクロスさせ目を瞑った彼が再び目を開いたとき、そこは緑生い茂る森の中だった。ただし、護達がいた場所ではない。枝と葉で隠れていたはずの空は開けており、地面は丁寧に磨かれただろう光沢のある石板が敷かれ、社があった位置にはワイヤーのようなもので固定された一本の杖が佇んでいた。
ロド・ディルアーグナル……通称『ログナル』からの返事を自宅の軒下で待ちながら、才賀は護のことを訪ねていた。彼の耳にも、護が勤勉で人当たりも良く部下からの信頼も厚いといった良い話は届いている。しかし、これまでの経歴は一切流れて来ない。次代を担う人材として世界四大魔法使いの1人に名前を挙げられ、調査機関日本支部長にも選ばれたのは彼の魔法……残されたモノから持ち主を特定する『エウスプル イーエ』の特異性とそれを使いこなす魔法使いとしての力量によるものというのが一般的な意見だが、生まれも育ちも分からぬ彼が評価されていることを不満に思うものも少なくない。
「そうだなぁ……彼は調査員としても優秀だが、儂はてっきり捜査員になるもんだと思っとった」
湯呑みに入った麦茶をゆっくり喉の奥へ運ぶと、清は熱くなった体の芯に冷たい飲み物が染み渡るのを感じ、満足げな表情で吐息を漏らす。彼の言葉の真意が読み取れず、才賀は首を傾げる。
「捜査員?」
「儂も力だけならまだまだ自信はあるんだがなぁ……喧嘩になったら勝つ自信は全くない」
「喧嘩って……そんなに強い人ならなんで調査機関に……」
「帰ってきたら直接聞いてみるといい。儂から説明するより、そっち方が手っ取り早い」
清は微笑みながら空を見上げる。もうすぐ17時になるが空はまだ青く、温い風が肌を撫でる。部屋の奥から康夫が眉間に皺を寄せて2人を睨みつけているが、清も才賀も気にしている様子はない。たとえ背後から襲われたとしても、どうにでもできる自信が2人にはあった。
「デオが届けばいいんだが……」
*デオ=探知の略。清の世代の魔法使いがよく使う言い方。
「この距離じゃ仕方ないよ、じいちゃん」
護が山を登ってからすでに1時間が経過した。清は魔力の膜を広げて彼を追っていたが、10分もしないうちにその姿は見えなくなった。普通に歩いて登ったのなら目的の場所に辿り着いている頃合いだが、最後に確認できた位置から考えるともっと前に着いていてもおかしくはない。
——ブッブッブッ
規則的なリズムで清の携帯が震え出す。番号を見ると、それは護からの連絡であった。落ち着いた様子で携帯を開くが、才賀には彼から少しだけ焦りのようなものが感じられた。
「おう、儂だ」
「朝比奈です。清さん、一つ確認したいことが……」
「中に入った捜査員は見つかったのかい?」
「ええ。でもそれとは別に、この辺りで迷子になってる子供がいるとか聞いていませんか?」
「いや、特にそんな話は聞いてねぇな」
「……わかりました。またかけ直します」
*****
携帯を閉じると、護は胸ポケットにそれをしまい目の前にいるメガネの男を注視する。コンバットブーツを履き真っ黒いツナギのような衣装に身を包むその男は、少し驚いた様子で護のことを見つめている。
「それで、島津さん……私たちに内緒で何を?」
この男のことを護は知っている。法執行機関日本支部所属、島津 功捜査員。普段は日本の北側を担当している彼がこの場所にいるのも不思議だが、それより彼が対魔法使い戦闘用の制服を着ていることに護は警戒心を強めていた。
山の入り口にあった足跡から護の魔法によって見えた赤い線は、頂上であるこのわずかに開けた場所にいた島津につながっていた。遠目から彼の姿を確認した護だったがすぐには近づかなかった。本当に彼が事件の捜査で来ているのか確認する必要があったからである。
護は気付かれないよう隈なく周囲を調べた。島津の動きを気にしながら怪しい人物が潜伏していないことも、魔法を使われている様子がないことも確認し、調査員として事件性はないと判断。話し合いの材料が揃ったと考え彼の前に姿を見せると、別の問題が待ち構えていた。
「ここで話すわけにはいかないでしょう……ほら」
