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5章
はじめましてをもう一度 1
しおりを挟むいよいよ王都を発つ日がやってきた。
皆からのおみやげが加わったおかげできた時よりもずっしりと重くなったスーツケースを馬車に積み込み、くるりと振り返った。
「ではお義父様、お義母様。ジグルドさん、リリアンヌさん。ルンルミアージュも……。長らくお世話になりました!」
深々と頭を下げれば、ふわりと花のような香りに包まれた。
「アグリアちゃん、またいつでも遊びにきてちょうだいね! あなたとまたしばらく会えないと思うと、寂しくなるわ……。あの部屋はいつきても大丈夫なように整えておくから、またすぐに遊びにいらっしゃい!」
亡くなった母と同じ優しい香りに、じわりと目頭が熱くなる。
「はい……! お義母様方、皆さんもどうかお体に気をつけてお元気で。リリアンヌさん、元気な子が生まれるよう領地から祈ってますねっ」
心からそう告げれば、リリアンヌがコロコロと笑った。
「生まれたら、きっと会いにきてちょうだいね。じゃないと、今度はルンルミアージュが赤ちゃん連れで突撃しかねないから。ふふっ!」
「はいっ! お祝いをたくさん持って必ず会いにきますっ」
母親の言葉に、ルンルミアージュが頬を心外だとばかりに頬をぷっくりと膨らませた。
「まぁっ、失礼ね! もうそんなことしないわよっ。だってシオンもアグリアも、きっとまたすぐに会いにきてくれるってわかってるもの。でしょう? アグリア!」
「もちろん! 約束するわ。きっとまたすぐに会えるって」
はにかんで笑うルンルミアージュがあまりにもかわいらしくて思わずむぎゅっと抱きしめれば、ルンルミアージュが腕の中でくふくふとくすぐったそうに笑った。
契約からはじまったシオンとの結婚だけれど、気がつけばたくさんのあたたかな縁に囲まれていた。
王都で婚活に励んではやさぐれていたあの頃が、なんだか懐かしくも思える。
「じゃあそろそろ私、行きます」
名残惜しいけれど、いつまでもこうしているわけにもいかない。にっこりと微笑み、義家族に別れを告げた。
「じゃあ、シオン。またあとでね。……領地で待ってる」
そっと手を差し出せば、シオンの大きな手が重なった。きゅっと力の込められた手を、同じ強さで握り返した。
「……」
「……」
残念ながら事件の後始末やら何やらで、シオンはあと数日王都に残る。道中ひとりきりなのは寂しい気もするけれど、きっと今頃領地の屋敷はひどい有り様に違いない。
父は仕事のできる人ではあるけれど、残念なことに家事全般はからきしだから。
きっと領地に戻って数日は、掃除やら洗濯に追われて寂しさを感じる間もないはずだ。
「すぐに追いかける。待っていてくれ」
「うん。約束ね」
馬車の窓からそっと小指を差し出せば、照れたようにシオンが小指をからませた。
「じゃあ……。皆さん、本当にお世話になりました。お元気で……!」
離れていく手の熱と、遠ざかっていく大切な人たちの姿に少しだけ視界がにじんだ。けれど、これは永遠の別れじゃない。すぐにまた会える。
そして、自分ひとりだけを乗せた馬車はゆっくりと走り出したのだった。
◇ ◇ ◇
ブモーオォォッ……!
遠くで牛が元気に鳴くのが聞こえる。
風に濃い緑の香りと一緒に牛糞の匂いが流れてきたのを鼻腔に感じて、小さく笑った。
いかにも生まれ育った領地らしくて、ほっとする。きっと洒落た王都暮らしに慣れている人たちにとっては、顔をしかめてしまうのだろうけど。
「おーいっ。アグリア! ちょっとこっちきて手伝ってくれよー」
遠くから呼びかけるマルクの声に、慌てて手の中の野菜の山を抱え直しかけ寄る。
「何ぼうっとしてんだよっ。時間ないんだぞ? シオンが着くの、一時間後だろ?」
「ふふっ。つい、帰ってきたんだなぁってしみじみしちゃって……」
領地に帰ってきて、三日が過ぎた。
思った通り屋敷は大荒れだった。最初の数日は領地の人たちが手伝いにきてくれていたらしいのだけれど、父が自分ひとりでどうにかしてみせると息巻いて手伝いを辞退したらしい。
その結果はと言えば、散々なものだった。
「まったくお父様ったら、できない癖に家事に挑戦したがるのよね。人には向き不向きってものがあるんだから、無理しなくていいのに。……何でかしら?」
思えば子どもの頃からそうだった。母が亡くなってまだ自分も上手に家事を切り回せなかった頃、何度も父が家事に挑戦しては屋敷の中がえらいことになったものだ。
「一度なんか鍋から火を噴いてボヤ騒ぎになったし、普通に洗濯したはずがシーツがぼろぼろの穴だらけになったこともあったっけ……。どうにも家事の才能が壊滅的なのよね。お父様って……」
けれど今思えば、父もどうにか娘の負担を軽くしようと必死だったのだろう。ただでさえ母親を亡くして辛いのに、日々の暮らしもままならないなんてあんまりだと思ったに違いない。
けれどそのおかげで自分がしっかりしないとこの屋敷はダメになる、と覚悟も決まったのだけれど。
「ふふっ! なんだか懐かしいわね。色々大変なこともあったけど、今思い返すと幸せの方がずっと多かった気がするわ」
しみじみとそうつぶやけば、マルクが笑った。
「なにさっきからひとりでにやにやしてんだよ! まったくシオンが帰ってくるからって、ウキウキし過ぎなんだよ。まったく……。早くしないと、シオンにごちそう作ってやれなくなっちまうぞ? アグリア」
「あっ、そうだった! 急いでこの野菜と牛乳を持って帰って支度しなきゃねっ」
「やれやれ……」
マルクに心底呆れられつつ、急ぎ屋敷へと戻ったのだった。
「ふんふふーん! ふふーんっ、ふふふーんっ!」
調子よく鼻歌を歌いながら、くつくつと鍋の中でおいしそうに煮える野菜たちの煮え具合を確認し大きくうなずいた。
「よし、いい感じっ。これで三品目も完成っと! あとはパイが焼き上がるのを待って、それと……」
テキパキとシオンを迎えるための料理をテーブルに並べながら、ちらと時計を見上げた。
「……!」
そろそろシオンの乗った馬車が到着する時間だった。
急にドキドキと高鳴り出した胸の鼓動を深呼吸でどうにか落ち着かせ、慌てて玄関へと向かえば――。
「……!」
「……っ」
そこに、世界で一番大好きな人が立っていたのだった。
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