島津が目線を右に動かすと、そこにいたのは汗を吸って濃い色に変わった灰色のTシャツに、紺色のハーフパンツ姿の少年だった。靴は履いておらず、白かっただろう靴下は土でひどく汚れている。
(10歳くらいか……)
護がそう予想した少年は、長く伸びた茶色い前髪の隙間から護たちを交互に見ながら自分の左腕を力強く掴む。
「ここで話を続けますか?」
「仕方ありませんね……長居すると下に降りる前に暗くなってしまいますし、その子を家に帰してあげないと」
「嫌だ……帰らない……」
少年は護の言葉を拒絶するかの如く、小さく首を横に振る。
「話は下に降りてから聞くから、一緒に——」
「帰るところなんて……ない……」
(困ったな……彼女はこういう時どうしてたっけ……)
自分の息子とはまるで違うタイプのこの少年にどう伝えればわかってもらえるのか、それがわからない護は頭を掻きながら妻がいつもどうやって息子を宥めているか記憶を探り始める。周りの木々と生い茂る葉が空を隠しているからだろう。隙間から見える空はまだ青いというのに彼らの周囲はすでに闇が広がり始めていた。
(しめた!)
それはほんの僅かな時間だった。護の意識が、最も警戒しなければいけなかった捜査員の男から離れ、どこの誰とも分からぬ少年に向いてしまったほんの一瞬。
島津は背中に回した魔力を帯びた右手を、自身の身で隠していた小さな社に向ける、そして、見えないドアノブを回すように動かしていく。左に1回……右に1回……そして最後に手をグッと力強く握りしめる。
護がそれに気付いたのは、島津が目的の動作を終えた直後だった。不穏な気配を感じ少年に向いていた意識を島津に戻したその時、社を中心とした地面に突如としてオーロラのように輝く光の円が発生する。それは瞬時に護や少年の足元を超え、近くに生える木の根元まで広がる。
「なっ!?」
すぐに拡張探知の膜を広げ、護はその現象が魔法によるものであると理解した。その発生源が、島津の後ろにあることも。
「予定と違ってしまったが……まぁいい」
「どういうことだ!?」
「我々のシナリオでは、これを君が起こすことになっているんだよ。朝比奈君。いや……ザダ テルブと呼んであげるべきかな?」
「……その名前をどこで……」
円が輝きを増す中、護の鋭い目が島津に向けられる。それまでとはまるで違う、今にも心臓を抉り取られてしまうと錯覚する突き刺すような視線に島津は息を呑む。しかし、彼はすぐにニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
「その目を使って一体どれだけの命を奪ってきたんだい? いや~、まさか調査機関の現支部長が裏社会で名を馳せた犯罪者だったなんて……知られたら一体どうなるだろうねぇ。君を推薦した人たちも……あ~、君の奥さんや子供もどんなふうに見られるんだろうねぇ」
緩む口元を手で隠しながら島津は言葉を続ける。光る足元に動揺していた少年は、表情を変えない護から発せられる空気に気付き、その小さな体を小刻みに震えさせる。逃げたい……そう思っているはずなのに、少年の足は地面から離れてくれない。どうやっても逃げられない……護を見てそう感じずにはいられなかった。
「……何が目的なんですか?」
「お~、怖い怖い。大丈夫ですよ。君は何もしなくていい。そう、何もね!」
足元の光が急激に強くなり、護も少年も眩しさに目を思わず瞑る。島津はそれを察していたのか、1人だけ上空を見上げていた。
*****
「じいちゃん……何あれ……」
それに最初に気付いたのは、ログナルからの連絡を待っていた才賀だった。目を大きく見開き山の方を向く彼が見たのは、空へと伸びる大きく白い光の柱。下で何かが光っているなどというレベルのものではなく、空の彼方まで伸びているまさに「柱」のようだった。
「あの方角は……アレがあるところじゃねぇか!?」
「でもなんで……あっ、消えちゃった……」
時間にして……わずか5秒。光の柱は跡形もなくその姿を消した。才賀は何度も目を擦って同じ場所を見る。蜃気楼のような、そういった類のものには見えなかった。
「なんだったんだろう……」
「才賀、すぐに登るぞ」
「えええっ!? こんな時間から登ったら危ないって」
「そんなこと言っとる暇はない。急ぐんだ!」
清の胸の内で燻っていた不安がどんどん大きくなっていく。以前これと同じものを感じたとき、彼の大事な人たちが帰らぬ人となった。それを思い出し血相を変えて山を登っていく清の後ろ姿を心配そうに見つめながら、才賀も彼の後を追った。2人が山の中に入っていくのを確認すると、家の中では康夫が気でも狂ったように盛大な笑い声をあげていた。
*****
「なんなんだ……?」
閉じていた目を開くと、護は水中とも空中とも違う奇妙な無重力空間にいた。地面から足が離れたのは感じていたが、水や空気の抵抗は一切感じず、どこかに向かって体が流されていることだけはわかる。あたりは真っ白で、時折銀色に輝く線がさまざまな方向に走っていくのが見える。
「島津さんは!?」
周りを見渡しても島津の姿はない。左目で捉えていたはずの赤い線が今は見えくなっている。代わりに見つけたのは、あのとき同じ場所にいた少年。徐々に離れていく彼は、体を丸めたまま護とは違う方向に流されているようだった。
「このぉ!」
クロールで泳ぐように手足を動かすが、彼に近づく様子はまるでなくどんどん少年は遠ざかっていく。
「俺が行きたいのはそっちじゃない!」
少年を助けるんだ……その思いで必死に体を動かしていると、護の周囲の流れが変わる。方向も、勢いも、何度も急に変化し体が回転する。洗濯機の中に放り込まれたような気分になる護だったが、彼の右目はずっと少年を捉え続けていた。
流れは次第に緩やかになり体を動かす自由を取り戻すと、護は5~6m離れた位置から少年の後ろについていく形で同じ方向に進んでいた。
「一体どうなってるんだ……」
何もわからぬまま少年と共に流されていく護。自分達が流される方向に向かって何度も銀色の線が走る。その回数は徐々に増えていき、しばらくすると彼らの目の前に、あの山の中で出現したオーロラに輝く円が現れた。護たちは、その円に向かって流されている。
「このままだとぶつかる!」
先を行く少年を心配して何とかして彼に近づこうと踠いても、体は思うようには進まない。そうこうしているうちに少年の体はオーロラの円に触れ、中に吸い込まれるように消えていく。
「きえ……た……」
水面の如く少年の入ったところから波打つ円に驚く暇もないまま、護も後に続くようにその中へと吸い込まれていく。思わず眼前で両腕をクロスさせ目を瞑った彼が再び目を開いたとき、そこは緑生い茂る森の中だった。ただし、護達がいた場所ではない。枝と葉で隠れていたはずの空は開けており、地面は丁寧に磨かれただろう光沢のある石板が敷かれ、社があった位置にはワイヤーのようなもので固定された一本の杖が佇んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
ダンジョン学園サブカル同好会の日常
くずもち
ファンタジー
ダンジョンを攻略する人材を育成する学校、竜桜学園に入学した主人公綿貫 鐘太郎(ワタヌキ カネタロウ)はサブカル同好会に所属し、気の合う仲間達とまったりと平和な日常を過ごしていた。しかしそんな心地のいい時間は長くは続かなかった。
まったく貢献度のない同好会が部室を持っているのはどうなのか?と生徒会から同好会解散を打診されたのだ。
しかしそれは困るワタヌキ達は部室と同好会を守るため、ある条件を持ちかけた。
一週間以内に学園のため、学園に貢献できる成果を提出することになったワタヌキは秘策として同好会のメンバーに彼の秘密を打ちあけることにした。
最初から最強ぼっちの俺は英雄になります
総長ヒューガ
ファンタジー
いつも通りに一人ぼっちでゲームをしていた、そして疲れて寝ていたら、人々の驚きの声が聞こえた、目を開けてみるとそこにはゲームの世界だった、これから待ち受ける敵にも勝たないといけない、予想外の敵にも勝たないといけないぼっちはゲーム内の英雄になれるのか!
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。
自力で帰還した錬金術師の爛れた日常
ちょす氏
ファンタジー
「この先は分からないな」
帰れると言っても、時間まで同じかどうかわからない。
さて。
「とりあえず──妹と家族は救わないと」
あと金持ちになって、ニート三昧だな。
こっちは地球と環境が違いすぎるし。
やりたい事が多いな。
「さ、お別れの時間だ」
これは、異世界で全てを手に入れた男の爛れた日常の物語である。
※物語に出てくる組織、人物など全てフィクションです。
※主人公の癖が若干終わっているのは師匠のせいです。
ゆっくり投稿です。
悪役皇子、ざまぁされたので反省する ~ 馬鹿は死ななきゃ治らないって… 一度、死んだからな、同じ轍(てつ)は踏まんよ ~
shiba
ファンタジー
魂だけの存在となり、邯鄲(かんたん)の夢にて
無名の英雄
愛を知らぬ商人
気狂いの賢者など
様々な英霊達の人生を追体験した凡愚な皇子は自身の無能さを痛感する。
それゆえに悪徳貴族の嫡男に生まれ変わった後、謎の強迫観念に背中を押されるまま
幼い頃から努力を積み上げていた彼は、図らずも超越者への道を歩み出す。
異世界帰りの少年は現実世界で冒険者になる
家高菜
ファンタジー
ある日突然、異世界に勇者として召喚された平凡な中学生の小鳥遊優人。
召喚者は優人を含めた5人の勇者に魔王討伐を依頼してきて、優人たちは魔王討伐を引き受ける。
多くの人々の助けを借り4年の月日を経て魔王討伐を成し遂げた優人たちは、なんとか元の世界に帰還を果たした。
しかし優人が帰還した世界には元々は無かったはずのダンジョンと、ダンジョンを探索するのを生業とする冒険者という職業が存在していた。
何故かダンジョンを探索する冒険者を育成する『冒険者育成学園』に入学することになった優人は、新たな仲間と共に冒険に身を投じるのであった。
ゲームコインをザクザク現金化。還暦オジ、田舎で世界を攻略中
あ、まん。@田中子樹
ファンタジー
仕事一筋40年。
結婚もせずに会社に尽くしてきた二瓶豆丸。
定年を迎え、静かな余生を求めて山奥へ移住する。
だが、突如世界が“数値化”され、現実がゲームのように変貌。
唯一の趣味だった15年続けた積みゲー「モリモリ」が、 なぜか現実世界とリンクし始める。
化け物が徘徊する世界で出会ったひとりの少女、滝川歩茶。
彼女を守るため、豆丸は“積みゲー”スキルを駆使して立ち上がる。
現金化されるコイン、召喚されるゲームキャラたち、 そして迫りくる謎の敵――。
これは、還暦オジが挑む、〝人生最後の積みゲー〟であり〝世界最後の攻略戦〟である。
【第一章改稿中】転生したヒロインと、人と魔の物語 ~召喚された勇者は前世の夫と息子でした~
田尾風香
ファンタジー
ある日、リィカの住む村が大量の魔物に襲われた。恐怖から魔力を暴走させそうになったとき前世の記憶が蘇り、奇跡的に暴走を制御する。その後、国立の学園へと入学。王族や貴族と遭遇しつつも無事に一年が過ぎたとき、魔王が誕生した。そして、召喚された勇者が、前世の夫と息子であったことに驚くことになる。
【改稿】2025/10/20、第一章の30話までを大幅改稿しました。
これまで一人称だった第一章を三人称へと改稿。その後の話も徐々に三人称へ改稿していきます。話の展開など色々変わっていますが、大きな話の流れは変更ありません。
・都合により、リィカの前世「凪沙」を「渚沙」へ変更していきます(徐々に変更予定)。
・12から16話までにあったレーナニアの過去編は、第十六章(第二部)へ移動となりました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる